82.魔に堕ちた聖女


 裁は動揺しつつも私の言葉は理解出来たらしく、それでも何か納得いかないような、もどかしそうな顔で喋らなくなった。まるで何かに、同情でもするような。


「……何でお前がそんな顔するんだよ」


 その面にイラついて右手を伸ばす。頬をがっちり挟むように、裁の顔を掴んで押し上げた。持ち上がった裁の上体の隙間から身を起こし、嫌そうな顔で私の手を剥がそうとする裁から離れて立ち上がると、全身に付いた埃を払う。


「だから、さっさと事態を収拾させないといけないんだ。美術館の魔法使いについて知ってる事を教えろ。あいつは私が片付けるからその間に、お前は街から逃げるんだ。流石に問い質すべきお前がいなくなった状態で、私の推測一本を根拠に妹さんを殺す程、うちの魔術師も見境が無い訳じゃない」


 嫌そうに頬を擦っていた裁は、カッとなって立ち上がった。


「……何であんたが、あたしの面倒見るような真似すんねん!」


 私は手櫛で髪を直すと、スカートに付いた皴を伸ばす。


「結果的にとは言え街を救っただろ。その義理だ」


「……せやから……! あんたのそういうスカした態度が気に入らん言うてんや!」


 裁は大股で歩み寄って来ると、私の胸倉を掴んだ。何故かその剣幕は鬼のようで、〝館〟で怒りを買った時以上に激しい。


「同情したかったら勝手にやったらええわ、あああたしは間違ってる大馬鹿者よ! でもあんたに助けられなあかん筋合いなんて無い!」


 皴伸ばしを遮られた私は、両手を垂らしたまま裁を見上げた。


「……だったら勝手に助けられてろよ。どうせお前はもう、一人じゃここから逃げられない」


 それでも裁の怒りは、一層燃え盛る。


「あたしは〝館〟の職員を殺したんやぞ」


「知ってるよ」


 怒声に困って目を伏せた。


「何で何も言わへんのよ」


「言ってどうにかなるのかよ」


 閉じた瞼の向こうで、裁が大きく舌打ちする。一層強く胸倉を掴まれると、ぶつかりそうな距離まで引き寄せられた。


 目を開けると裁が、まだ凄まじさを増した剣幕で睨み付けて来る。今にもその手を私の腹に突っ込んで、内臓の一つでも引き抜きそうな怒りを全身に滾らせて。


「どうにもならん事でも間違った事でも、やってまうんが人ってもんやろが! ほんまはあたしの事も憎いくせに、何で何も言わんのよ! そうやってええ子振って何でも我慢してるから、ご両親には最後まで何も言えず仕舞いで、帯刀さんは助けられんで、あんたはここにおるんやろが!」


「……お前みたいに、何でも好き放題やればいいと思うなよ」


 つい、堪え続けて来た怒りが滲む。


「自分の為に人を振り回して。元はと言えばお前みたいな奴らの所為だろうが。ああ私だってもう間違ってるさ。私は帯刀を説得出来なかった。高が友達の一人も救ってやれない、人としても魔術師としても失格の出来損無いだ。それでもせめて、自分が重んじたいものは貫く。私はお前らみたいに、誰かを踏み台にするような事は決してしない」


「もうおらんご両親への反抗期の為だけに人殺しを助けて、あんたは一体何を得るんよ」


「酷い良心の呵責から逃げられるさ」


「せやから腹立つ奴にまでそうやって、気い遣わんでええやろて言うてんや! あんたがそうやって幾ら誰かに尽くしても、死んだ人間も殺された人間も帰って来えへんし、誰の過去も変えられへんねん! 腹に恨み溜め込んでまでそないな生き方繰り返して、あんたは何の為に生きとんや! 一体何が幸せやねん!」


「一人ぼっちも誰も助けてくれないのも、誰だって寂しいだろ」


 すっかり凪いだ私の声に、気勢を削がれるように裁は黙った。


 こんな正反対な奴に言った所で伝わらないだろうと分かりながら、他に言葉も用意出来なくて言い切る。


「それだけだよ。それ以外、本当に何も無い。恨みより寂しい気持ちの方が、私にはずっと勝るよ。どれだけ憎かろうと、どうしても。多分ずっと、誰かにそうして欲しいって思いながら生きて来たから。だから、自分が幸せかなんてどうでもいい。そういう光景を見ずに済むのなら私はもう、どうなったっていいよ」


 納得なんて要らない。ただ聞こえていればいい。そう発した声は酷く静かで、何も受け入れはしないと頑なだった。


 私の何倍もの感情を込めて怒鳴っていた裁が、たったそれだけで何も言えなくなる。悪夢でも見ているような、轢死した野良猫でも見下ろすような、不快感と憐れみに満ちた目で私を見て。


 ……やっぱり視線ってのは、常に嫌なもんだ。


 またあの、気味の悪い苦笑が滲みそうになるのを堪えたけれど、困り顔の笑みが出てしまって同じだった。


「だから私は、お前を助けるよ」



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