55.……君は今度はスーパーヒーロー?


 美術館を襲った魔法使いが捕まったのか?


 両断された雨雲はその形を保っていられなくなったように、だらだらと輪郭を失っていく。何故かそれにつられるように空と太陽も、陽炎のように揺らめいた。


 水だ。海が浮いているような分厚い水の膜が、雨雲が失せた空間で、街の上空全体を覆うように漂っている。風に表面を波打たせながら太陽光を照り返すその様に、胃が腹の底へ落っこちそうになった。


 もし、あの高さから一斉に落ちようものなら大凡のものを破壊するだろう水量を抱える分厚い膜は、『鎖の雨』の雨水の部分だ。御三家が『鎖の雨』を解いたのなら、雨雲と共に雨水も消える。雲だけ消えてあの途方も無い雨水だけが今にも街へ叩き落とされようと露わになったという事は、『鎖の雨』は解かれたんじゃなく壊れたんだ。きっとあの出所も掴めない程大きな金属音も、『鎖の雨』が壊れた音だったんだろう。


 この〝不吉なる芸術街〟で魔術の達人と名を馳せて来た、御三家の魔術が崩された? まさか美術館を襲った魔法使いに、御三家の誰かがやれた?


 鉄村も同じ考えに至ったようで、空を見上げたまま動けない。でも今すぐ雨水が落ちるのを止めないと、街が押し流されてしまう。


 美術館のある方角から、大小様々なモトロの群れが膜へ雨注した。膜の表面を覆うように身を寄せ合い、落下する水量を抑えようとする。鉄村の父親、つまり、鉄村家現当主の魔術だ。


「親父……!」


 鉄村は父親の無事に安堵した声を漏らすが、救い難い程にモトロの数が足りない。


 膜は溶けるように形を失う。モトロの群れの隙間から、滝のような水流を零し出した。地上からでもはっきりと聞こえる音を立てながら、街のあちこちへ落ちていく。


 無理だ。戦力を分散されている中街を丸々守るなんて、御三家でも出来ない。所詮魔術も、魔法の真似事なんだから。


 絶望に思考が止まりそうになるその歯痒さを、誰よりも露わにした怒号をさいが上げた。


「そっちに落ちんな!」


 落雷のような、『鎖の雨』が壊された時よりもまだ大きい轟音が、〝館〟の外から鳴り渡る。抜けた〝館〟の天井に四角く切り抜かれた空を硬質な黒い津波が飲み込み、太陽の光を遮った。


 アスファルトだ。街のあちこちから剥がされたアスファルトが粘菌のように一体となりながら、膜から落ちる幾本もの滝を裂いて急上昇していく。瞬きも許さない速度でモトロの群れすら飲み込んで、分厚い雨水の膜を棺のように閉じ込めた。轟音は尾を引いて失せ、裂かれて勢いの落ちた滝は霧のように、巨大な棺の影に呑まれた街へ降り注ぐ。


 それを呆然と見届ける事しか出来なかった私と鉄村は、七ヵ月振りに雨音が失せ、本当の無音に沈む空気の中で漸く悟った。


 これは魔法だ。それも、美術館を襲った魔法使いが使ったものとは別格の。そして、どうしてこんな行動に出たのかさっぱり不明だが間違い無くこれをやってのけたのは、悪魔に気に入られるまでに人間を逸脱した魔法使い〝魔の八丁荒らし〟であり、それは今私達の目の前で、一切の諦めを見せず激高した裁であると。


 人類史上最悪の犯罪者から、数百万もの命を救った英雄へと駆け上がった裁は、私達なんて眼中に無いように、空のある一点を見ていた。凡人には理解の及ばない存在である英雄らしい、恐怖と焦燥に満ちた目で。



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