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54.久し振りにこんにちは!


 私の右手の刀が風化するように崩れ去る。空っぽになった左袖を濡らし続けていた血が、骨肉を噴き出し腕を成した。踏み出そうと足を伸ばすと、鉄村が制するように低く右腕を持ち上げる。


 こいつが一番乗りでやって来たのは、私のドッグタグネックレスの知らせを受けてだ。毎日首からぶら下げているこいつは御三家から私のお目付け役を任されている鉄村に、私が魔術を使った時間と場所を知らせる道具として渡されている。私の魔術とはこの通り余りに攻撃的なので、単身で事に当たらせて被害が増大する時間を長引せないよう、まずは鉄村に知らせを発するよう出来ているらしい。特に天喰家を毛嫌いしている上貂が作ったものなので、詳細は訊く気も起きないが。


 私が身動みじろぐだけに留まると、鉄村はどっしりと背を向けたままさいを見据え、雨で崩れたヘアセットにも構わず口を切った。


「魔法使いに問答を吹っかけるなんざ時間の無駄だが」


 矢張りその声は、いつもの剽軽ひょうきんさが失せて低い。


 鉄村は全身から図体に相応しい威圧感を滲ませ、石を喉に詰められるような息苦しさを撒き始めた。


「美術館にいたてめえの偽物、捕まえようとしたら泥みたいにぶっ壊れたが、例の文字化け作家が作ったんじゃねえかって彫刻に襲われたらしいな。要はてめえは、別の魔法使いに狙われてたって訳だ。そいつについて知ってる事を吐け」


 トラテープに縛り上げられ『鎖の雨』に打たれる裁は、焦りを滲ませながらもまだ嗤う。


「嫌や言うたら?」


「今すぐ殺す」


 一寸も待たない鉄村の返答に、荒れ狂うように波打っていたトラテープの海が張り詰めて停止した。その一本一本は槍のような鋭さを放ち、〝館〟の壁に四角く切り取られた空から降り頻る『鎖の雨』で不穏に艶めく。


「てめえが〝館〟で何をやったかは、後ろのこいつに訊けば分かるんだ。他の魔法使いについて喋る気が無えってんなら、てめえを殺して、街の一番高い場所に吊るして他の魔法使いへの見せしめにする。逃げようたって無駄だ。てめえもこの街の雨は魔術だって分かってるから、今まで偽物を撒いて隠れてたんだろ。直に他の魔術師もここに集まって来る。喋ろうが黙ろうが、てめえはもう終わりだ」


「鉄村家の次期当主は気合が違うか」


 裁はあぐむように吐き、私は迫る気配に振り返った。


 骨格標本が巨大化して飛び出したような肉食獣の顎門あぎとの形をした瓦礫が、鉄村ごと私を吞むように飛びかかって来る。


 すぐ尾で薙ぎ払った。砕ける顎門は礫となって、雨粒を弾き飛ばす。もうその時に鉄村は、裁を殺すと決めた。張り詰め黙っていたトラテープの海が鉄村の殺意を映すようにおぞましく蠢き、裁を捩じり切ろうと一斉に収縮する。


 名家を背負う稀代の魔法使いが、惨めな最期を遂げるその時。錆びた自転車のブレーキ音を何百倍にもしたような不快な音が、私達の全身を貫く。出所がまるで分からない程の大きさに、犬に化けてしまう変身の魔法の症状を流用し聴覚が異様に優れている私は、爆弾でも投げられたように目の前が真っ白になった。


「ぎっ……!?」


 堪らず呻きながら耳を両手で押さえ、音の出所を探そうと目を凝らす。急速に色と輪郭を取り戻し始めていく視界に、ふと気付いた。


 雨が止んでいる?


 あれだけ激しく、線状に伸びて街を打ち続けていた雨粒が一切見えない。雨音も、雨に打たれる感触も失せていて空を見上げた。刺すような眩しさに目を細める。縦に両断された分厚い雨雲の向こうで、太陽があった。眩しさの正体は、七ヶ月振りに浴びた太陽の光だ。


 奥まで刺さって来る目の痛みも忘れて見入る。帯刀が〝患者〟になってからずっと見る事が出来なかった、あの太陽と青い空……。


 いや待て。


「『鎖の雨』が、解けた、のか……!?」



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