45.怨嗟のオレンジ


 少し目を丸くしていたさいは聞き返した。


「何ですって?」


 決して動揺はしていない。変わらず己の勝利を確信している。同時に警戒すべき脅威を確認したような緊張を微かに滲ませ、その落ち着きとは油断では無く、絶対的な自信が土台であると明確に示していた。あくまで奴にとっての私とは、何をしようと全てがお見通しに過ぎない弱者だと。


 その態度に肩を揺らして笑う。


「カッハッハッハッハッハ」


 憑かれているような引きった声だった。


「おいおい冗談はよせ? よっぽど私を侮ってるか嫌いなのか、お国の言葉が漏れてたぞ? とんでもない事に代々〝魔の八丁荒らし〟に選ばれる程魔法使いに適した人格と才能を持ちながら、貸し出された魔法は付与の魔法エンチャントっていうちぐはぐな関西の魔法使いと言えば裁家じゃないか。国一番の魔法使いの一族と恐れられてたが魔術師にやられて十年程経ったと聞いてたもんで、魔法と訛りを拝むまで同姓の別人だと相手にしてなかったよ。幽霊に会った気分だ」


 裁は愛嬌たっぷりに笑う。


「へえそうですか。折角ですから剥製にでもします?」


 私は肩を竦めて苦笑した。


「それをするにはお前の皮膚に、傷を付けちゃいけない事になる」


「あれ? 最初からそのつもりじゃなかったんですか? いつまでも攻撃が当たらないから、てっきり剥製にされるのかと思いましたよ。ていうか望みを叶えてやるって、悪魔のはらわたが貰えるって事ですよね? もうこんな所に引きこもるのはうんざりなんです。早く下さい」


 私は苦笑を浮かべたまま歯を覗かせ、右の人差し指で自分の腹を、トントンと叩いてみせる。


 裁の表情が固まった。


 私はわらう。


「お前の予想通りここにある。お前の望むような、頭が飛んでも死なない所か元通りに生えて来て、飛んだ方の頭はサッパリ消えちまうような私から、崩れず取り出す方法は無いけどな」


 こいつが私に悪魔のはらわたを要求したのは、手近な魔術師だからじゃない。この気味の悪い血の色から、悪魔のはらわたの在処はここであると見抜いたからだ。その根拠は何か。


 〝患者〟の症状の中に血液の変色は無い。どれ程醜い姿に変えられようと、魔法で血の色は変わらない。瓶の中に収まっている〝患者〟達だって、怪我をすれば赤い血を流す。血の色が変わってしまうのは、悪魔を食った時だけだ。


「父方の祖父が悪魔を食ったんだ」


 苦笑はそのままに腹を叩く指を止め、固まったままの裁を見る。


「……もううんざりするぐらい昔の話さ。魔法使いに魔法をかけられ醜い姿に変えられた事に激高し、その場でその魔法使いを食い殺した。それでも気が治まらなくて、食い殺した魔法使いと取引していた悪魔も食い殺した。あくまで〝患者〟にされただけで、魔術師でもないくせに」


 裁は息を呑んだ。


 私だってこの話を思い出すたびぞっとする。憎悪だけで悪魔を殺せる人間が存在して、自分とそいつが血縁者だなんて。


「そして乏しい悪魔の知識を元に、食った悪魔の腸全てを使ってこう願った」


 決して忘れないようにとさんざ父から聞かされた、祖父の暴言をそらんじる。


「“神も悪魔も仏も、知った事じゃねえ。俺は俺の好きなように生きる。邪魔する奴は皆殺してやる。俺は、怪我にも病気にもならねえで、なるべく元気に長生きして、酒にも食うものにも困らない、一生働かなくていいぐらいの金持ちな、気の利くいい女の家に転がり続けて暮らすんだ”」


 だから私の膂力とは激甚で。


 だから私の命とは、不死の如くにしぶとくて。


 フォロワー数が無に等しいアカウントからの投稿でも、顔さえ出してしまえば必ずバズるぐらいに容姿がよく、出会ってしまえば人間性など度外視させて誰だって魅了して、言いなりにさせられる。


 顔も名前も知らない父方の祖父は、こんな浅ましい夢を見た。既にその身は人を離れ、悪魔の力を得てしまっている事も気付かずに。 


 悪魔らい。私達はそう恐れられ、私達のはらわたは、悪魔のはらわたとほぼ同格の力を持つ。つまり御三家が守っている悪魔のはらわたの在処とは、私の腹の中だ。


 裁はレストランで私の血を見たゴーレムから、私が悪魔喰らいであるとスマホで連絡でも受けたのだろう。遅くても春から〝館〟に潜伏しておきながら今日行動を起こしたのは、この情報が理由の筈だ。『鎖の雨』で魔法使いが入っていないこの七ヶ月間で、私が戦って血を流したのも今日が初めてなのだから。



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