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44.もういい子ちゃんではいられない


 思っていたより、ずっと低くて疲れた声が出る。


「……最後に一つ訊いていいか」


 さいは目を細めて肩を竦めた。


「どうぞ?」


 余裕綽々しゃくしゃくってご様子だ。言うもおろかに見下されている。そりゃあそうだ。象が羽虫をどう恐れる。


 私だって肩をすくめたい気分になって苦笑した。


「お前が今まで『鎖の雨』に引っかからず、自分そっくりのゴーレムを撒いて暮らし、ここに来た私と青砥部長を待ち伏せ出来たって事は、お前がこの街に来て〝館〟に潜伏したタイミングとは、『鎖の雨』が降る以前だ。ギリギリで今年の四月中になる。前触れも無く降り出した『鎖の雨』に打たれる前に〝館〟を潜伏先に出来たのも、矢張り『鎖の雨』が降る以前から街に来ていて、選ぶ時間があったからじゃないか? 職員の魔術師を欺く手段も用意しなきゃここにいられてない。自分そっくりのゴーレムも放ってるんだそいつの支度もあっただろう。だから訊くぞ」


 二つ以上の悪魔仕様の臓器と魔法を持つ〝魔の八丁荒らし〟を、殺すような目でめ付ける。


帯刀おびなたに魔法をかけたのは、お前か」


 裁は沓摺くつずりを跨いだばかりの足を止めた。寒々しい廊下から闇に呑まれた部屋に入って逆光を背負い、輪郭を残して黒く溶け込む。遅れて眼球の水分がゴーレムらの背から漏れるシャンデリアの灯りを返し、てらてらと浮き上がった。じっと円形を描いて動かない浮き方から、無表情になっていると分かる。


 その目が焦らすようにゆったりと、半月型に痩せた。堪えようとするも漏れてしまった喜びが、吊り上がった口角の隙間から歯を見せる。半月型に痩せた所為で白い部分がよく見えなくなった目は黒く潰れ、度外れに気味が悪い。


 それは最早、悪魔そのもののような笑みだった。それでもまだ醜さは放たない、異常な美貌を纏って裁は言う。


「ああそうですよ。つか最初に訊かないなんて馬鹿ですか? 本当は帯刀おびなた副部長を救いたいんじゃなく、〝患者〟にさせた罪悪感から逃れたいんでしょう? あなたが春からずっと落ち込んでると部の先輩方から聞いた時は、笑い死ぬかと思いました。私からすれば、この街の魔術師の程度を測る為に適当に魔法をかけた相手に過ぎないのに、高が一人死んだような事でその様です。お陰で、この街の底も知れました。あなたは私の姿すら捉えられないまま、今日に至っているんで」


 私はゴーレムの群れを砕いた。


 大砲でもぶっ放した訳じゃない。弾丸のように宙を駆けて、その勢いのままゴーレムらにぶち当たっただけ。


 瓦礫のゲリラ豪雨と化したゴーレムの残骸が部屋を貫く。砕けた建材やキャビネットは飛沫のように噴き上がり、穴だらけにされたシャンデリアはぐらぐら揺れて、何とか持ち堪えると部屋を照らした。


 そんな中〝患者〟の入った瓶が、唯一形を保って天井を掠めるように飛び上がり、無造作に落下する。


 うに宙を去った私は、座していた床へ立った。無造作にゴーレムへぶつかったツケが全身の裂傷となり、ビビットオレンジの血を流す。傷に蝕まれ直立が容易ではなくなり、背骨を丸めて腕をぶら下げた。


 両の指から血が滴り落ちるのを、他人事みたいに眺めて口を切る。


「望みを叶えてやるよ。の魔法使い」



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