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37.弾幕アーム!


 青砥部長が見つめていたキャビネットのガラス戸が爆ぜた。ガラス片とそれに巻き込まれた脚立、キャビネットに収められていた胸に抱え切れるぐらいの瓶が飛び出す。瓶の中身はバラバラで、サッカーボールぐらいの魚のヒレだったり、空のペットボトルがいっぱいに詰まっていたり、何も書かれていないA4ぐらいの古紙が一枚だけだったりと秩序が無い。


 これらの正体は〝患者〟。〝患者〟の中でも症状が重い者は言葉と本来の姿を失い、他の生物や物体となって動かなくなる。それ以上の症状の悪化を防ぎつつ、そう易々と壊れて中の〝患者〟を傷付けないようにと二種の魔術を施された瓶に一人ずつ収められ、その魔法をかけた、憎き魔法使いが死ぬ日を待っている。彼らを収める為にこの広大な部屋とキャビネット群はあり、動かなくなった彼らを収めているキャビネットが、老朽化でも誰かに触れられた訳でもないのに壊れるなんて有り得ない。


 阿部さんは青砥部長以外の来館者について触れていない。私も〝館〟に通うようになってから今日まで、自分以外の来館者と会った事が無い。だから少なくともこの部屋には、私と青砥部長以外の来館者はいない筈だ。


 魔術師や〝患者〟の家族なら阿部さんが把握してる。違法魔術使用者なら捕まえられて立ち入れない。それでも阿部さんに気付かれずに、あの悲鳴のような金属音を上げる重い鉄製のドアを抜け、ここに潜む事が出来るのは。


 魔法使いという、一つの種だ。


 壊れたガラス戸の奥から、エノキダケのように束状になった灰色の腕が噴き出した。腕の束はひっくり返った虫みたく、バタバタ暴れながら何かを探す。目も無いくせに二秒足らずで私と青砥部長に気付くと、一本一本が我先にと突風のように向かって来た。


 ガラス戸が砕けた瞬間に、反射で青砥部長は背を丸めている。それより速く手を伸ばしていた私は、青砥部長が破片を浴びないよう腕を掴んで飛び退いた。腕の束が迫るより一足先に肩に担いで、脇のキャビネットの天板に跳び乗る。


 青砥部長はジェットコースターに放り込まれたように、真っ青になって叫んだ。


「ギャーッ!」


 うるさいので暫く無視。


 私と青砥部長が去った直後の空間に、猪みたく腕の束が突っ込んだ。そのまま辺りのキャビネットを壊して床に伏し、十メートル以上から見下ろすこちらまで埃と粉塵を噴き上げる。


 あの程度で瓶は壊れないと分かっているが、気分が悪い。いがらっぽい視界の中薄闇に連なるキャビネットの天板を廊下に見立て、ドアへ引き返そうと走り出す。


 腕の束は、私の足音に引き寄せられるように起き上がると追って来た。その丈と鈍臭さから容易に振り切れると踏んだ私をわらうように、蔓のように伸びては付いて来る。


 鬱陶しい。次の天板へ移ろうと跳躍しながら、首を巡らせ辺りを見た。風を切る全身が外で浴びた雨水の粒を散らし、濡れた髪が煩わしく頬を叩く。見えるのは近付いて来る腕の束と、規則的に並ぶキャビネットの天板だけ。


 魔法使いはどこだ。一体今、街には何人の魔法使いが紛れてる。美術館で見た魔法は、触れずに対象を動かすものと、対象に辺りのものを引き寄せて巨大化させるものの二つ。突然キャビネットから湧いて身を伸ばしては、執拗に私達を追って来るあの腕の束は当てはまらない。魔法使いが使える魔法の数は、一人に対し一つが通例。つまり、帯刀を襲って行方を晦ませた奴を合わせて四人も? 冗談じゃない。


 なら今日、三人もの魔法使いが同時に事を起こしている理由は何だ。レストランでの二人は裁さんを狙っていたが、この腕の束を操る三人目は何故私達を追っている。こいつだけ赤の他人で、レストランでの二人はグル? それとも、前提としている何かが間違ってる?


 滞空時間はあっと言う間で、首を正面に戻して着地した。どちらにしても出入り口は潜って来たあのドアだけ。まずは青砥部長をここから逃がす。


 負傷させずに青砥部長を運べるギリギリの速度まで加速しようと、強く右足を踏み出した。ひんやりとした何かに、左の足首を掴まれる。ぎょっとして振り返るも、何かに青砥部長ごと投げ飛ばされた。


 宙に投げ出されながら何が起きたのかと辺りを見ると、直前まで足場にしていた天板から突き出す一本の灰色の腕と、背後から覆い被さるように迫る腕の束を捉えた。


 血の気が引く。


 連れ戻す格好で投げられたのか。


 腕の束にシャンデリアの明かりを遮られ、辺りが急速に暗くなる。


 咄嗟に足元の天板へ、強引に左足を放った。その一撃で、床に向かって空間を押し広げるようにキャビネットを貫いて着地する。キャビネットの破片と瓶を浴びた腕の束は、怯むように動きが鈍った。


 その刹那を使い切るように言い聞かせる。


 落ち着け。瓶はこのぐらいでは割れないから大丈夫。ここにいる生身の人間は、私と青砥部長だけ。なら、多少強引な手も問題無い。


 腕の束が動き出そうと蠢いた瞬間、ドアへ跳ぶ。足元の床が砕け、切り裂かれた空気が獣のように唸ると、腕の束を置き去りにした。


 辺りのキャビネットが、床から竹林のように噴き出す腕の束に貫かれる。打ち上げられた瓦礫と瓶、曲がった脚立が、シャンデリアに触れそうな程高く躍り出た。不気味な竹林は遮断桿のように横へ伸びて行方を阻もうとするものと、私を捕まえようと手の平を向ける二手に分かれ、辺りを破壊しながら突っ込んで来る。


 開けられた距離を手数で埋める気か。確かにすっかり囲まれてしまったし、青砥部長を担いで出せる速度はもう最高値に届いてる。


 だからもう、急に掴みかかって来るなんて行儀の悪さを見せられても動じない。


 縦横滅茶苦茶になって迫るその一本一本を往なし飛び越え、足場にすると更に跳んだ。


 最後に左右から挟み撃ちにしようと伸びる二本の腕を、拉げて宙を舞っていた脚立で叩き折りドア前に着地する。分厚い鉄製のドアを紙屑のように蹴り破り、下ろした青砥部長を廊下へ押し込んだ。


「職員に魔法使いが出たって伝えて下さい。助けてくれますから」



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