36.あなたもわたしも魅惑的


 呆れが増した私は、肩を落としそうになった。


 ……この人、見た目は如何いかにも真面目そうだってのに内面は、何でびしょ濡れなんだとか何しに来たんだと言ったごく自然に浮かぶだろう問答はすっ飛ばし、いきなり軽口から始める軟派者なのだ。


 バンドマンや芸術家に特有の、顔はそうでも無いのに雰囲気でモテるタイプの典型と言うべきか。女癖が悪いとも聞く。副部長の帯刀おびなた曰く、絵には寝食を忘れるぐらいに取り組むから部にそのだらしなさは決して持ち込まないそうだが、私生活において関心出来るような手の人種じゃない。


 こんな男が、八高やつこう史上最高の絵描き。さいさんがこの人じゃなく私に懐いているのはもしかして、人間性の問題なのではと何度考えたか。帯刀にも絡まれていないだろうなと、何度確認したか思い出せない。


 頭痛がしそうな私の心中を他所に、青砥あおと部長は能天気に尋ねた。


「どうした? お前も帯刀の見舞いか?」


 外の状況を知らないのだから仕方は無いが、無駄話に付き合っている場合でも無いと気を取り直す。


「……いいえ。魔法使いが現れたので、暫く外に出ないで下さいと伝えに来ました。ここ、電波届かないでしょう? ここなら魔術師の職員もいますから安全です」


 青砥あおと部長は目を見張る。


「魔法使い!? 春に入られたばっかりじゃないか!」


「すみません。私達魔術師の失敗です。ここから出ないで下さいね。学校には連絡しておきますから」


 美術館へ引き返そうと背を向けた途端、青砥部長に腕を掴まれた。


「待て待て! それじゃあ文化祭はどうなる!?」


 思わずぎょっとして振り返る。


「はあ!? そんな事言ってる場合じゃないでしょう!?」


「場合だろう! 俺にとっては最後の文化祭だ!」


「何馬鹿な事言って……」


 あっ、そうだ。


「青砥部長、裁さんについて何か、変わった話は聞いてませんか?」


 青砥部長はぽかんとした。


「裁? あの他県から一人で来た可愛い子か?」


 チャラ付いた言葉が鼻に付くも、単身でやって来た他県出身者という知らない情報をいきなり出されつい黙る。


 そうだ。同じ部の先輩と後輩なら学年が離れていようとも、部外者の私より遥かに接点がある。腕を払おうとするのを止め、青砥部長へ向き直った。


「彼女、魔法使いに狙われてるんです。何か心当たりになるような事は話していませんでしたか?」


「魔法使いに狙われるような事なんて、やってたとしても口外しないさ」


 青砥部長は何が根源なのか分からない、不穏で軽薄な笑みで言う。


「ましてここは、〝不吉なる芸術街〟。国一番におっかなく、それを収めようと国一番の魔術師がつどってる。だから、わざわざ余所者がやって来るってだけでそいつとは、相当に酔狂だ。命をベットしてでも叶えたい事を、ここじゃないと果たせない何かを、必ず胸に秘めてる」


 青砥部長は、私の腕を離した手を腰に回して引き寄せた。そして空いている手で、驚いて硬直した私の左胸を指す。 


「たとえば、悪魔のはらわたが欲しいとかな」


 ただ圧倒されて、青砥部長を見た。


 ……有り得るだろうか? 幾ら知っている仲だからって、非常時の魔術師が一般人に隙を突かれるなんて事。まして個人的な話になれば、私は春に帯刀を助け損ねている。二の舞なんて冗談じゃないと意気込んでいるのに、こうも容易く距離を詰められるものなのか? それともこの人が持つ雰囲気ってやつに、私も魅せられているだけなのだろうか。全く好みでも無い、この物騒な笑顔に。



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