29.生き地獄へまっしぐら!
路地で見ていた時点で十分に大きかったあのコガネムシが、どういう訳だか小山のような存在感を放って眼前にいる。
それも独りでに大きくなったのではなく、周辺のものを接いで膨れ上がっていた。地下展示室にあったものだろう彫刻と絵画、よく分からない壺に床材や折れた柱、壁の一部までも引き寄せて、嫌に品のあるゴミの塊と言うのか無茶苦茶なモザイク画のようになっている。
呆然としないよう気を保つのに必死だった。よく見るとコガネムシは、地下から伸びるトラテープに全身を絡まれた状態で、自分で開けた大穴に落ちまいと脚を伸ばし切って踏ん張っている。どこか滑稽に見えるその姿のまま、巨大化によって鎧のように分厚くなった
飛ぶのか? もう天井にぶつかりそうなのに?
鋭利な透明が、私の頭上を越えて背後へ走った。それは風を切って唸り、吸い込まれるように裁さんの頭へ猛進する。
だから何でこの子ばっかり!
置いて行かれそうになる身体で振り向いて、裁さんの腕を掴むと引き起こした。裁さんが去って出来た空間を透明が貫いて、クッキーのように床を抉り取る。砕かれた床が飛び散る中、透明の正体を捉えようと目を凝らした。
理解しながら裁さんを引き連れて、割った窓から外へ走る。広場と、視界を遮ろうとする雨を突っ切るように加速しつつ、左手をブレザーのポケットに突っ込んだ。何度スマホを掴もうとしても上手くいかない感触に、親指以外を吹き飛ばされたのを思い出し舌打ちする。SNSで街に現れた四つの彫刻について検索して、コガネムシ以外の彫刻の形を確かめたいのだが。
ただ、コガネムシに纏わり付いていたトラテープは鉄村の魔術で間違いない。つまり鉄村は異変に気付いているし、今はまだ無事だ。魔術も魔法と同じく、持ち主が死ぬと効果を失う性質を持つ。そして鉄村の魔術をものともせず動き回るコガネムシのあの態度、違法魔術ではなく魔法の仕業だ。
だがコガネムシのあの姿は何だ。ネイルハンマーが独りでに動き回る魔法をかけられているのなら、コガネムシはその上に、巨大化する魔法もかかっている? 魔法使いが持つ魔法の数は、一人に一つが通例だぞ。これじゃあ今街には、二人も魔法使いがいる事になる。
二人。
腹の底から、暗い炎の穂先が覗く。
……いや、帯刀がかけられた魔法は巨大化でも操られるものでもないから、この中にはいない。そんな事よりまずは、裁さんを逃がさないと。
こんな時に一体何を考えてるんだ。いかれてる。
理性を食い潰そうとする憎悪を振り払おうと、前を見据えた。
もう一足飛びで、美術館の敷地外へ出てしまおうか。ここから外への残りの距離は……。約三百メートル。駄目だ。片手しか使えない状態でそんな距離をいきなり跳んだら、支え切れずに裁さんが怪我をする。私一人でなら構わないが、ぶよぶよマンを相手にしていた時のようには動けない。
それにネイルハンマーと同様に、コガネムシが私を無視して裁さんを襲う理由は何だ? どこに私に勝る優先価値が付いてる? 私と同じ学校に通う女子高生で、私と同じ程度の〝患者〟で、同じように苗字が奇抜で……。
「ねえ裁さ……」
堪らず詰問しかけて、最も突飛で説得力を持つ仮説が浮かぶ。
魔法使いとは裁さんの言う通り、何を考えているかも、いつ現れるかも分からない厄介者。でもそんな読めない奴らが、一番集まる場所がある。それがここ、〝不吉なる芸術街〟。だがその理由は土地そのものでなく、この街で御三家が管理するあるものにある。
それは、手に入れた者の願いを叶えると言われる、悪魔の
まさかそれを、裁さんは持っている? 悪魔なんて魔法使いより神出鬼没で、ベテランの魔術師でも生涯目にする機会は無に等しい存在の臓物を?
右手から感じる裁さんの重さが、異様に軽くなった。振り返ると裁さんも強烈な違和感に顔を強張らせ、自身の足元を凝視している。私も引き寄せられるようにそこを見た。
柄を地中に向ける格好で突き出たポテトマッシャーに、バランスを崩した裁さんの左足が押し上げられている。彼女の茶色のローファーで陰になっているが、もうこの短時間で散々目にしたその材質に、ポテトマッシャーの正体を見た。ネイルハンマーやコガネムシと同じくそれは本物そっくりに、黒御影で彫られた彫刻だ。
裁さんの背に、トラテープを引き
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます