26.血塗れティータイム


 視線がレジに縫い付けられた。レジカウンターの背後の白い壁や辺り一面に、血肉を撒き散らして首を失った店員が立っている。かと思えば、ぐにゃりとゴムのように崩れて伏した。


 またトマトが潰れる音が上がる。厨房からだ。レジから引き剥がした視線を向けると、悲鳴が頭の芯まで響く。


 既に真っ赤になった厨房で、首無しの店員が崩れる所だった。調理台に突っ伏して食器や器具をひっくり返し、金属的な騒音を撒く。


 まだ無事な店員らが逃げ出そうと、店外へ駆け出した。それを追うように、調理台付近から飛び出した何かが空を切る。


 その直線的かつ機械的な軌道で漸く我に返り、足元に置いていたリュックをぶん投げた。


 最後尾の店員を庇うように放たれたリュックは何かと激突し、プロボクサーの打撃を浴びたサンドバッグのように容赦無く打ち落とされる。軌道を狂わされた何かは、店の中央辺りのテーブルへ落下した。その間に店員らは、理性が飛んだ叫びを上げて走り去る。


 人のものとは思えない程激しい足音の群れが遠のく中、テーブルに落下した何かの正体を掴もうと見据えた。血塗れになってぬらぬらと光る、ネイルハンマーだ。


 さっき店の前に落ちていたあいつか? つまりあいつが独りでに飛び回って、店員を殺し回ったってのか? 


 いや違う。距離が縮んだ今なら分かる。あれは本物じゃない。石で作られた偽物だ。あのコガネムシと同じ、当然のように本物と見紛うような、黒い御影石で彫られた彫刻だ。


 ネイルハンマーを捉えたまま素早く後退る。そのまま隣の窓際テーブルを横切ると、眼前に迫る大きな窓を左の拳で叩き割った。散乱するガラスに、テーブルで固まっていた裁さんが飛び上がる。


 裁さんへ引き返すと腕を掴み、背中に置くように窓側へ立ち上がらせると腕を離した。そして彼女が座っていた椅子越しに、ネイルハンマーを睨んで告げる。


「窓から逃げて」


 裁さんは、惨たらしい光景で脳が痺れているような、呆然とした声を漏らした。


「え……」


 パニックになって叫ばれるより全然まし。


 説明すれば状況を理解してくれるだろうかと、ネイルハンマーに集中しながら言葉を継ぐ。


「あの彫刻、多分魔法がかけられてる。魔法使いが側にいるんだ」


 コガネムシと同じ、街で見つかった文字化け作家のものと思われる四つの彫刻の一つだろうか? 残り三体の形を調べていないから分からない。でももしそうなら、残りの彫刻にも魔法がかけられている?


 そうだとしてもこのタイミングで動き出した理由は何だ。そもそもどうして誰も気付けない。『鎖の雨』は機能しているのに。


 まさか最初から街に潜んでいた? 七ヶ月前街の中で行方をくらませた、帯刀を襲ったあの魔法使いのように。


 テーブルのネイルハンマーが、ヘリのプロペラのような回転を始める。かと思えば、天井に届く勢いで直上した。


 跳び上がったネイルハンマーを、ジャンプボールのジャンパーのように目で追いながら考える。


 店員が消えた今どこへ向かう? この魔法をかけた魔法使いの意図が読めない以上、こいつもどう動くか分からない。


 もしこれが違法魔術によるものなら、確かに『鎖の雨』には引っかからない。あれは魔法使いを見つける為のものだ。だが程度の知れている違法魔術でこんな真似をしようとすれば、その違法魔術使用者がネイルハンマーの側に現れ、目視でネイルハンマーを操作する筈である。姿を隠したまま常に動いている店員を殺し回るなんて高度な真似、最早魔術や魔法に並ぶ芸当だぞ。


 だが魔法使いだとしてもだ。パニックになって走り回る店員を正確に追って殺そうとした以上、今まさに現場を見ている証拠になる。正気を失った人間がどんな軌道で走るかなんて、予測出来る奴がいるものか。だから必ず、この犯人が違法魔術使用者だろうが魔法使いだろうが、この店の近くにいるんだ。だが客は私達以外に誰もいないし、生きている店員は逃げ出してもういない。他に残された生者なんて……。


 振り返った。


 怯えた表情で固まる裁さんと、目が合う。



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