16.皆大好きウワサの怪物


 やっと落ち着いたのか、腰から手を下ろしたさいさんはぽかんとした。


 開かれた二重瞼の目が、夏の清涼飲料水のCMに起用されそうな天真爛漫な顔立ちを引き立てる。


 たったそれだけの表情の変化で、彼女に圧倒されたのはその溢れる元気と、何度顔を合わせても息を呑む容姿の所為せいだと思い知らされた。


 まずは美術館で咄嗟に投げた視線が、彼女の顔を捉えられなかった理由である高身長。百六十五センチはあるだろうし、手足もすらりとして見栄えがいい。かと言って近寄りがたさや威圧感は無く、第一ボタンの開いた胸元や紺のセーターの裾から覗く短いスカートが、先生に注意を受けない程度にはお洒落をしたいという素直さと、クラスカースト最上層に属しているだろう快活さを覗かせる。……あくまで〝患者〟の症状に過ぎないものを褒めるのはどうかと思うが、手入れの行き届いたストレートロング全体にかかる不規則なボルドーのメッシュが、こうも似合う日本人がいるだろうか。


 まるで別世界の人間だ。そう彼女を絶賛する八高の生徒は後を絶たない。実際目にすれば十二分に頷けるし、街を歩けば雑誌の取材を申し込まれても不思議じゃない。


 まあ口を開けばこの通り、


「あー……。確か、ご自分の苗字が嫌いなんでしたっけ? 厨二病のガキが、ゲームや自作漫画の主人公に喜んで付けそうな苗字みたいで恥ずかしいって」


 かなりのサバサバ系なのだが。


「……いやあの、そんなにハッキリ覚えてるなら言わないで」


 小さい頃から冷やかされてるので、実は結構なコンプレックスなのである。


 然しさいさんは不思議そうだ。


「でもカッコよくないですか? 天喰あまじきって。全国的にも超珍しいですし。私、天喰先輩と出会って初めて聞きましたもん」


「それを言うなら君も相当だよ」


 漢字一文字で成立する苗字なんて聞いた事無かった。ましてさいって漢字が、人名に使われているイメージが無い。


 ……いや、以前にも聞いた事があるけれど、それも聞いた内に入らないようなレアケースだ。教科書で何度も豊臣秀吉を見ている内に、別に豊臣姓って珍しくないよなと錯覚するようなものである。実際に豊臣姓の人と出会う機会なんて多くないのに見聞きしている内に、勝手な親近感と言うか慣れを覚えてしまって。


 裁さんは両手を後ろに回すと、私の顔を覗き込むように上体を傾け笑う。


「いーいじゃないですか。似合ってますよ? 天喰先輩って無気力クールって言うかダウナー系ですから、そういうカッコいい系の方が様になりますって」


「人に麻薬用語を向けないで」


 まして人を柱まで追い詰めた状態で。


 裁さんはびっくりして身を起こすと手を振る。


「えっ!? いやいや、誉め言葉ですって! ダウナー女子って言いません!?」


 私としては意味が分からなくて、眉を曲げた。


「……陰気は誉め言葉にならないでしょ」


 陰キャ女って事じゃん。


 君が同期だったら言葉の暴力で応じてたよ。


 然し裁さんは即答する。


「ロックで言う所のオルタナです」


 面食らって黙り込んだ。


 何だその超分かりやすいたとえ。


「……成る程。ジャンルって事か。ダークヒーローとかダークファンタジーって、確かにカッコいいし」


 裁さんは満足そうにまた上体を倒すと、私を覗き込んでにこっと笑った。


「そういう事です。だからカッコいい系の天喰先輩にピッタリです」


「分かった、分かったよ。それで、何で君はここにいるのさ」


 恥ずかしくなって手を振り話を遮る私が面白いのか、裁さんは身を起こして笑う。


「へへ。それを言うなら天喰先輩だって同じですが。ってまあ皆と同じ、今朝の騒ぎですよ」


 顔の火照りが一気に引いた。


「……もしかして、駅前で違法魔術使用者が捕まったって話?」


 裁さんはぽかんとする。


「えっ? 他にも何かあったんですか? 学校からは連絡来てませんけれど……」


 裁さんはそこまで言うと、ブレザーのポケットからスマホを出して確認し出した。


 今度は私が分からなくなる。


「連絡? そんなのあったっけ?」


 裁さんは顔を上げると、もうびっくりして私を見た。


「んえっ? 学校に連絡先教えてないんですか? その違法魔術使用者の一件で電車が止まったから、授業開始時間を遅らせるって学校から連絡来てましたよ? 交通状態や街の様子を見ながら、午後ぐらいから始める予定だって」


「そうなんだ?」


 私もスマホを取り出すと、メッセージアプリや着信、メールを確認する。


 学校用にと作ったアドレスに、メールが一件入っていた。ざっと目を通すと概ね裁さんの話通り、授業時間を遅らせると書いてある。


 ……普段から通知を切りがちだから気付かなかったのか。スマホってそのままで使ってると、ブーブー煩いから。通知設定をONにすると、今度はちゃんとメールを読む。


「……本当だ。駅前での違法魔術使用者と、その件の少し前に起きた吸血鬼事件を踏まえて、授業時間を遅らせますって書いてるね」


 裁さんは目を丸くすると、思い出したように視線を上げる。


「ああ、ありましたねそんなのも」


「いやいやそんなのって」


 危機感があるとは思えない反応の薄さに、ついツッコミを入れてしまった。


「怖くないの? 違法魔術使用者は捕まったけれど、吸血鬼の方は捕まったの?」


 私怖いけどなあ。吸血鬼は専門じゃないから見た事無いし、吸血鬼に噛まれた人って吸血鬼になるらしいし。


 そうぼんやり考えていると、裁さんは声を弾ませる。


「どこに行ったかも分からない吸血鬼より、捕まえられた違法魔術使用者ですよ。そ・れ・に! その違法魔術使用者、すぐに飛んで来た魔術師に捕まえられたんですって!」


 裁さんはご機嫌になってスマホを操作すると、画面を私に見せて続けた。


「いつも通りメディアへの対策はされてますから正体は分かりませんけれど、今度こそその魔術師は〝一つ頭のケルベロス〟かもしれないって、ネットじゃ朝から盛り上がりっ放しなんです!」


 私はスマホをしまうと、彼女が向けて来たスマホを見る。


 表示されているのは、鉄村が路地で見せてくれたものと同じSNS。世界最大のユーザー数を誇るとか何とか言うそいつにぶよぶよマンを捕まえようとする私の写真が、おばけの薬で変換された姿で投稿されている。何万のいいねや〝#一つ頭のケルベロス〟のタグという見慣れた装飾を施されたそれは、現在進行形で大量のユーザーにより拡散されていた。


 私としては盗撮された写真を見せられているだけなので、どうしたって気分は上がらない。つい繕う事も忘れて、冷えた態度で返してしまう。


「……ああ。そうだね」


 ノリの悪い私を、裁さんは茶化すように笑った。


「もう、テンション低いですよ天喰先輩! 天喰先輩、この街出身なんですからよくご存じでしょう!? この街のどこかに潜んでて、出会えば何でも願いを叶えてくれる、〝一つ頭のケルベロス〟! 正体は本物の怪物とも、この街に住むある魔術師の渾名あだなとも噂されてますけれど、天喰先輩としてはどうお考えですか!?」



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