15.ビックリエンカウント!


 市立美術館は地上二階と地下二階の四階建てだ。展覧会にツアーやイベントで、毎日賑わっているらしい。が、流石に平日の午前となれば静かなもので、早速受付に珍しいものを見るような顔をされた。


 こんな時間帯かつ、二メートル近い筋肉男と青系のインナーカラーを入れた細い女という組み合わせである。まともな時間に現れたって目を引くし、サボっていると思えない平然とした入館だから殊更ことさら目立つ。


 鉄村は早速受付へ向かうと、コガネムシの彫刻をリュックから取り出し事情を説明し出した。コガネムシに近付きたくなくて鉄村がリュックを下ろした瞬間から立ち止まっていた私は、館内を見て時間を潰す事にする。


 コレクション展されている彫刻の一つへ、何となく近付いてみた。


 ……材料は石だろうか? 少なくとも、木ではない。有名なものなのか、そうでないのかすら分からない。私が胸で抱え切れるぐらいの角を削り取られた長方形をして、滑らかな墓標みたいに突っ立っている。


 その隣では壁に貼り付けられた金属製のプレートに、その彫刻と作者の概説が記載されていた。口元を覆うように右手を当ててプレートを熟読すると、その情報を踏まえ、改めて彫刻をじっと見る。……それでもさっぱり分からなくて、つい指の隙間から呟いた。


「……犬に論語だな」


「日本を代表する彫刻家の作品ですよ」


 真横から、鈴を振るような少女の声が囁く。


 不意を突かれた私は酷く驚いて、息が止まって肩が竦んだ。


 咄嗟に声の方へ視線を向けると、私と同じ制服を着た少女が映る。でも動揺に身長差が重なって、胸元から微笑を浮かべる口元と小鼻までしか捉えられない。鎖骨は見えない程度に開けたブラウスに結ばれているリボンタイが青だから、一つ後輩の一年生か。知っている一年生の女の子の顔を思い浮かべながら視線を上げた。


 だがそれは、不要な動きだと気付く。少女が肩越しに真っ直ぐ下ろしている、全体にかけて不規則なボルドーのメッシュが入った緑の黒髪に目を奪われて。


 同じ〝患者〟でもこの髪色を持つ生徒は、校内で一人しかいない。この奇抜な髪色では無く仙姿玉質せんしぎょくしつと言って過言無い容姿で、入学当初から話題になっていたあの彼女だ。でも何でここに? 普通の生徒は授業中だろう。


 尋ねようと、口を開く。


 だが声が出るより先に、彼女に右手を掴まれた。何と彼女はそのまま、すたすたと外へ歩き出してしまう。


 いや、余り離れると鉄村とはぐれる。


 でも美術館という性質上騒ぐ訳にもいかず、どうしたものかとおろおろしていると、あっと言う間に館外へ連れ出された。彼女は出入口の脇で立ち止まると、遅れて足を止めた私へ向き直る。


 いや、外に出たんだから、もう彼女のペースに合わせなくていい。言いたい事は色々あるがまずは、話なら鉄村に断りを入れてからにして欲しいと言わないと。


 彼女が片手に提げている学生鞄と臍辺りまで伸ばした髪が揺れて、翻ったスカートが落ち着く瞬間を狙いながら口を開く。


 行くぞ、「ごめん、人が待ってるから話は後でいい?」だぞ。ん、いや、相手は後輩なんだし、もうちょっと棘の無い言い方がいいか?「すぐ戻るからちょっと待ってて」ぐらいでいいか!? 行くぞ! はい、せーのォ!


「何で天喰あまじき先輩がここにいるんですか!?」


「…………」


 それはあっさりと、大興奮な彼女が発した声に先を越された。


 感情が理屈を超えた、少年漫画な胸アツ展開とも言える。


 私はすっかり気勢を削がれてしまって、ヤケクソのような苦笑を漏らした。


「……あー……。まあ、野暮用、かな」


 超ダサくないか。今の私。


 音を立てられない美術館という場所も大きかったが、出会う筈の無い人と会ってすっかりパニックに陥り出遅れてしまった。


 まあこんな事彼女にとってはどうでもいいし、単に私の脳内で起きた恥ずかしい小事件なので、怒ったり責めるような気持ちにはならないけれど。


 館内ではこらえていたのだろうか、興奮を爆発させる彼女は二重瞼の目を見開く。


「野暮用!? あれだけ絵はやらないって言ってたのにですか!? 今夏全国高校生対象の美術展で、初応募にして優秀賞を獲ったのに!」


 朝からなんてハイテンションで喋れるんだこの子。


 強い雨が降る十一月だ。お互い寒さから、息が白くなっては消えている。だが彼女のは呼気じゃなくて、蒸気そのものなんじゃないかってぐらいの興奮ぷりだ。


 圧倒され、つい後退る。


「あ、ああ。あったねそんな事も……」


「そんな事!?」


 今度は怒りを露わにした彼女は、開いた距離を詰めるように踏み込んだ。


「そんなシャンプー切れたみたいな程度に捉える事じゃないですよ! 高校野球で言ったら、一年生がエースを務めるチームが初の甲子園で優勝したようなものなんですよ!?」


 私は詰められた距離を開けようと、更に後退しながら反論する。


「……チームプレーの野球と、個人プレーの絵は違うんじゃ」


 彼女は私の言葉を遮るように、その長い脚から大股の一歩を放って怒鳴った。


「そこに文句を付けるのならまずは、天喰あまじき先輩自身の偉業を正しく認識して下さい!」


 たったその一歩で柱に背をべったり貼り付けるまで追い詰められた私は、両手を胸辺りまで挙げて叫ぶ。


「分かった分かった! 私が悪かったよ!」


 テンション高い子苦手!


 彼女は私の降参すると言わんばかりの態度を、値踏みするようにじぃっと見た。五秒間は及ぶ品評の末、彼女は満足したように大きく頷く。


「ふむ。そうです。天喰あまじき先輩は、ご自身の才能を腐らせているのです」


「……そうかな」


 つい勢いに押されて謝ってしまったけれど、別に悪い事はしてないんだよなあ。私。


 彼女はちょっとだけ不機嫌そうに唇を尖らせると、両手を腰に当てる。


「そうですよ。勿体もったい無い。挨拶が遅れました。おはようございます。天喰先輩」


 なんてマイペースなんだ。


 振り落とされちまいそうだぜ。


 でも確かに、挨拶は大事。


「……おはよう。さいさん。あと私の事は、出来ればただの先輩か、名前でるい先輩って呼んでくれないかな」



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