07.菫コ縺ッ縺雁燕縺梧ー励↓蜈・繧峨↑縺??


 今頃になって、数台のパトカーのサイレンが聞こえて来る。すぐに正面方向から三台のパトカーが現れて、歩道に入った私達や野次馬を通り過ぎ、トラテープでぐるぐる巻きにされた男の側へ停車した。警官は降りて来るなり男をパトカーに乗せ、無線機でどこかへ連絡を始める。


 あの手際のよさは鉄村が呼んでおいたんだろう。違法魔術使用者を捕まえるのは魔術師の役目だが、違法魔術も犯罪だ。後始末と言った他の部分は、警察の仕事にも入って来る。鉄村が路地に入ったので、様子を窺えるのはそこまでとなった。


 鉄村は雨を凌ごうと、空いた手をひさしにしながら切り出す。


「これはマジの話な? さっき吸血鬼が目撃されたそうで、現場保存の為の交通規制に引っ掛かったんだよ。魔術師だからって理由で警察にも、何か知りませんかって呼び止められるし……」


 今更濡れたって変わらないから鉄村を傘に入れようと、うに自分で歩いて腕を伸ばしては爪先つまさき立ちを繰り返していた私は目を丸くした。


「吸血鬼って言ったら夜に出るもんだろ? あいつらって、太陽の光を浴びたら死ぬじゃないか」


 疲れたように眉を曲げていた鉄村は、私を見下ろす。


「それがこの所の雨で、暫く太陽が出てないだろ? 最近時間帯を問わず増えてんだってさ。こういう吸血鬼とかの、夜に現れがちな怪物による被害」


 私はうんざりしながら、視線を正面へ戻した。


「……あいつら、怪物と魔法使いを混同するなって何遍なんべん言えば分かるんだ。吸血鬼退治は魔術師の専門じゃない」


「まー、やろうと思えば魔術師でも退治出来るからじゃねえの? 違法魔術使用者を見つけて捕まえるのは魔術師の仕事だけれど、そいつを裁くのは法律だし、裁判が始まるまでそいつの面倒は、警察が見てくれるし。向こうの仕事を増やしてる身からすれば、そう断るのは酷に映るぜ」


「怪物退治は狩人の仕事だ。あいつらまで仕事を失くしたら、今度は何が出て来るか分からないぞ」


「そいつもそうだ。ほら、こいつがもう一つの理由だよ」


 言うと鉄村は、路地の真ん中で足を止めた。私も言われたままに立ち止まるが、変わったものは見えない。図体のデカい鉄村とビルの壁に挟まれて、今にも潰されそうな気分になりながら肩をすくめると、改めて辺りを見た。でもやっぱり、ただの路地だ。


「……どれだよ」


 分からなくて鉄村を見上げると、意味の分からない、腹立つにやけ面を浮かべている。


「なぁんだ分からねえのか? これだよ」


 ニヤニヤと顎で足元を指すので、訝しみながらも視線を下ろした。私の黒いローファーと、鉄村の履き慣らした赤いスニーカーの鼻先で、官製葉書はがきの横幅ぐらいもあるコガネムシが這っている。


「ひぃっ!?」


 驚いて飛び上がった。傘を落としそうになりながら、鉄村の背中に回る。


 鉄村は、こらえていたものを噴き出すように豪快に笑った。


「だっはっはっは! お前本当に虫苦手だよなあ!」


「うぅうるさい早くそれ何とかしろ! てか何でそんなでっかいんだそいつ! 絶対イカれた突然変異種だ! しかも雨の日だぞ! アメンボぐらいしか喜んで出て来ないだろォ!」


 それかどっか行ってくれ! 行ったか!? これだけ騒がれたらうるさくてもういないだろ! 


 鉄村の背にしがみついたまま恐る恐る顔を覗かせて、そーっとコガネムシがいた方を見た。


 ……アアアやっぱり見るんじゃなかった普通にそこで停止してるんだけど気持ち悪いぃ……! ……けど、動いて、ない……?


 大粒の雨を受けているのに足一本動かさない所か、身体の色が変だ。あの虫特有の不気味な光沢も無いし、アスファルトに近い灰色をしてる。や、やっぱり突然変異種だ、都会の汚れた空気に毒され人間への復讐の為にやって来たんだ!


「これ彫刻なんだよ」


 鉄村は庇を作ったまま、私が飛び上がった際振り払った方の腕でコガネムシを示す。


「へ?」


「黒い御影石で彫られてんだってさ。台座ごと一繋ぎで彫られてあって、地面を掘って台座ごと填め込んでるらしい」


 鉄村は熊みたいな身体を屈ませると、コガネムシの足元に、太い人差し指を向けた。馬鹿馬鹿動いたらどうするんだ。悲鳴が舌の根までせり上がる。


 だが鉄村は気にしていないようで、指で地面を真横にすーっとなぞってみせた。……確かにコガネムシは動かない。そして気付いたが、鉄村がなぞった位置を境目にするように、地面の色が異なっている。アスファルトが雨で黒ずんでるから、よく見ないと勘違いで済ませてしまいそうな小さな差異だけれど。


 鉄村を傘に入れながらその様を覗いていた私は、僅かに安心して声を漏らした。


「……本当だ」


 鉄村は振り返って来ると、にかっと笑う。


「本物のコガネムシだと思ったろ? ない大きさしてんのに」


 ……確かに、本物だと思って驚いてしまった。ただ虫が嫌いだから同じ形をしたものを見て驚いたんじゃなくて、本当にその大きさをした生きてるコガネムシが、目の前に現れたんだと思って。この正体が石だなんて、まだとても信じられない。


 まだ全身に立った鳥肌が治まらなくて、傘を持つ左手をさすりながら尋ねる。


「……でも、何でこんなものが?」


「文字化け作家だよ。お前も帯刀おびなたに、このストラップ貰ったろ?」


 鉄村はズボンの尻ポケットから、スマホを出して掲げてみせた。遅れてぶら下がる、私とお揃いのステアレザーのストラップが揺れる。


 このストラップは私と鉄村の共通の友人である、帯刀おびなたからのプレゼントだ。文字化け作家とはこのストラップの作者であり、正体不明の人気造形作家を指す渾名あだなである。自身のSNSでのアカウント名と、活動拠点としているオンラインアートギャラリーでの登録名である「菫コ縺ッ縺雁燕縺梧ー励↓蜈・繧峨↑縺??」に由来していて、文字通り文字化けしており渾名でも付けないと呼びようが無い。


 この作家は自分のホームページを持たずリアルでの展示会にも参加しないが、登録しているオンラインアートギャラリーでは常に売り上げ上位を独占しており、アート好きな人々の間では数年前から話題になっていたらしい。特にここ最近は、数千円から購入出来る安価な作品も発表するようになり、流行りに敏い学生まで客層に取り込んでいる。作品発表のみで自身の素性について一切言及しないミステリアスなSNSでの投稿も、注目を浴びたきっかけだとか。兎に角幾ら調べても、分からないそうだ。作品が素晴らしい事以外。



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