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06.遅刻ハゲ


 スマホがバイブで着信を知らせる。左手で男を掴んだまま右手で取り出し、発信者名を見た。


 ……嘆息しながら通話ボタンを押して、耳に当てる。


「もしも」


「悪い遅刻した! 今どこにいる!?」


 食い気味で喋り出した少年の声に、苛立ちを覚えながら辺りを見た。


「どこって……。駅の三番出口の高架線だよ」


 私の語尾に重なるように、電車の走行音が聞こえて来る。


 まずい。そろそろここから下りないと。


「え!? 何て!? 三倍満さんばいまん!?」


 私の声が走行音に潰されたのか、少年は聞き返して来た。


 三倍満って何だ麻雀?


「何でだよ! いやあの、今喋ってる暇が無い!」


 電車は豪雨に掻き消されていた輪郭をはっきりさせながら、もうすぐそこまで近付いて来る。


 飛び降りよう。いや待て。この男を抱えてだから、雑に跳んだら衝撃で怪我をさせてしまう。どうしたものか。地上にはまだわらわらと野次馬がいるから、踏み潰さないように場所も選ばないと。


 おろおろし出す私を他所に、少年はのんびりと笑う。


「いやいや酢豚にパイナップルはナシだろお前~!」


「何が聞こえてんだよお前は!」


「えぇ!? 何て!?」


「うるせえな!」


 怒鳴り返していると眼前に迫っていた電車のライトに、視界を塗り潰された。


 息が止まる。


 何かの束に身を掴まれ、男と共に宙へ攫われた。驚きながら、正体を暴こうと辺りを見る。視力が戻り始めた目に、つるつるとした質感を持つ黒と黄色の縦縞たてじま模様がいっぱいに飛び込んだ。トラテープだ。どこからか現れたトラテープの束が手のように伸びて、私と男を掴んでいる。


 トラテープの束は地上に下りると、男が剥がし、私が填め込んでおいたアスファルト塊の隣で解けた。一本一本バラバラになって離れて行くトラテープ達は、私の正面に立つ少年の背後へ消えて行く。


 その少年は大柄だった。私と同じ八束やつか高校の濃紺のブレザータイプの制服を着て、リュックを背負っている。余りに大柄なものだから、右手で耳に当てているスマホや、左手で差しているビニール傘が妙に小さく見えた。その背丈は辺りの野次馬と比べても、頭一つ分は抜けている。線は柔道部のように太く、浅黒い肌に、モヒカンアップバングの黒髪が雄々しい。顔の作りがちょっと間抜けで、童話に出て来る熊のようだ。


 少年は私と目が合うなり右手を挙げる。持ち上げられたスマホから私とお揃いのストラップが揺れて、少年は口を開いた。


「よっ」


 その顔の、なんとまあ能天気な。


 呆れてしまって、怒る気にもなれず言葉を返す。


「……何してたんだよ」


 生来高くも無いのに更に低くなった私の声が、自分の喉と少年のスマホから流れた。普通でないのは私の聴覚で、少年のスマホの音量は人並みである。


 私は通話を切った。画面に表示された発信者名の鉄村たけるの文字が、通話機能を終了する間際目に残る。そう、あの呑気な熊男こそ待ち合わせ相手の鉄村であり、さっきのトラテープを操っていた魔術師だ。


 鉄村は私が通話を切ったのに気付いて、スマホをしまいながら頭を掻いた。


「いやー、ちょっと道が混んでてなあ……」


「朝の七時から飲み屋街が混むか」


「いやマジなんだって! ここじゃなくて、ここに来るまでの間! 朝から出た吸血鬼の所為で! SNS見てねえのか?」


「見てない。つかこれ。何とかしてくれ」


 左手で掴んだままだった男を、鉄村によく見せるように肩辺りまで持ち上げる。


 鉄村は太い眉を曲げて、困ったように嘆息した。


「はあ。朝から違法魔術使用者なぁ……。そいつもさっき、SNSで見たよ」


 男の辺りの地面から、雑草のようにトラテープが湧き出す。トラテープは男へ伸びると、あっと言う間にぐるぐる巻きにした。便利な魔術である。好きな場所からトラテープを出しては、好きに相手を縛るなり捕まえるなり出来るんだから。


 トラテープの群れは、私がめ込んだアスファルト塊の周りからも現れた。自身を裁縫糸のようにして、填め込まれたアスファルトと道路を縫い合わせていく。トラテープがきっちりと道路を補強する様を見届けた鉄村は、満足げに頷いた。


「ま、応急処置としては十分だろ。怪獣にでも踏まれない限り問題無いぜ」


「出るかそんなもん」


「出るかもしれねえだろもしかしたらァ。ロマンのえ奴だなあ」


 心外そうに返して来るなり、私達を取り囲んでいた野次馬へ目を向ける。……これだけ群がられながら綺麗に私と男を着地させられたのは、野次馬が剥がされたアスファルトに近付くのを恐れると分かっていたからか。確かにあの手の人間とは好奇心を満たしたいのであって、危険な目に遭ってでも状況を知りたいジャーナリストじゃない。生々しい事件事故現場の安全圏の縁に立って、ただ傍観していたいのだ。


 鉄村は嫌そうな顔になって、虫でも払うようにシッシと野次馬へ手を振った。


「おいお前ら、いつまでも撮ってんじゃねえよ。俺達はパンダじゃねえんだぞ」


 私は忘れていた野次馬への怒りが再燃し、辺りを睨みながら左肩を回す。


「そんなんで聞くかよ。見せしめに一匹殴ろうぜ」


 鉄村は私へ横顔を向けると、辺りに聞こえないようボソッと言った。


「あいつらの視線が高架線に向いてたお陰で、電車に轢かれる前にお前の居所に気付けたからダメ」


「うっせえハゲ」


「だーれがハゲじゃハゲてねえだろうがどこもー」


 鉄村は振り返って来ると身を屈め、私の顔に頭頂部を向けて来た。鬱陶しいから押し退けようと空になった左手を伸ばすと、差していた傘を握らせてくる。幾ら私が細身だからって大柄な鉄村も入る程の余裕は無い傘は、私だけをすっぽり覆ってしまった。


 意味が分からなくて、八の字を寄せて鉄村を見上げる。私へ向き直っていた鉄村は、にかっと笑った。


「行こうぜ。ここより面白おもしれえとこなんてどこでもある」


 そう言うと、私の肩に腕を回して歩き出す。


「は? おい……!」


「いやー聞いてくれよ。マジで吸血鬼の所為で遅刻したんだって寝坊とかじゃなくてー。何と更に、もう一つの理由もある」


 全く話を聞く気が無い鉄村の丸太のような腕に捕まり、引きるように連行された。



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