04.カスギャラリー



 待ち構えていたように、男の身体がハンドボール状に分裂した。


 的を失った爪先つまさきが、雨粒を弾いてくうを切る。


 骨や臓器、衣服を細胞核とするように包んだ肉のハンドボール達は、車道を転がって私の背後に集まると一つの塊に戻って身をよじった。もう男と呼ぶのも躊躇ためらうそれは、身体の一部を腕に見立てるように円筒形に変え、右からの横殴りを放つ。私が左足を引き戻すより速く放たれた拳は右肩から頭を捉え、私の身を時計の針のように回転させながらアスファルトに打ち付けようと殴り飛ばした。


 天地がひっくり返って吹っ飛んでいく視界の中、両手を地面へ伸ばす。アスファルトを掴み、殴られた勢いを利用して両足も着地させた。食らい付かせた四肢で男から離れるようにアスファルトを滑走し、拳の威力を削ぎ落とす。地面に溜まっていた雨水が飛沫しぶきを上げ、全身が風を切る音に聴覚が飲まれた。


 だがこの程度、傷どころか痛みにも至らない。歩道上の野次馬にぶつかる直前で削ぎ切って、弾かれるように男へ駆ける。


 すると男の全身から、もやしのようにひょろりとしたに、円錐状のカサを持つ赤黒いキノコが噴き出した。辺りからまた悲鳴が上がり、構わず加速する私は怪訝になって眉を曲げる。


 それマジックマッシュルームじゃないか。この間学校であった、薬物乱用防止教室で見せられたスライドに小さく載ってたぞ。


 これがあの男が使った違法魔術の力か。マジックマッシュルームを栽培する違法魔術なんて使うって事は、そいつに手を出して薬物の売人になったクソ野郎って所だろう。様子がおかしかったのも酒の臭いに混ざっていたキノコ臭も、自分でマジックマッシュルームを食べたのか。


 じゃあ、多少痛め付けても心が痛まない。


 不健全な笑みに、歯が覗く。


 男の懐へ潜るよう踏み込んだ右足が、一際大きく雨水を跳ね上げた。


 拳か蹴りが来る。それまでの私の動きから読んでいた男は、また無数のハンドボールになって躱そうと、より速く身体の形状を変えるべく蠢いた。


 その身を、私の左ストレートが打ち抜く。


 何の捻りも無い、ただそれまで見せた中で、桁違いに最速であるだけの拳だった。


 速さだけで捻じ込まれた打撃が、男を空へ攫うように吹き飛ばす。男はアスファルトに接触する瞬間を狙うように、身体を一つの球状に変化させた。そのまま私の拳の威力を利用するように、着地と同時に跳ね上がる。


 拳を引き戻すと男を追っていた私は、目を丸くした。すぐに込み上げた苛立ちに舌打ちする。キノコが邪魔で狙いがズレたか。今の左ストレートで脳を打ち抜いて、気絶させたと思ったのに。


 だがそれは、キノコが噴き出す前の位置だ。びっしりとキノコにまみれた今の男の身体から、どの位置に目当ての内臓があるかさっぱり見えない。クソ野郎なら多少容赦しなくともいいだろうとギアを上げた一撃で、気絶が取れない理由がこんなものだとは。何でマジックマッシュルームなんて喧嘩の武器にもならない上に罪を重くするようなものを見せびらかすのかと思ったが、きっちり胃を狙って蹴って来た私に対する目隠しか。


 私の拳が生んだエネルギーが、男を五メートル程上空へ運んだ所でゼロになる。男はそのタイミングで、全身からウニのように棘を突き出した。男の着地時に追撃を狙っていた私の頭上に、雨のように降り注ぐ。大きく跳び退ってなした。鼻先を掠めた棘が、前髪と制服に置いて行かれた雨粒を貫きアスファルトに突き刺さる。


 棘は無数の足みたく男を支えると、刺さっている部分のアスファルトを剥がすように持ち上げた。象一頭分はあるそのアスファルト塊を、跳び退って着地したばかりの私の頭上へ投げ付ける。瓦のように軽々と飛んで来るアスファルト塊が視界を飲み、っくに雨で濡れそぼっている背に冷や汗が滲んだ。


 目の前にあるあの駅は、県の要衝だ。無数の地下鉄線も入っており、駅から伸びる各通りの全てが地上と地下で繋がっている。幾ら早朝は人通りが少ない飲み屋街だからと言って、そう簡単にアスファルトを剥がされると交通が麻痺してしまう。


 どこでもアスファルトなんか剥がされたら迷惑だろって? 私だって昔はそう思って同級生の魔術師に喧嘩を売られた際、この辺のアスファルトの一枚二枚剥がすような暴れ方をした。


 そしたら三日ぐらい、街の交通がおかしくなった。近所のコンビニの納品時間は乱れたし、次から次へと駅から降りて来る人は溢れ、あれだけ毎日目にするタクシーが消え失せた。駅に辿り着く前に大渋滞を食らった人々の為に、臨時のバスが狂ったように走り回った。同じ道路の破損でも人口によって被害のレベルは、比にならない程膨れ上がる。


 という前科を負っている身としては、道路に何かされるのは鳥肌ものの恐怖なのだ。まして、自分が捕まえようとした違法魔術使用者の所為せいとなると、責任はある程度私にも向いて来る。


 たとえそれが、正義の為に起きた事故であろうとも! 自分に起きる不都合には文句を付けずにはいられないのが、人間なのだから!


 寒気とやってられなさに苦笑が滲んで、本当なら殴って粉砕したいアスファルト塊へ両手を伸ばす。勢いを殺すように受け止めながら、右足を引いた。同じく上体を右方向へ捻り、流すようにアスファルト塊を道路に置く。



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