03.これでも正義の味方でいたいのさ。


 ……おいおい。


 つい、歯を覗かせて苦笑する。


 男が私を指して、警察だと口走った理由が漸く分かった。


 私が仲裁に入る際傘を閉じたのは、もし男が暴れたり襲って来た時、傘で片手が塞がっていては押さえ付けにくいからだ。要は暴力沙汰を前提とした、迎撃の姿勢である。見る者が見ればこの動きだけで、私が持つ荒事への経験値が平均以上と分かる。つまり男は、私の行動の意味を理解した上で自分の身分を振り返り、勘違いしたのだ。私とは違法魔術使用者である自分を、捕まえに来た警官だと。


 ……何でどう見ても学生であるこの姿を見て、そう思えるのかは甚だ疑問だが。まあ、アホなんだろう。嘆息したいがそんな暇は無い。こちらとしてもただの飲んだくれを相手してると思ってたのに、身体を溶かすなんていう違法魔術使用による心身の影響を披露されては、もう並の荒事と構えてはいられない。


 何せ腐っても殺しの武器。人類史上最悪の犯罪者、魔法使いを退治する為に、魔術師が生み出した魔術を基に作られた紛い物。故に女性が配っていたチラシの通り、誰でも使えるという謳い文句で出回ってはいるが、その危険性は一般人が扱っていい程度を越えているし、一般人が立ち向かってどうこう出来るものでもない。


 男はもう、人の姿を失った。どろどろに溶けた肉は、中型車ぐらいもある赤いスライムの塊となって膨れ上がり、体内では男の衣服と骨と内臓が、散り散りになって漂っている。レンジでホットミルクを作る時、凝固した表面が作る膜みたいなものがくしゃくしゃになって浮いているのは、皮膚だろう。どういう仕組みで発声しているのか分からないが、キィキィと金属的な鳴き声を連続させ、バラバラな位置で漂う眼球を真っ直ぐ私へ向けている。


  知性が消えたような唐突さで、男が跳んだ。車道に飛び出した身を風呂敷状に広げ、私を飲み込もうと雨を弾いて猛進して来る。


 車が突っ込んで来るような迫力に目を見開いた。そもそも傘を往なす為に跳び退っただけなので、私と男までの距離は知れている。だから、男が私に到達する時間とは一瞬だ。


 チラシ配りの女性は腰が抜け、スマホを向けていた野次馬は、足がすくんで動けない。誰も連絡してくれていないようで、パトカーのサイレンさえ聞こえない。ただただ、言葉にならない大小の悲鳴が不規則に上がる中、迫る男の輪郭が影となって私を覆う。


 ならもうこの直後には、ムシャムシャ食われて死ぬんだろうか。それとも私も溶かされてオダブツだろうか。別に、分かっているからいいけれど。人間とは基本的に人間を助けない事ぐらい、高校生にもなれば気付くんだから。でもせめて、それを憂いて嘆息する時間ぐらい、くれたっていいんじゃないか。


 鞭で叩いたような強烈な音が駅前のくうを裂き、男は駅から離される格好でぶっ飛ばされた。


 大通りのまだ騒ぎが広がっていない遠方で、車が走っていないのをいい事に呑気に車道を行くサラリーマン達がいる。彼らの眼前へ男が叩き付けられ、柱のように雨水の飛沫しぶきを打ち上げた。サラリーマンらはパニックになり、飛沫でずぶ濡れになったのも構わず左右の歩道へ散る。


 対して私の周囲は、雨音を残し静まり返っていた。通勤ラッシュに合わせ、三分置きにやって来る電車が高架線を駆けて行く音がやたらと響く。辺りの視線と、野次馬の一部が構えるスマホカメラが捉えるのは、車道の真ん中で痙攣けいれんする男ではなく私。


 視線ってのは常に嫌なもんだ。大方、風呂敷みたいに広がった男の身体に隠れて、私が何をしたのかよく見えなかったんだろう。まずは、男が間合いに入って来るタイミングに合わせ、身体を左へじりつつ、前に出した右足で跳んだのだ。勢いそのまま宙で身体を左回転させ、振り向き様に弧を描いていた左足を、遥か頭上で漂っていた、男の胃へ放ったのである。


 空手で言う所の、胴回し回転蹴り、らしい。体育の授業以外でスポーツも武道もやらないから、詳しくは知らないけれど。鞭で叩いたような音は、蹴りが男に命中した証明だ。


 受け身を取って立ち上がっていた私は、男へ駆け出す。


 本来魔術とは魔術師のものだ。警官にとっての銃に当たるもので、扱うには技術と知識がる。これを品質を落とす形で、誰でも扱えるように作り変えられたのが違法魔術。品質を落とすとは、専門性を低下させた事で武器としての威力も落ちている意味と、使用するとあの男のように、心身を変質させる副作用を受けるという意味を持つ。あんな姿になった男に違法魔術の目的である、メンテナンスも、使用者の訓練も要らないよう作られた銃としての性能を振るう知性が、どこまで残っているのか知らないが……。今が、非常に危険な状態にある事に変わりは無い。持った奴をおかしくさせるだけで、銃は銃だ。


 全く、朝からなんて不愉快なんだ。違法魔術使用者なんてクソッタレの相手をしなければならない事もそうだが、最悪なのはそこじゃない。


 違法魔術の製造者も売人も、魔術師なのだ。違法魔術とは、魔法使いを退治し過ぎて仕事を失った一部の魔術師が、金儲けの為に生み出した最悪の凶器である。今となっては魔術師の仕事とは、激減した魔法使いの退治から、違法魔術の駆逐にり替わってしまった。もう最低だ。どっちが犯罪者か分からない。それでも今を、見過ごす訳にはいかない。ここで無視を決め込める程、私とはプライドの無い魔術師でも、薄情な人間でも無いから。


 加速し続ける足が、風を切って男へ迫る。痙攣する男の身体から脳を見つけると、右足で踏み込んだ。脳震盪のうしんとうを起こしてやろうと狙いを定め、速度が乗った左の爪先つまさきを放つ。



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