第3話友人

 帰りのホームルームが終わり、カバンに教科書を詰め込んでいると、少し離れたとこから鼓がじわじわと歩み寄ってきた。


「やあ楪くん、今日も部室に行くの?」


 そう尋ねてきて、鼓は一つ横の席前でぴたりと足を止めた。


「そう、だけど⋯⋯」


 とりあえず手を止めて、聞かれた事に返答すると、鼓は自慢の茶色い髪を靡かせて見せた。


「やっぱそうだよね〜。ここの教室よりも静かだし、遊ぶにもってこいの場所だもんね」


「うん。けど僕、そういう遊ぶ相手いないから、ずっと一人だけどね」


 僕がから笑いをしながらそう言うと、鼓は突然小さく背中を震わせて、くすくすと失笑し始めた。


「ど、どうかした?」


 素に戻って、声をかけてみるも、鼓は顔を屈めたまま特に反応を見せない。


 鼓とは幼少期からの顔見知りなのだが、人前で大雑把に笑う姿は一切見たことがなく、どこか違和感がある。小中高とクール系な印象で周りからモテていたのに、今はそれの真逆の状態。そうもなったら違和感が覚えて当然だ。


「ね、ねえ⋯⋯どうしたの?」


 鼓の肩に手を添えて、再び焦りの混じった声で尋ねてみた。

 しかし、体温だけが手のひらに伝わって、特に反応は変わらない。

 この突然の状況にどうすればいいかわからず、とりあえず数回声をかけてみたのだが、それでも返答がなく、僕はそっと鼓の肩から手を引いた。


 しかしその瞬間だった、手を引いた直後、鼓はのっそりと顔を上げて、人が変わったような鋭い眼光を僕に向けた。


「楪くんさ、さっきから何触ってんの?」


 呆れたように息を吐いて、鼓はそう口に出す。


「あ、ごめん。これから気をつける」


「ごめんじゃなくてさ、もう君に触れられたんだけど。この服、どうしてくれるの?」


 言ってる意味がわからない。謝ったのに何で服がどうのこうのって話になるのかが。


「鼓くんそれってどう言うこと? 肩に触れちゃった事は申し訳ないけど、それとこれで何か関係あるの⋯⋯?」


 僕が疑問を問うと、鼓は目を薄くして、眉間にしわを寄せた。


「あのさ、僕がやだって言ってるんだから素直に反省しろよ。ずたずた解釈してる暇があるなら、これ、服弁償して?」


 僕が触れた箇所を指でつまんで、鼓は冷酷な視線と声色で僕に言いがかりをつけた。

「屁理屈すぎじゃない?」と不満を押し付けたいところだが、それはやめておいた。                何故なら今の鼓の表情を見てそんなこと言ったら、学校生活に支障が出そうだからだ。

 抜群な容姿で、中身もそれほど親しくなければ、ただの爽やかハンサム王子。こんな揃ってれば、学校での立場が低いわけがない。

 仮に、鼓が学校での立ち位置が低かったとして、この腹黒い性格だ。一人だとしても復讐しにくるに違いない。そういう人なのだ、陸井鼓は⋯⋯。

 僕はゆっくり唾を飲み込んで、機嫌を損ねさせないようにと言葉を選んだ。


「ごめん⋯⋯早とちりした。それとその服、今度買ってきて渡すね⋯⋯」


  緊張で震える声を堪えながら、僕は鼓にそう告げる。

  鼓はそれを聞いて、勝ち誇ったかのようにニヤリと口角を上げ、言葉を発した。


「わかったよ。もー楪くん、ちゃんと人との付き合いは大切にね? 数少ない君の友達だよ? あ、『幼馴染』でもあるね」


「お、幼馴染⋯⋯?」


 まさかここにきて幼馴染宣言⋯⋯今さっきの態度は一体なんだったんだか⋯⋯。

 呆れたため息を漏らしたいところ⋯⋯だったが、流石にそれは空気的にも不味いような気がして、無理やり引っ込める。

 鼓は僕の唖然とする反応を見て、「何言ってんの?」と言わんばかりに首を傾げた。


「え、幼馴染でしょ? だって幼稚園からの付き合いなんだから、これを幼馴染以外でなんて言うの?」


「確かにそう、だね⋯⋯幼馴染だね、僕たち⋯⋯」


「だろ! もーほんと、楪くんは変なところで深く考えるから、焦っちゃうよ〜」


「あははは⋯⋯」


 僕が苦笑すると、鼓はそれを真似るように笑みを浮かべた。

 その落ち着いた表情には、ついさっきまでの傍迷惑な言動を忘れさせるぐらい、心の底から笑ってるように見えた。まぁ、多分気のせいだと思うが⋯⋯。

 数秒、沈黙が続いて、十秒経ったぐらいで鼓が黒板の方に顔を向けた。


「もうこんな時間か」


 独り言かのように、鼓はぽつりと呟く。


「あ、ほんとだ」


 鼓の後を追って、視線を時計に移し、午後四時になっている事を確認する。


「結構会話してたみたいだね。ホームルーム三時半ちょいぐらいに終わったから⋯⋯大体三十分程度かな?」


「うん、そのくらいだと思う」


 僕がそう答えると、突然、鼓は窓沿いに近づいて、僕に背を向けたまま会話を進めた。


「いや〜楪くんと喋ってると楽しくて、時間の流れが早く感じちゃうね〜」


「そう、かな? 結構僕は普通だっけど⋯⋯」


「もー、またそうやって友情を踏みにじるようなこと言って〜」


 くすくすと笑いながら、鼓は窓の手前で足を止め、奥を見据えた。


「おぉ、見てみて楪くん。あの人たち⋯⋯」


 少し楽しそうに言って、鼓は手をホイホイとやり僕を呼ぶ。

 それに応じ、のそのそと真横まで行って、鼓の見ている方に目を合わせにいく。


「なになに」


「ほら、あれ」


 鼓が小さく指さす方向にいたのは、校庭の端で男女二人が向かい合ってるところだった。


「何してるんだろ⋯⋯」


 直球な疑問を口にすると、鼓は自信満々そうに、


「告白だよ」


 と告げた。

 確かにそう言われてみれば、よくある告白シーンのシチュエーションそのものだ。放課後に人気の少ない校庭で男子一人と女子一人⋯⋯それに、ただ会話してるにしてはお互い距離があって、男の方は緊張気味、女の方はモジモジしてるのが一目だけでわかる。

 そういう人の緊張する場面を目の当たりにしたのは初めてのことで、つい目が離せなくなる。


「よくあれだけ見て告白だってわかったね。全く気づかなかった」


 鼓の洞察力を素直に褒めて、それを聞いた鼓はクスッと失笑した。


「まぁね。結構この学校ああいうの多くてさ、たまたま見かける事あるんだよ」


「そうなんだ。でもああいうベタな所見てるとさ、こっちが恥ずかしくなるというか何て言うか⋯⋯そういうのない?」


「⋯⋯」


 突然、鼓は僕の問いに対して返答せず、ひそかに黙り込んだ。

 その違和感にふっと横を振り向いて、夕日をバックに、どこか寂しそうに遠くを見据える鼓の横顔をじっと見つめた。

 僕の視線に気がついた鼓は、一度こちらに目を向けて、再び元の位置に戻し口を開く。


「楪くんの言ってる事、凄いわかるよ⋯⋯見てるこっちが告白されてる気分になって、テンション上がるよね」


「うん⋯⋯」


 鼓の横顔を見つめて、小さく声に出して頷く。


「でもさ、楪くんはそれだけしか思う事ない?」


「え⋯⋯?」


 急に鼓の口から意味深な事を告げられて、つい、素の反応を見せてしまう。

 さっき伝えた以外、特に思うことはないのだが、他にあったのだろうか鼓は。まぁ何回もこういうの見たことあるって言ってたから、その経験からしてさぞかし思う事はあるのだろう⋯⋯。

 あやふやのまま、僕は素直に思ってることを伝える。


「んー特にそれ以外ないかな⋯⋯今日初めて見たし、思う事はさっき言ったまでだよ」


 少しの迷いを交えながらそう告げると、鼓は「やっぱりか」と言わんばかりに口角を上げ、優しく笑みを浮かべた。


「そうだよね⋯⋯ごめん、難しいこと聞いちゃって⋯⋯」


 その言葉に、僕は首を横に振るって、校庭に目線を戻す。


「別に、そこまで気にしてないよ」


「そう⋯⋯」


 さっきまでの勢いを誇ってた鼓は一体誰だったのかと疑いたくなるほど、今の鼓の言動全てが弱々しく、孤独な空気が漂っている。

 やはりあの時、何でも良いから鼓の質問に答えていたら、鼓はその後何て言葉を発したのだろうか。抱いていた気持ちを伝えてくれたのか、あるいは今みたいに若干濁すのか⋯⋯。

 どちらにせよ、何か抱いてるに違いない。そうでなければ、こんな顔はしない⋯⋯。


「ね、ねえ何かあった? さっきから表情暗いけど⋯⋯?」 


 恐る恐る、鼓を視界に入れて、そう聞いてみる。

 鼓と真面目な雰囲気になる事が今までになくて、少し緊張で身体が熱い。


「ん、そうかな。僕はいつも通りだけど」


 鼓は目も合わせてくれず、校庭を一点張りに眺めながら、僕に言葉を返して、つかさず僕も追い討ちをかける。


「でもさっきより外見? 雰囲気? が違う気がするんだけど⋯⋯」


「もう、本当楪くんは面白いな〜僕だって人間だよ? 疲れたりしたら顔が固くなる

くらいあるよ」


「⋯⋯そう」


「⋯⋯あぁ」


 鼓の深々く囁いた声が、耳の奥までしっかり入りこんできて、僕はこれ以上の詮索を断念した。

 結局のところ、僕は何もできないんだと改めて知った。人の心情を探ろうとした挙句、抱えていた問題を解消してあげようなどと、正義感ぶっていた。

 普通に考えたらわかる事だったよね。何でわからなかったのか、自分が心配になりそう⋯⋯。

 鼓は大きく息を吸っては吐いて、両手を上に翳しながら。


「さ、そろそろ行こっか」


 と凝り固まった身体をぐーんと伸ばした。


「そうだね」


 気づけば校庭にいた二人は、木陰で熱いハグを交わしていた。お互い相手の腰に腕を巻きつけて、彼女の方は安心するかのように、彼氏の胸に身を委ねている。

 どうやら告白は成功したみたいで。自分の事でなくとも、何だか嬉しい気持ちになってしまって、心の中で彼らに向け、そっと『おめでとう』と呟いていた。

 暫しの間ニヤつきが治りそうになく、そのまま自席に戻ってカバンを手に取る。そして鼓もカバンを肩に掛けると、目で軽い合図をしてきて、同時に教室から廊下へと足を運んだ。


「いや〜よかったね〜あの彼氏さん」


 夕日の色に染められた廊下を並んで歩きながら、鼓はふわっとした声色で喋り始めて、僕もそれに相槌を打つ。


「あの彼女さんも、最後凄い幸せそうに微笑んでたよ」


「そうなんだ! ほんと、何もかも青春って感じだよね。まぁ僕たちはただ遠くから 

眺めてただけだから、何とも言えないけど」


「確かに。でもそれはそれで楽しかったよ」


「うん、僕も。楪くんとこうして話しながら時間過ごしてくのも、悪くないなーって感じた」


「そ、そお⋯⋯?」


「うん」


 何だよ、やっぱ中身もイケメンじゃんかよ。さっきのほんと何だったんだよ。まったく、身長も高いし、顔もイケメンな挙句、中身までだと? そらぁモテるわけだ。納得だよ納得⋯⋯。

 憎いのか嫉妬なのかはっきりとはしてないが、どちらにせよ晴れない気持ちを表に漏らさない様、平然を装い、外の景色に着目して精神を集中させる。

 しかし、そんなくだらない事をする暇もなく、あっという間に廊下の終わりまでたどり着いてしまった。

 そして鼓がぴたりと止まって、僕も少し遅れて足を止める。


「僕こっちだけど、楪くん部室行くんでしょ?」


「あ、うん」


 すんなり返答すると、鼓は階段に一歩踏み込んで、顔を後ろに振り返らせた。


「じゃあ僕は先に帰えるね。凄い楽しかったよ」


 ぼさっと言い切ってから、鼓は手を横に二回ほど振るった。

 見送るかのように僕も少し離れたとこから、ゆっくり手を振り返す。


「こっちこそありがとね。また明日学校で」


 僕が言い切ると、鼓はズボンのポケットに手を入れ、正面に顔を戻し階段を降って行った。

 鼓の姿が見えなくなったと共に、振っていた手を下ろして、鼓とは逆に階段をゆったりと上がる。

 丁度踊り場辺りで、意図もなく上を見上げた。いつもと変わらない光景に何だか落ち着いて、ほっと一息漏れる。だがそれも一瞬の事で、よくよく見てみると、部室のドアが全開になっていた。普段誰も寄らない限り閉まっているのだが、何故か今日だけは空いている⋯⋯。

 強烈な違和感が身体に走り、慌てて階段を駆け上がって部室に足を踏み込む。

 すると、一つの黒いカバンが机に置かれていて、その奥で独り佇む神名部さんの姿があった。

 神名部さんは窓を開けて、風で靡く髪を抑えながら、外を眺めている。

 声をかけようかとうずうずしていると、神名部さんは何かに気づいたかのようにふっと、振り返った。

 そして、小さく微笑みながら。


「あら、こんにちわ」


 と優しい声色で、そっと声を掛けてくれた。

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