第2話 彼女の謎

数時間後には沈みそうな夕日が部室を照らした。


ここに来るたび、メラメラと燃える上がる夕日を見て、毎回のようにとても幻想的だと感じる。

そんな幻想的で芸術味のある夕日を拝められるのに惹かれた事もあり、いつの間にかこの部室で読書をするのが僕の一日のルーティンになっていた。扉を開けた時に目に入る夕暮れの日、椅子に腰を下ろしてくつろぎ始める時などと、そういった瞬間が今ではとても幸福に感じる。


今日もまた、そんな気楽な事を考えながら一日を過ごしていた。


そしてようやく、その時が今日も来た。


満足したかのように夕日から目を逸らし、持っていた本に目を移す。この期待で膨れ上がる気持ちを今か今かと待ち侘びながら、ゆっくりと一ページを捲ろうとした時だった、バッと、勢い良く部室の扉が開く音が耳に入る。


慌ててそちらに顔を向けると、廊下に一つの人影が佇んでおり、よく目を眩ませると、『神名部結愛』だった。


「あら、どうも」


神名部さんは目を丸くした僕に、そう言い放った。


「え、え、あ、どうも」


何で、何であの神名部さんがぁ! 嘘でしょ! こんな何もないところになんの用

事?


突然の登場に思考が緩み、片言なのが目立つ。確実に緊張してる。心臓バクバクだ。

僕が言葉を返すと、神名部さんは、

「ここが新聞部の部室?」

と、小鳥のように首を傾げながら訊ねてきた。

何かの用事だろうか。そう思いながらも、僕は素直に返答する。


「そ、そうですけど、なぜ?」


「用事よ。それより貴方ここにいるってことは、部員よね?」


「はい、そうですけども」


今あの神名部さんと二人きりで会話してるのに違和感がある。いや、それよりも緊張の方が優って、変な喋り方になってないか気にする。


「じゃあ、この紙を新聞部の顧問に渡しておいて」


彼女はそういうと、部室に足を踏み込み、スタスタと僕の方へと歩み寄ってきた。

すると、何やらバックから一枚の薄い紙を取り出すと、机に置いた。


「なんですか、これ?」


「入部届よ」


ん、今なんて。聞き間違いだろうか? 『入部届』って聞こえたのだけど。まさかね、あのお金持ちの神名部さんがこんな新聞部に入部とはね。流石に聞き間違いか。

彼女に目線を合わせ、再び確認を取る。


「すいません、なんて言ったかもう一度聞いていいですか?」


「だから、入部届よ」


やっぱ言ってる! 入部届って! でもなんでだ?

神名部さんの発言に戸惑いを隠せない中、とりあえず僕は理由を探った。



「えーと、何故?」


「何故って言われても」


「何か理由とかないんですか?」


「そうね、強いて言うなら私が入りたかったからよ」



彼女のその発言を聞いた途端、少しばかり違和感を覚えた。

この学校で新聞部は、『活動がないのに廃部しない』という都市伝説が存在している。神名部さんもこの学校にいる以上、聞いたことはあるだろう。仮に知らなかったとしたら僕は今止めるべきなのだろうか? でもプライド高そうだから嫌われる可能性あるし、何より神名部さんが入部したら一緒にいられる時間が設けられるかもしないし。

逆に噂は知ってても尚、入部したいって告げる理由は何だろう・・・・・・。

少しの間を置き、僕はそれっぽく顎に手を添えながら、彼女に視線を戻して話を進めた。


「入りたいって、新聞部の噂聞いたことあります?」


「えぇ、あるわよ」


「それなのに入部するっていう気持ちになるんですか?」


「なるわね。今まさにそうよ」


「そう・・・ですか」


彼女の言葉に一文一句圧倒され、完敗したような気持ちが押し寄せる。

それで諦めがついたのか、僕はそれ以上口を開かなかった。


まだ神名部さんが言った事を完全に肯定できたとは言えないけど、神名部さんが入りたいと言うなら、僕はそれを尊重するまで。別に彼女の親でなければ、この部活の顧問でもない。けど、やはり心配ではある。こんな訳ありの部活に入部して、周りからの目が変わってしまったらと考えると・・・・・・。そんなの想像するだけでも、僕の気が持たない。


いつの間にか重い想像をしていると、僕の手は無意識に強く握られていた。


「あ、なんで」


そう声を漏らし、戸惑った表情を浮かべた僕を神名部さんは、覗き込み迷いのない目

で見つめた。


「ねぇ・・・・・・」


「ち、ち、ち、近くないですか!」


唇と唇が当たりそうなほどの距離まで、彼女は顔を近づけてきた。

神名部さんの吐息が鼻にかかると、緊張で全身硬くなるのを感じる。それに、彼女の長いまつ毛、キリッとした瞳、フニフニと柔らかそうな唇が視界に入る度、脳が震える。


集中して見てしまう僕に、嫌気が差したのか、神名部さんの目に穏やかさは消えていた。例えるとしたら、ゴミを見る目というか、真顔というか。とりあえず笑っていないことだけはわかる。


「あなた」


やばい、絶対嫌われた。気持ちわるがられた。

半分覚悟を決めて、僕は言葉を待つと共に唾を飲み込んだ。


「面白いわね」


「・・・・・・え?」


想像していた言葉ではなく、つい、素の反応を見せてしまう。

僕が唖然とすると、神名部さんはにヘラと笑い、

「そういう面白い人、私は『好きよ』」

そう言い、彼女は僕から顔をゆっくり遠ざけた。


「じゃあ、その紙よろしくね。また明日ここに来るからここ、開けておいて」


「は、はぃ」


「それじゃあ、さようなら」


「さ、さようなら」


挨拶を交わすと、神名部さんは廊下へと飛び出て、部室の扉をパタリと閉めた。

その後、階段を降っていく足音が徐々に小さくなり、いつも通り部室で一人になった。


彼女が居なくなった途端、静寂が部室内に漂う。

ふと、窓から外を見据えた。当たり前の事だが、来た時よりも外は暗く、部活動で励んでいた生徒の声援も気づけばなくなっていた。

眺めているうちに、脳内に事細かく神名部さんとの会話が流れる。

まさか顔を合わせて、あの神名部さんと会話を交えるとは思いもよらなかった。それに想像してた程クール系じゃなくて、案外お茶目な所が目立ってたのが少し驚き。

まつ毛も長くて良い匂いがして・・・・・・。総合的に可愛かったのを懸命に覚えている。

ぼんやりと思い出に浸っているうちに、ますます外は暗闇に侵攻されている事に気がついた。


「そろそろ帰ろうか」


微かな夕日の光が刺す部室で一人、独り言かのように呟いて椅子から腰を離した。

バッグに持っていた本を放り込み、チャックを閉めて肩に持ち手を通す。机に置かれた紙を取り、部室から廊下へと足を踏み入れた。

ガチャン、と閉まった音を確認し、階段へと向かった。

部室のある三階から一階まで迷う事なく降り進み、一階に着いてすぐ右に曲がる。そのまま一直線に進むと、職員室へたどり着く。

扉の前で一呼吸置き、コンコンと、二回ノックをしてゆっくりと扉を開けた。


「失礼します。二年C組の楪律紀です。田辺先生いますか?」


職員室の中は蛍光灯の光で充満していた。

暗闇の中に居たせいか、少し目を細める。慣れるのに少しばかり時間がかかりそう。

僕が尋ねると、数名動かしていた手を止め、僕に注目の眼差しを向けた。


「はいよー、どうした楪?」


その中で僕の声に反応したのは、丁度用事のあった田辺先生だった。

田辺先生は男性の体育教師で、体育の授業を掛け持ってるだけあり、全身シュッとした筋肉が付いて、体はかなり仕上がっている。髪は黒髪の短髪で、性格も誰にでも隔てなく接していて人から好かれる心豊かな人だ。

前まで田辺先生が来ると、僕はすぐさま神名部さんの入部届を手渡した。


「なに、この紙?」

紙を受け取ると、先生は首を傾げ紙に目を向けた。


「入部届です」


「入部届?」

そう言い先生は折られた紙を広げ、名前に目を通した。


「神名部の入部届か。でも何で楪が出してきたんだ?」

紙を眺めたまま、先生は僕に問いかけた。


「放課後に神名部さんが来て、『この紙渡しておいて』って言われたんで持ってきました」


「あー・・・・・・」

僕が言葉を終えると、先生は何かを思い出したかのように目を見開いた。

それを見て、僕も不意に問いかける。


「どうかしましたか?」


声をかけた途端、呆れたように目を細め、唇をもぞつかせる先生。


「いやぁ、神名部本人から楪のとこに来て、この紙を楪に渡したんだよね?」


「は、はい。そうですけど・・・」


「だよねー」

明らかに何か知ってそうな言動だ。突然神名部さんが入部することを、予め知っていたかのように話を遮っている。

疑いの目を向けるもそんなのに先生は気づきもせず、わざとらしく頭を掻きながらぼんやりと口を開き始めた。


「まぁーとりあえず、楪の方から神名部にこの事伝えといてくれ。それと、明日部室開けておいてくれ」

どうやら話そうとする身振りすら見せないので諦めて、渋々首を縦に頷かせた。


「わかりました」


「おう、じゃあまた明日学校でな」


「はい、しつれいしました」

そう言い下げた頭を上げると、先生は自席へと戻っていった。

背中姿を見て僕もそっと扉を閉め、脇目も振らず昇降口へと向かい、上靴を履き替えた。

靴を履き終え校舎を出ると外はすっかり日が落ちて、構内に光となる街灯が無く、暗闇に飲み込まれている感覚が否めなかった。


「少し寒いな」


五月上旬とはいえ、肌寒い感触が足先まで流れ渡る。

「今年の夏は少し遅く始まるのかなー」などと、怠った思想をしてるうちに僕の足は校門を越し、いつもの帰路に出ていた。

道の端に点々と設けられた街灯が夜道を照らす。それに、まだ春は序盤で辺りに見える花や植物も絶頂に咲き誇っていてる。

この見慣れた風景が、匂いが僕の心を落ち着かせる。一日の疲れを全て洗い流してくれるように。

しかし神名部さんとの出来事だけは洗い流す事はできなかった。少し思い返してみるだけで頭が夏の太陽如く熱くなる。それに、その時の記憶も心情も繊細に覚えていて、忘れるのが無理に等しかった。

原因は言わずとも彼女一人。僕の心に一生の爪痕を残して、それゆえ僕はますます彼女に好意を寄せた。これが果たして良かったのか、あるいは『恋』というものに振り回されすぎなのか・・・・・・。


「どっちだろう・・・」


あまりに迷うもので、つい声を漏らす。

こんなにも人の事で頭を使うのは初めての経験だった。でもだからこそ慎重に自分の気持ちを整理する必要がある。それが今僕のやるべきこと。

理由は僕らしく安易で単純。それほど僕の身体を、心を動かす事があったからだ。

『神名部結愛』

彼女が近くにいる限り、僕はずっと彼女の事を考え、好意を寄せ続ける。たとえそれが叶う恋ではなくとも・・・・・・。

身の引き締まったかのような気持ちで、僕は大きく息を吸っては吐き、一目散に夜道を駆け抜け、駅へと向かった。

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