十一月十四日
それから一ヶ月、二ヶ月と過ぎ、街の景色も次第に秋から冬へと移ろっていくようだ。ぼくたちは再来月の末にでも日本を発とうと準備を進めていた。
そんなある日の午後、ぼくが淹れた二杯目の紅茶を飲みながら、ふと隆一くんが話しかけてきた。
「あのさあ。」
「うん?」
その顔を見やると、彼はわずかに口を開けたままでしばし押し黙って、なにやら心を決めたような表情をしてからもう一度「あのさあ」と言う。
「行宏はさ、どうしておれと一緒にいてくれるの。おれ……おれって、おれってね、いい人間じゃないだろ。わかってんだ、自分でもね。ほら、学生のころなんかさ、行宏と遊んでるときでも機嫌悪くしたらすぐ帰ったりしてさあ。ずっと自分勝手で。わかってんだよ。わかってんだけどな。なあ、行宏……。どうして……どうしてここにいてくれるんだよ。」
それはやっぱり、ぼくに尋ねているような口調ではなかった。彼はうつむき、手の中のカップをそっと握り込む。ぼくは少し考えてから答えた。
「……知り合ってちょっとしたころぐらいに、隆一くんは怒るとキャンバスを投げる、って聞いたんだよね。実際、同級生に投げてるところも何回か見たなあ。でもさ、ぼくには一度も投げなかったよね。……だからかな。」
そう言うと彼はハハハと笑い、ふっと顔を上げた。
「なんだよ、それ。」
「あのね、それに、投げたあと自分で拾うでしょ。なんか……優しいなって思って。ふふ、ぼく、優しい人は素敵だと思うから。」
ぼくの言葉に隆一くんはガシガシと頭を掻く。
「ううん……言ってくれるぜ。おれのこと、優しいなんて思ってるの、行宏ぐらいだよ。」
「そうかな。みんな、わかってないだけなんだよ。きっと、みんなね……。」
そのあと、しばらく二人とも黙りこくっていた。窓の外に晩秋の薄い空が広がっていた。
ふいに、また隆一くんが話し出した。
「そういえば、今年のクリスマス・ケーキ、どうすんの。ホールのやつとか買ってみる? ほら、日本で過ごす最後のクリスマスだろ。」
「いいね、それ。じゃあちょっと大きめのにしようよ。駅前のケーキ屋、もう予約始めてたはずだから、今度注文しに行こう。」
「ああ、いいよ。」
彼は冷めた紅茶をぐっと飲み干す。
「あ、あとさあ、行宏、今月でバイトやめるんだっけ。」
「ん? うん。そのつもりだけど、なんで?」
「あの古本屋にさ、もしオランダ語の辞書とかあったら、買ってきてよ。おれ、英語も少ししかできないし。ハハ……行宏と違ってさ。」
「ぼくも別に、そんなにできるわけじゃないけどね。大学でちょっとやってただけだよ。でも、わかった、次行ったとき買っとく。」
「頼むよ。」
それからはもう会話らしい会話はなかった。けれどぼくはずっと満ち足りた気分のままだった。きっと隆一くんもそうだっただろう。
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