九月九日

「誕生日おめでとう。」

 いつものように向かい合って食卓についているとき、ふいにそう言われた。九月の九日、残暑もまだまだ厳しい朝だった。

「うん。ありがとう。」

 それで会話は終わり、隆一くんもぼくも黙ったまま咀嚼だけを続けた。

 食後、隆一くんは窓辺に座り、なにか物思いにふけっている様子だった。だからぼくは彼に話しかけることをしないで、食器を洗ったり、洗濯をしたり、本を読んだりして過ごした。それはなんだか、空虚に通り過ぎていった今年の夏よりも前の、穏やかでささやかな日々が戻ってきたかのようだった。

 そうする間にすぐ時間は経ち、ぼくは昼食を作るため台所へ行こうとした。すると、ずっと窓際で動かなかった隆一くんが突然立ち上がり、ぼくを引き止めた。

「おれが作るよ。」

 スパゲッティでいいだろ、と言って、隆一くんは台所に立つ。彼が料理する音を聞きながら、なんとなく晴れた空を見ていた。

 そしてまた静かにぼくらは昼食を終えた。隆一くんが作ってくれたのはカルボナーラで、冷蔵庫の中の卵を使い切ってしまっていたから、ぼくは食器を片付けたあとで買い物に出かけた。

 帰ってきたら隆一くんはいなかった。ぼくは万年床の掛け布団の上に寝転んで、床に落ちる陽光をぼんやりと見ながらまぶたを閉じた。

 夕暮れの海を夢に見た。

 嗅ぎ慣れない香りに鼻腔をつつかれて、ぼくは目を覚ました。窓の外から、眠り込んだときよりわずかに傾いた陽が差していて、その下に隆一くんがいた。膝をついて、いつもより神妙な面持ちで、ぼくの顔を見つめていた。

 突然、強烈な色彩が視界に飛び込んできた。驚いて身体を起こしたぼくの鼻先で、何十輪もの薔薇が揺れた。

「行宏。」

 ぼくの眼前に大きな花束を突きつけたまま、隆一くんは言った。

「アムステルダムに行こう。」

 その言葉が、その花が、目の前に広がるすべてが、ぼくらのこの部屋にはあまりにそぐわない鮮やかさで、それがたまらなくおかしくて、ぼくはひどく笑い転げた。

 ぼくがそうやっていつまでも笑うからきっと気恥ずかしくなったのだ、隆一くんは照れ隠しのムッとした顔で花束を叩きつけるように放り出した。ちらちらと花びらが散り、煎餅布団の上に舞い落ちた。

 そして隆一くんはもう一度、アムステルダムに行こう、と言った。ぼくはもちろん頷いた。

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