灰の野鷹

「なんじゃい…こりゃあ…」


 藤右衛門がいつも遠くから眺めていた野鷹の城は巨大な炭の塊になっていた。ここから無事に逃げ延びるのは童の力では無理だろう。となれば、鮎之助は初めから城に籠ってはいなかったのかもしれないと思った。


 下山の数日後、村人たちは庄屋に連れられて武家屋敷の塀の前に立たされている。それを屋敷から眺めて、大勢の家臣をひかえさせているのが新しい領主である。


 「やれ嬉しや。民のお帰りだ」


 陽気にも思えるが、その声からは豪胆な気性がうかがえる。


 「左様ですね殿」


 お付きの武士が話した。


 村の百姓が余所の土地にすべて逃げたと思っていた佐野寛厳さのかんげんは、昨夜の宴で百姓が戻った知らせの喜びを俳句にして家中に聞かせた。「秋寂し…葉は散りよれど…実りあり」すると、一同が大きな拍手で讃えたものだ。


 荒木配下の中でも秀でて武勇に富んでいるようで、城攻めにおいても戦上手を謳っていた。鬼のような容貌に似合わず愉快な男で、百姓を集めた顔合わせで、皆を前にして家臣に狂言を披露させて歓迎したほどである。


 この所領を褒美に戴いた様だが、どうやら三城の城に一番乗りしたのが佐野の手勢によるものらしい。自身でも多くを討取ったようだ。


 「おまえら安心せい。わしは三城よりも天道てんどうを尊び、ゆえに古式ゆかしい侍であると得心するじゃろうからな」


 「まっこと三城とは雲壌うんじょうの差ですな」


 横の男が機嫌をとって、周りの家臣たちも笑っている。


 それから三城の人徳の無さをなじる会話が続いて、藤右衛門たちは肝心の話を待っている。ようやく庄屋が呼ばれると、年貢に関しては検地けんちが終わってからだが、佐野は自ら減らすと言い切った。


 村への帰り道で、何とかやっていけそうだと村人たちは安堵している。


 しかし、藤右衛門は庄屋と鮎之助にどう身を振らせるかで悶着にならざる得ない。この日の夕刻に村を訪ねてきた庄屋は家の戸を開いて、釣った魚を手土産に話があると言い出した。 


 「…言いづらいことじゃが、この者が領地に残るのは危険ではないかと思うのだ」


 板間に腰かけながら、庄屋は早々に本題を切り出した。


 「それを言ったら、ここら一帯は全て危険だろう」


 「うむ、当然そうじゃ」


 「なら…」


 「だからどこか離れた土地にでも出奔しゅっぽんした方が安全じゃと思案するのだよ。佐野は仏門への信仰も深いようでのう、寺に小坊主として入れてしまう手もあるぞ。そこならば手出しはするまい」


 庄屋は自らの身を案じているようで、藤右衛門は今更そんなことを言うのかと少し腹が立った。


 「鮎之助が決めることだ」


 鮎之助に愛着が湧いてきたので、何とか良しなに計らいたい。今一度、下人としないかと庄屋に頼み込んでみたが、まったく取り次ぐ暇もない。


 「…駄目じゃろうな。城下に住むのは危険すぎる、誰かに密告されれば謀反むほんの企てがあろうかと思われ、打ち首にされてもおかしくはないのだ」


 「だが、よその土地に出奔させる当てなどないし、この歳で俗世ぞくせの暮らしを捨てさせるのも不憫だぞ」


 「わかっとる…」


 庄屋は居心地が悪そうに板間で肩をすぼめると、顔を伏せて考え込んでしまった。しかし、いくら考えても良策は沸いては来ない。


 「もう良い、わしが面倒を見ようぞ」


 その様子を見て、藤右衛門ははっきりと断言した。


 「ううむ…」


 庄屋は納得していないようである。


 こうして藤右衛門は元服五年目で、女房も迎えていないのに童を抱える身となってしまったのだった。

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