鮎之助

 木戸をガラガラと開くと、庄屋は孫と小さい弓で遊んでいた。


 「ちょっと良いか?庄屋様に聞きたいことがあるのだが…」


 「ん…、なんじゃい?」


 そう言って姿を現した藤右衛門を見て、振り返った庄屋は幽霊でも見たかのような表情で固まってしまっている。偶然にも指の力が抜けて、矢が的にしていた人形の方へ飛んでいった。


 「なんだい!おっかない顔して」


 その形相にどうしたのかと驚いたが、良く見ると藤右衛門の足元を凝視しているようだ。そこには先程の童が引っ付いて離れない。


 「おおそうだ!この童は山菜を摘もうと歩いている時に見つけたのだが、きっと戦禍を逃れて来たのに相違ない。庄屋様は町民の顔は良く知っているだろうと思ったので連れて来たのだ」


 「その童は…」


 「どこの家の者だろうか?」


 しかし、庄屋は心ここにあらずで、放心した意識を取り戻すのにしばしの時を有した。


 「どうした因果か…、お主が連れているのは三城敏重の嫡男ちゃくなんである鮎之助あゆのすけ様であるぞ」


 「ん…?何だって…、それは…本当か?」


 藤右衛門は驚いて童の顔を見た。


 「わしががあるか?」


 そう言われると、最近に法螺話ほらばなしを吹き込まれた覚えもあるが、このような稚拙な謀りをされたことはない。だとすれば、この童をどうしたものかと庄屋に相談した。


 「三城の一族郎党は城に籠っていたはずじゃが、なにゆえに鮎之助様がここにいるかはともかくじゃな。もし三城が敗北したのだとしたら、荒木は裏切り者の一族だと鮎之助様も許しはしないかもしれぬ」


 「そりゃあ物騒だな。じゃあ、とりあえず女衆にでも預けるか?」


 「そうじゃのう…。幼い童を邪険には扱えんが、荒木もそうだが村の人間が褒美欲しさに、新しい領主様に突き出す心配はないか?」


 「なんと!我々を見損なうなよ」


 藤右衛門は剣幕で喚くように言った。


 「では、村全体で口をつぐむと言い切れるか?」


 しかし、庄屋は真剣な顔で問いかけるのである。


 「お前さんに子はいなかったな?」


 少しの沈黙が流れて、唐突に庄屋が話し出した。


 藤右衛門は何を言い出すのかと思ったが、おぼろげに見当が付いたので、反射的に言葉をさえぎって断りを入れた。


 「なにを言ってる?まさか面倒を見ろと言うのではないだろうな?子はおろか女房とていないし、わしは困るぞ!」


 「お主が拾って来たのだから、何かの縁ではないかのう?」


 「庄屋様こそどうだ。下人としては?」


 「もう十分に足りとるし、城下に住めるわけあるまい」


 談義は半刻に及んだが、まったく埒が明かない。ともかく鮎之助の身上のことは藤右衛門と庄屋の秘密とした。今は合戦がどうなっているのか?この先の世情が分かってから考えるべきだ。


 しかし、それまでは藤右衛門の家でかくまっておけと言って庄屋は譲らない。三城の子だと分かると困った事態になりかねないので、皆にどう説明すればよいだろうかと悩んだ。


 そして、取り敢えずは戦災を逃れた町民の子としたのだった。


 「これで独り身も寂しくないのう」


 「わしに童の世話など…」


 「いや謙遜することはない。もうお主に懐いておるではないか」


 藤右衛門の傍から離れない鮎之助を見て、庄屋は無責任に言った。さとしているつもりのようだが、実に厄介な騒動を背負い込んでしまったのである。


                  ○


 この頃では合戦らしき音は聞こえなくなっていたが、念には念を入れて山村に籠っていた村人たちも、そろそろ麓の様子が気になる。もし敵が去っていたら、いつまでも戻らない村人たちを新しい領主は逃散ちょうさんの罪で罰するかもしれない。


 どちらにせよ流石に戦も終わっているだろう。避難から十日目にして、若衆を中心に麓の状況を探ることにしたのだった。


 万が一、落ち武者たちがここに落ち延びた場合に備えて、村人たちは交代で自衛に当たっており、藤右衛門は山村に残る組になった。

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