「よっこいしょ。…じゃあ今日も採りに出かけるか」


 早朝に籠を背負って家を後にする。


 藤右衛門も山村に留まるために畑の世話をしなければならないが、仕事の合間に寄合所に住まう庄屋の一家に食料を渡していた。当然のように銭は頂いていたのだが、村人が一斉に山に入ったものだから周辺の山菜は早くも枯渇している。


 山が枯れると言って、菜売りをしている女も困っていた。という訳で、少し離れた山の傾斜地にまで、それを摘みに出かけたのである。


 用心のために腰に刀を差して、一人で山中を歩いている。


 「隣村の奴らは大丈夫かな…。まさか、まだ実ってない稲に悪さはしないだろうな?鉄砲の音はやんだが、三城の家来は全て討取られたのだろうか?」


 そんな独り言を言いながら、疲れがたまっていたので欠伸をした時だった。


 「ガサガサ…」


 突然、森の下草の間で何かが動く音がした。ぎょっとして驚いた藤右衛門は何だろうかと思ったが、森の中では鹿や猪に遭遇するのは珍しくもない。それでも自衛のために持ってきた刀に手をかけて、素早く抜刀して構える。


 (…まさか落ち武者じゃないだろうな?)


 落ち延びて隠れていてもおかしくないので、少しの緊張が走る。


 その後も断続的に茂みを揺らす音は聞こえ、草の揺れが大きいので、野鼠などの小さい動物ではないと分かった。しかし、下草の高さから人間でもないようで、茂みから一瞬だが黒い体毛が見えたのである。


 「熊か?食えるものなら食ってみろ‼」


 啖呵たんかを切って応戦すると、その生き物は一気に草むらを掻き分けて、藤右衛門に向かって突進して来たのだった。


 「こい!」


 刀を後ろに振りかぶり、それをなで斬りで裂こうとした瞬間である。茂みから姿を現したそれには、藤右衛門の目には熊ではあり得ない濃紺の柄が見えたのだった。


 「おっと‼」


 既に瞬発力が付いた刀を引くのは容易でなかったが、何とか刃の進路を反らしてかわした。その刹那せつなに藤右衛門は一瞬それをかすったかもしれないと思い、想像される光景から目を反らさないでいられなかったが、振った刀に血は付いてなかった。


 しばらく体が金縛のように動かなくなり、気付けに深呼吸を行う。


 「ふうぅ…あぶねえ」


 藤右衛門は冷や汗をぬぐった。


 下草の合間から姿を現したのは、よくよく見れば小さいわらべであった。今では地べたに倒れ込み、刀の風圧に晒されて心底驚いているように見える。


 着ているのはツギハギの無い綺麗な染物の生地で、この辺りの土地の百姓の物ではない。こたびの戦のせいで城下の町から逃げて来たのだろうかと思った。


 「…お前さん大丈夫か?」


 四歳くらいの男児は何も言わずに震えている。


 「さっきはすまなんだ。熊と勘違いしたのだ」


 しかし、無言のまま地面に座り込んで動かない。


 「親はどうした?」


 「……」


 童はやっぱり何も言わない。


 藤右衛門は幼い童になれていないので困ってしまった。持っていた干し芋をやると口にしたので、童が安心している内にどうしようかと思案する。


 (ここらの百姓ではないのは確かだな。三城の家来の子かもしれないが、恐らくは町民だとすると…、やはり合戦が怖くて逃げて来たのだな)


 童は恐ろしい目にあったように小刻みに震えている。


 荒木の軍勢や周辺の諸将は弱い者に対しても、残虐な行為に及んでいるのだろうか?庄屋が言っていたのと話が違うと思いながらも、このまま童を町に返して、山中で人に会ったと言われても困る。


 乱妨取り目的の山狩りなどされたら村人は堪ったものではない。このまま山菜を摘んでいれないと、来た道を童と共に引き返していった。


 その道中である。


 「昨日は随分と城下の方から煙が上がっておったが、お前の親は無事なのか?」


 「……」


 「戦災はひどいか?」


 「………」


 幾度も尋ねてみるのだが、童は何の反応もしない。


 四半刻後しはんこくご、山村に到着すると村人は隠田に出掛けた後で、なぜか女衆も見当たらなかった。だが、この童が城下の町民であれば、庄屋はきっとどこの家の者か知っているだろう。


 藤右衛門はそのまま寄合所に向かうのだった。

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