村の杞憂

 平穏な暮らしと暗雲低迷あんうんていめいの両端を抱えて、それからも村人たちは戦の予兆を感じないまま、いつか訪れる危機のために家財不足に悩んだのだった。


 そろそろ田植えが近付いている。農鍛冶の職人屋敷からは荷車を押してかまも届けられた。秋にはこれで無事に米を収穫するのかと疑問に思いつつ、それを心から願っているのかは藤右衛門自身も謎であった。


 「どうだいお前ら、商人の大行列にでも遭遇したのか?」


 藤右衛門は城下町から鎌を運んだ村の若衆に訊ねる。


 「いや、いつも通りの閑古鳥かんこどりってもんですよ」


 「なら余所者らしい牢人なんぞどうだ?」


 「一人もいやしないね」


 街道を往来する数を注意深く観察するけれど、どうも増えている様子はない。


 なぜ往来の人々を気にするかと言えば、年長者が村市で流れ者だった百姓から合戦について聞いたらしい。曰く、戦の兆候は領主が戦の物資を調達するために城下に商人を呼び寄せることで、米俵が城内に運び込まれていれば、その杞憂は現実だという。


 支配する側として怪しい浮浪者は領内に入れたくない。しかし、山間の領地なので物資の流れは止めたくない。それでも百姓たちに逃散されたくないので、街道の関所では商人の通行だけを免じていた。


 寄合所での会話の後、村人たちは街道で物資を運ぶ行商や連雀商人を窺う癖がついた。


 しかし、どうしたことか、庄屋は実に気楽そうに魚釣りをしている。


 見かけるたびに藤右衛門は何度となく庄屋に訊ねた。


 「なあ庄屋様よ。敵の軍勢はいつ頃来るのだろうか?」


 このように問いただしても「はてな…、わしに分かるはずなかろう」としか言わない。具体的に誰が攻めて来るのか尋ねても、はぐらかして結局は何も判らずじまいだった。


 「ならば急がずとも良いのか?」


 するどく質問する。


 「いやいや、逃げ遅れたら大変だ。急ぐに越したことはないぞ」


 「しかしいつまでも家財がないと不便だ」


 「それは本当に困りごとじゃよ、いつもお主らには苦労をかける」


 「………」


 「もう少しの辛抱じゃ」


 なんとも煮え切らない態度である。


 先立つ準備もままならないが、何の義理があるのか、目立たぬように少しずつ残りの庄屋の家財を山村に隠しに行くのであった。


 さらに日々が過ぎ去ってジメジメとした季節になった。田んぼの田植えはとうに終わり、稲の成長にも今のところ問題はない。この間になんどか村の男たちは、城の塀を直す作業に駆り出された。


 すでに家財は運び終えたが忙しさに変化がない。


 家財の無い生活があまりにも不便なので、村人たちは不満を漏らしている。独り身の藤右衛門ですら不便なので当然だろう。


 川で釣りをする庄屋を、村の女たちが語気を強めて問い詰める。


 「庄屋さんよ。敵さんの軍勢はまだ来ないのかい!」


 「うむ…、武家屋敷では未だに宴もなく慌しい様子じゃが、…敵の到来となると皆目わからないのう。…どうじゃ一つお主らの神主に神様へ尋ねてもらっては?」


 庄屋は狼狽したように言いながら、竿に餌を付けている。


 「もう尋ねたけどね、はっきりしないから聞いてんだよ!」


 「…きっと余程と雑兵ぞうひょうの集まりが悪いから、もう少し作農に暇が出るのを待っとるのかな?」


 「そうかい!秋までは安堵なら家財を降ろしてもいいね?」


 「そうじゃの…、なら良いのだが。…それでは困るのよ」


 「なんだいそりゃ!」


 その後も煮え切らない会話は続いた。


 「はあ…」


 女たちを焚きつけて、はたから眺める藤右衛門は呆れ顔であった。


 昔からこうしたお人だったが、歳をとってからは輪を掛けて飄飄ひょうひょうとして老獪である。村の者なら掟で罰するが、同じ百姓であっても庄屋には難しい。


 しかし、確かに諸国でも専従の雑兵を抱える村ばかりではなく、昨今の戦には彼らの手が欠かせないとの評判を知っていた村人たちは、庄屋の言葉を一旦は信じることにしたのだった。

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