翁の報告


 藤右衛門たちがボーっと空を見上げていると、あぜ道から一人のおきなが秘かに歩み寄ってきていた。


 「お主たち…、ちょっと良いか?」


 唐突に話しかけられて、村人たちは驚いて首をひねった。


 「何だ!…ああ、庄屋しょうや様か」


 村人たちは驚いたが、長年の知り顔に気を休める。


 その翁は同じ百姓の身分であって、嘉一郎かいちろうという名だった。代々と庄屋を生業としており、この村の年貢も徴収する役目を司っている。三城家の居城である野鷹のたかの城下町に住んでいるが、村人たちとの繋がりは深く、親身な人柄であった。


 今ではせがれに生業を継がせて、村の土地で散歩や釣りをする暮らしで、実に気楽な隠居生活である。かねてより、庄屋と藤右衛門は世間話に花を咲かせる間柄だった。


 「釣り竿も持たずに何の用だい?」


 藤右衛門は遠慮もなく言った。


 「ふむ、ちょっとの…」


 「なんだい。あらたまってさ」


 村の女が笑いながら言うが、庄屋は剣幕な顔で話し出した。


 「主らも諸国の大名が合戦に奔走しているのは存じているじゃろうが、この領地もそろそろ怪しいようでな。城下では諸国の軍勢が攻め寄せるのではとの噂も耳にするようになったのじゃ」


 「そんなこと町屋の者が何で知っとるのだ?」


 「どこの国に睨まれている?」


 村人たちは我も我もと問いかける。


 「それは…のう。城下の町屋には諸国を訪ね歩く連雀商人れんじゃくしょうにんも引っ切り無しに来るからな、いろいろと世間話も耳に入るのだわ。国やら大名は知らんが、武家屋敷からも漏れ聞こえとるぞ」


 庄屋は真剣そうな声色で皆に語りかける。


 「じゃあ、城では戦の準備をしとるんか?」


 「まだじゃが…。皆の者も用心に越したことはない」


 「用心と言っても…」


 どうしたら良いのか分からないので、村人たちは困惑している。


 そこで黙っていた藤右衛門は言い返した。


 「ちょっと待て。わしらは領主の首が入れ替わっても、これまでと同じように年貢米を取られるだけではないか?」


 すると他の村人からも「そうだ!そうだ!」と、同意する声が聞こえる。


 どうせ誰が支配しても高い年貢で苦労させられるのは変わらない。今より高くするのは難しいと思われるので、三城が憎い者はむしろ敗北してほしいと願うだろう。


 庄屋は百姓の感情には敏感な人であるが、表情をこわばらせている。


 「お主ら百姓は田んぼのことしか承知しないじゃろうよ。だが、いくさとは諸国の大名が好き好んで行う物でもない。天下の陰で武家共は富を求めておるのよ」


 「だから、領地を支配する首が入れ替わるだけでは?」


 村人たちは庄屋が何を言いたのか、皆目わからなかった。


 「ううむ…、報奨ほうしょうとして領地が貰えるのは一握りの大将だけじゃぞ。さりとて、くみして馳せ参じる者は武士団やら雑兵ぞうひょうも含めて山のようにおる。奴らは貧乏じゃから大将から戴く銭と敵の首だけでは満足せんぞ」


 庄屋の言葉から村人たちも何やら不吉な臭いを感じ取った。


 「ほう…。ではどうするのだろうか?」


 藤右衛門が問えば、庄屋はまじめな顔で話し出した。


 「お主らが心配しなければならないのは乱妨取らんぼうとりと言うてな。領内から作物はもちろん家財や住民までも財産として奪って行くのだ。百姓であっても自らの領地で作農を行わせたり、下人げにんにするためにさらうようでの、各地を歩く行商人から聞き及ぶ所では、連れ去られた土地で、そこまで酷に扱われもしないとは聞くが…、皆とは散り散りに郷里を離れたくなければ、戦の間は近くの山村にでも身を隠すのが賢明じゃ」


 これを聞いた村人の半数近くは驚いて、もう半数はまだ半信半疑だった。

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