百姓たちの春

 春…、


 空気は少しずつ冬の寒さから解放されて、里山には春の芽吹きを伝えている。


 「はあぁ………。何でこうも腰にこたえるのか?」


 男が田んぼの傍らで呟いた。


 ここに引かれる水路を作っていたので、気怠そうな声の通り全身が疲れ切っていた。声の主は藤右衛門とうえもんと言い、周囲では百姓たちが休息をとっている。


 彼は隣村の生まれだったが、村には自分で耕して食っていけるような土地はないものだから、元服の少し前に人手を求める開墾地に飛ばされたのだ。身内もいないので苦労したが、ここで元服げんぷくを迎えて五年にもなる。


 米の出来はまだ納得できていないが、それでも一人暮らしなので昔より食えてはいた。


 しかし、一人とは寂しいもので、嫁を迎えたいとの意向は寄合所で年長者にも伝えている。それでも、いまだに独り身なのは村に良い年齢の娘がいないからと、子供に残せる自分の農地がないからだった。


 「せめて年貢だけでも下がればな」


 里山に囲まれて村の百姓たちは様々な談議に花を咲かせている。この時期になると、村人たちは田んぼへの水引の段取りや、土を耕すなどの仕事を総出で行うと、休息の度に鬱憤を晴らすように誰もかれも不満を言わないではいられない。


 どの百姓も泥まみれで疲れ切っている。


 「これだけ苦労して稲を拵えても、三城の奴らに七割とられるのだからな。早く秋になって欲しいもんだ」


 村の若衆である三助みすけが呟いた。


 三城というのは領主の三城敏重みきとししげのことである。三城家は何代も領地を治めているが、家来けらいも含めて領民からの評判は芳しくなかった。いくさもないのに高い年貢ねんぐを貪っているし、百姓たちに街道や城を整備しろと労役を強いている。


 その上、侍は滅多にほどこしもしないのだった。


 悪態は大いに盛り上がっている。


 「そうだよな。酒だって年貢が少なけりゃ、もっと作れるぞ」


 藤右衛門は同意するように言った。


 三助は垂れ下がった顔を上げ、望みをかけるように藤右衛門を見た。


 「もしかして、まだ酒があるのか?」


 「否ない」


 空を眺めながら間髪を入れずに答えた。


 「ああ、そうだよな…」


 三助の頭は浄瑠璃じょうるりの人形のように力を抜かれる。


 盛り上がっている気持ちとは裏腹に、このような不毛なやり取りを大した気性もない様子で、草むらに寝そべりながらボソボソと呟いているのだった。


 手に持っている農具や隠している刀で、侍たちに一揆を挑むほどの度胸はない。村を捨てて逃散ちょさんすればよいとも思う。であるが、誰か一人でも置き去りにすれば、村請むらうけの掟に沿ってひどい仕打ちを受けてしまう。


 だけども、誰かが根を上げて寄合所に村人を集め、それでは逃げようかという談議が始まると、なぜか毎度のように最後には胡散霧消しているのである。


 必死に耕した土地に未練でもあろうかと藤右衛門は思っていた。


 それゆえに彼らの反抗となるのは、山中で耕している隠田おんでんの存在くらいで、この米によって村の神社で酒を造っているのだ。

 秋祭りで豊作の神へ捧げたら、その祈祷きとうの終わりには神饌しんせんの酒を飲みあって、不満を紛らわすのが気晴らしであった。

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