第11話 取引
「報告されなかった『治癒する力』か。これは想定外だ」
突然ドアを開けて部屋に入ってきた男は、カツカツと足音を鳴らし、三人が話す机の側にやってきた。
「話は全て聞かせてもらっているよ。アレでね」
男は部屋の隅にあったテレビを指さす。
「ちょっと待て、あなたは誰だ。この部屋には無断で入るなんて___」
明石は席を蹴るように立ち、男の前に立ち塞がる。
「ここに勤めている警察の顔は全て覚えているが、あなたはその中にいない。どこの誰か、教えてもらおう」
「これは失礼。私は山下という。国家安全保障会議の決定で、この度国家公安委員会の下に就くことになった、今回の事件___『超能力者』を巡る一連の事件の担当者になった人間です」
山下と名乗ったその男は、笑みを崩さぬまま明石に挨拶をする。完璧に着こなされたスーツと、撫でつけられた黒髪が特徴であった。
「国家安全保障会議の決定だと……?そんな話は一切届いていないぞ」
「警察庁の上層部は了承済みです。たまたまあなたの耳に入らなかっただけでは?」
「そうか。それは済まないことをした。だが、盗聴とはどういうことだ。それも国家安全保障会議の決定か」
「いえ、これは私の判断です。ですが、盗聴に何か問題でも?」
「なんだと……?」
明石は、明らかに山下に敵意を向けていた。想定外の出来事に、正真もシンジも目を丸くしていた。宮下に至っては、立ち上がったまま口が開きっぱなしだった。
「これは犯罪的行為ではなく、公正な決断のために必要な措置です」
「ふざけるな。警察の建物で、こんな真似を___」
「警察の建物で、私情を挟んだ決断をしようとしていたのは誰ですか?」
山下の質問に、明石が固まる。
先程の明石の、明らかに感情的な様子。あれはどうやら、警察本部の思惑とは異なる話だったようだ。
だが、山下という男は何をしにきたのか。それが分かるまでは、まだ安堵してはならない。正真は黙って、ことの成り行きを見守ることにした。
「君は彼の存在価値を理解していないようだ。彼の処遇は、刑事一人で決められるほど小さくない」
「それは承知している。だが、私は国家の実情を鑑み、最適な判断を下したはずだ。なぜそれを邪魔する?」
二人が顔を合わせるのは初めてのはずだが、まるで会う前からお互いのことを罵り合う仲なのではないかと思うほど、二人の関係は最悪であった。
「邪魔しているのは君の方だ。君は彼をこの社会から引き離そうと考えたのだろう?馬鹿げている。それは最適な判断などではない」
「では、あなたは最適は判断が何か分かっているとてもいうのか?」
「分かっているとも、それを伝えにやってきたのだからね」
そう言うと、山下は正真に目を向けた。明石の真っ直ぐな鋭い目とは異なり、山下の目は穏やかでいて、どことなくモヤがかかっているような目であった。
「初めまして、『超能力者』斉藤正真くん。私は君の意見を尊重したいと考えているよ」
「なっ……!」
突然宣告された、友好的な発言。それが意味するものを理解し、明石は戸惑う。正真は山下の真意が読めず、質問を返した。
「……尊重する、というのは」
「君から提案された、『保護を受け入れる代わりに、外での人助けを許可して欲しい』と言うものを、我々は受け入れる、と言うことだ」
純粋な、賛成意見。山下の口から出たのは、予想を外れた思わぬものであった。明石が固まり、シンジが横で鋭く山下を見る中、山下は話を続ける。
「というより、人助けをやるなら、もっと大々的にやってほしいとすら考えているよ。君が反対しないのであれば、我々は君の行いを支援し、その広報にも手を貸そうと思う」
全面的支援の約束。山下から出た意見は、先程までの明石のそれとはまるで正反対である。明石はワナワナと震えながら、今にも殴りかかりそうな勢いである。
山下はそんな明石を無視して話を続ける。それは既に明石など眼中にないと言わんばかりの様子であった。
「ついでにだが___我々はもう一つ君を支援するプランを用意しているよ」
山下はわずかに微笑むと、話に上がらなかった正真の大切なものの話を始めた。
「斉藤正真くん。君は今、ご両親がどんな状態にあるかご存知かな?」
「______っっっ!!!」
思わず立ち上がる。立ち上がらずにいられるものか。
自分の疎さが恨めしい。なぜ、この1週間、その存在を忘れることができたと言うのか?あの二人がどんな目に遭っているのか、どうして少しも想像しなかったんだ?
山下はそんな正真の焦燥を察し、言葉を続ける。
「お二人は現在、警察庁の手引きで都内のホテルに滞在しているよ。メディアの目に留まっている様子はないが、ストレスは溜まっているようだ。だが、君が活躍した様子を見て、いくらか落ち着きを取り戻している」
「……なぜ、父さんと母さんの話を?」
山下の話に、いくらか安堵したのは事実だ。だが、ここは正真の処遇を決める場である。この場で二人の話を持ち出すのは、些か不適切に思えた。
「取引さ」
山下は不敵に笑い、正真の前に立つ。
正真は身構える。明石の発言にも身構えたが、山下はそれとは別種の「何か」を感じる。
「斉藤正真くん、我々にはこの二人を特別に保護し、心休める場所で休んでもらう用意がある。これまでの家庭の収入と同額の生活保障も行うよ。
___だがその代わり、警察庁を離れてほしい」
山下から提示されたのは、正真にとっては望ましいが___明石にとっては、絶対に受け入れられないものであった。
「おい、何の真似だ。乱入するだけでなく、彼をここから引き離すだと……?」
「そうだとも。既に、内閣府の中にはこの未曾有の事態に対応するため、特別委員会が設置されている。彼には、その組織の保護下に入ってもらい、彼の要望通りの活動を行ってもらう」
「警察ではダメな理由はなんだ?既に万全の体制は整えているんだぞ?」
「ほう?彼を保護するのに、『万全』などと言うものがあるとでも?」
まるで嘲り笑うかのように、山下は明石を貶す。
「彼はその気になればいつだってここを出ることができる。例え日本全ての警察官が銃で武装しても、彼には勝てないだろうね。___ああ分かっているよ、彼は善き人間だからそんなことをしないって言うんだろう?だが、そんな保証はどこにもない」
山下の言うことは理にかなっていた。だが、正真にとっても、明石にとっても、それは受け入れ難い事実である。正真にとっては、自分が扱うことのできない怪物であると言われていることを、明石にとっては自分たちが正真を守ることができないということを、それぞれ突きつけられていた。
「そんな存在に、
山下の意見を、各々が噛み締める。
正真は迷っていた。
父と母を守ってくれる。その話は本当であると信じたいし、それをしてくれるのであれば願ったり叶ったりである。おまけに自分の要望も聞いてくれるなら、それに越したことはない。しかし、それはこれまで自分に真摯に向き合い続けてくれた明石を裏切ることにもつながる。それはそれで、嫌だと思った。
明石は無念さに震えていた。
山下の言うことは実に理にかなった話だ。現代の日本に、超能力者を管理し得る存在などいない。例え自衛隊であっても無理だろうと考えていた。だが、彼と積極的なコミュニケーションを図ることができ、真摯な対応を見せれば、平和的に社会に安寧をもたらすことができると考えていた。だからこそ、ここにきての山下の提案は明石にとって、逆らい難くも腹立たしいものであった。
そして______
「______」
シンジは、ただ静かにことを見守っていた。その表情からは、どんなことを考えているのか読み取ることはできない。
「斉藤正真くん。今日は、特別ゲストを呼んでいる」
山下は正真と明石のそんな胸のうちを見透かしているかのように___話を締め括るにふさわしい人物を招いた。
ドアがガチャリと鳴り、二人の人物が入ってくる。
正真は思わず、駆け出していた。
なぜなら___その人物は、自分の両親なのだから。
「……父さん、母さん」
しばらく使っていなかった言葉を口にした瞬間、思わず涙が溢れそうになった。その涙がなぜかは分からない。ただ、ものすごく大きな温かいものが、胸から顔に上がってくるような、そんな感じがした。
「正真……!」
正真の父も駆け寄り、抱き合う親子。父の目にも、確かに涙が滲んでいた。
10秒ほどの抱擁の後、父が正真の顔をしっかりと見つめる。
「……元気だったか、正真」
「うん、父さんこそ」
「良かった。……ほら、母さんも」
父に遅れ、母もやってくる。部屋に入ってくる前から涙で目が腫れているようだ。よろよろとやってきた母を、正真が抱きしめる。母はすぐに抱擁を返してくれた。
「うぅ、正真、正真ぁ……!」
「母さん、ありがとう」
「正真、ごめんね。あの時、正真のことを怖がったりしてごめんね……!母さん、母親失格だね……!」
「そんなことないよ。俺こそ、ごめん」
親子の1週間ぶりの感動の再会。それは、とても尊きものだ。
明石もシンジも、ただその様子を黙って見ていた。今の自分たちが、そこに水を指す権利など微塵もないことをよく知っていたからだ。
固い抱擁の後、正真は振り返った。
「……山下さん、どうして二人を呼んだんですか」
「単に君を安心させたかった。このままでいさせるのは、君にとっても、ご両親にとっても、精神衛生上良くないと思ってね。こうして乱入させていただいた」
山下の指示で、その後二人は隣の部屋にて待機することとなった。
明石とシンジは、山下がどのようにして話を進めようとしているのか、なんとなく分かっていた。
「さて、どうかな、斉藤正真くん。今、君は全てを決める権利を持っている。警察の元に残り、司法の裁きを待つか、私の元に来てより良い社会のために動くか、それとも___」
「人質ありきでの取引だろ、ふざけやがって」
__________
横から入ってきたシンジの言葉に、顔を
「……君に自由な発言は許されていないはずだが?斉藤正真は特別な扱いにせざるを得ないが、君は違う。彼の行いは結果的に善行だったが、君は違うだろう。何せ、警察が確保しようとしていた人物を1週間もの間、匿っていたのだからね」
「話を逸らすな。僕が喋っちゃダメなら、刑事さんに喋ってもらえばいいだけだし」
そういい、チラリと明石を見やるシンジ。明石は思わぬシンジの乱入に戸惑いつつも、頷きを返した。
「彼の言うとおりだ。正真君、彼の取引は君のご両親を人質に取ったものだ。ろくなものじゃない」
「…………」
正真はわずかに目を伏せる。
「人質などと……あまりにも失礼な言い方だな。警察で対応すれば、もっと良い選択肢を提示できたとでも言うのか?」
「ああ認めよう。確かに、あなたの元での保護の方が、彼にとっては好都合だろう。ご両親のケアも万全であることは疑うまい。だが、彼を野放しにしておくことが、国家のためになると、本気であなたは考えているのか?人類が積み上げてきた数々の積み重ねを、たった一人の少年が覆していいとでも?」
「これ以上は無駄な議論だな。君と私とでは、考え方が異なる。君は彼の存在が、社会の基盤を壊しかねないと考えているようだが。私の考えは違う」
山下は正真を見ると、高らかにこう謳った。
「彼は危険な存在などではない。鍵だ。社会の根底を、根こそぎひっくり返すための、失い難い特別な存在だ。おまけに彼は、善良な心を持ち合わせている。そんな存在を、社会から隔離するだと?全く持って馬鹿馬鹿しい」
「根こそぎひっくり返すだと?……あんたらは、一体何を考えている?」
「言っただろう。無駄な議論だと。ここで君と私が話すことには何ら価値はない。選ぶのは彼だ」
そういい、山下は再度正真に問うた。
正真正銘、最後の問いを。
「斉藤正真君、どちらにするか選んでくれないか?ああ、もちろんだが処遇の内容について変えて欲しい点などがあれば何でもリクエストしてくれて構わない。我々はあくまで、君を尊重するつもりだ」
山下が、明石とシンジが、正真の決断を見守る。
「______」
正真は、先程の二人との抱擁を思い出していた。
普段、ただ過ごしているだけでは、絶対に分からなかったあの温もり。これを今の自分に与えてくれた山下という男には、純粋に感謝している。
だが、明石とシンジの言い分も理解できる。これは家族を人質に取った話だということも理解できる。明石は本気で刑事としての責務を全うしようとし、シンジはただひたすらに正真を守ろうとしてくれる。二人とも、とても真っ直ぐで紳士的な対応をしてくれた。二人の信念は、無下にできない。
でも______
『失い難い特別な存在だ』
この言葉が、どうしても頭を離れなかった。
「山下さん
あなたに、ついていきます」
ほんのわずかな間の静寂が、部屋に訪れた。
「でも、あなたが俺のことを尊重すると言うなら、俺の意見を飲んでくれますか?」
「……もちろんだ」
山下は安心したような、それでどこか勝ち誇ったような顔で、明石は唇を固く噛み締め、そしてシンジは俯いて、正真の決断に反応していた。
「ます、シンジのことを今すぐに釈放してください」
「ふむ、良いだろう。だが、彼の疑惑が晴れるわけではない。それは理解してもらえるかな?」
「大丈夫です。彼を自由にできるのであれば」
明石は、これまで正真の意見は全てシンジから出たものだと考えていた。
だが、今正真が山下に伝えている内容を、シンジが考えたとは考えにくい。性格から考えれば、彼は他人にこうして救われることを嫌う人間のはずだからだ。
「……正真」
シンジは僅かに驚いて、それでいて僅かに悲しさを滲ませて顔で、黙ってやりとりを見守るしかできなかった。
「続いて、明石さんの行動については、一切不問にしてください」
「それもいい。彼が何をするかについて、私は特に関わっていないのだからね」
「……っ」
明石は項垂れるように椅子に腰掛けた。
自分の行動は、確かに刑事としては相応しくないものであった。だが、自分の正義を貫いた、後悔のない行動でもある。本来、そのツケは自分こそが背負うべきだと言うのに___
(彼は、ここに来ても澄んだ人間のままなんだな)
彼の観察眼には、一片の曇りもなかった。
「それと、父さんと母さんへの保護はありがとうございます。ただ、二人に監視の目をつけないでください」
「……」
山下が一転、表情を無に変える。
正真は山下の雰囲気が変わったことを感じたが、恐れずに続けた。
「正直、俺はまだあなたのことを完全には信じていない。会ってまだ数分しか経っていないのでね。だから、俺があなたのことを信じるまでの間は、二人に監視の目をつけたり、自由を奪うようなことはしないで欲しい」
「ふむ。だが、万が一お二人がマスコミなどに嗅ぎ付けられ、付け回されるようなことがあればどうする?」
「その心配は要りません。念の為、二人のいるところに無関係の警備員を付けてくれれば大丈夫です」
「…………分かった。いいだろう」
明石は、山下の言葉に嘘がないことを見抜いている。一見すると、とても誠実な対応だ。だからこそ、例えようのな違和感を感じていても、それをこの場で口にするのは
(この男、何を企んでいる?)
今の明石には、山下が何を考えているのか、想像できなかった。
「他の細かいところは、また後で。俺のこの要求を飲んでくれるなら、あなたのところにいきます」
明石が混乱の中にいるまま、話はまとまってしまった。
「決まりだ。この後は一旦ご両親のことをどうするか決めよう。二人がどこで療養するかを決め終わったら、その後に君の今後の行動について話していくこととしよう。まずは私についてきて欲しい」
山下がそう言うなり、警備員と思わしき人物たちが部屋のすぐ側までやってきた。
「済まない。仰々しい対応だが、一応君は特別な人間なものでね。不快なことはしないよう努力するが、しばらく我慢して欲しい」
「大丈夫です。もう慣れたので」
そう言うなり、部屋を出ていこうとする正真。
それは、山下が入ってきてから、わずか数分後の出来事であった。
「正真」
シンジが立ち上がった。
シンジはいつも何を考えているか分かりづらい人間である。この1週間、濃密に関わり続けてきた正真ですらそう思うのだから、それは明石や山下にとっても同じ話であった。
だが、今のシンジは___確かに焦燥感が現れる様子であった。
正真は立ち止まり___最高の相棒の言葉を振り向かずに聞く。
「……君は、なぜそこまで頑張るんだ」
シンジの問いは
「……なぜ、そんなに背負おうとする」
まるで、過去の出来事に
「……どうして、そんなに大人でいられるんだ」
負い目を、感じているようだった。
「…………決まってるだろ」
正真は、静かに、それでいて強い気持ちで
「……シンジが俺に、道を指し示してくれたからだ」
そう、答えた。
「違う。これは、僕が指し示したかった道じゃない」
歩みを止めない正真に、シンジはさらに言葉を投げかける。
「僕は、ただ___」
ガチャリ。
無常にも、部屋の扉は閉められてしまった。
部屋に残るは、手を伸ばしたシンジと、項垂れる明石とその様子を側から見守っていた宮下のみ。
「______」
こうして、斉藤正真は、新たな道を歩むこととなる。
それから、1週間後。
謝罪の場からしばらく姿を消していた『超能力者ショーマ』が、再び公の場に姿を現した。
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