第10話 提案



翌日。


正真がベッドから起き上がると、そこは無機質な光景の、あまり広くない部屋だった。ベッドは柔らかく寝心地は良かったが、蛍光灯と、窓から白く差し込む日光がこの部屋の無機質さを際立てている。


ここは警視庁本部ビルの中。現在正真はここにて一時保護中という扱いになっている。だが、『超能力者ショーマ』であることの特異性故、行われていることは保護というよりは厳重警戒に近い。実際、部屋の外には何人もの警察官が寝ずに警戒を続けていた。


とはいっても、これは拘束ではない。故に、正真もこの建物の中では自由な行動を許されている。もちろん、常に警察官の同行する、という条件付きだが。朝起きて顔を洗い、トイレに行く。支給されたシャツを着ると、食堂へ朝食を食べに向かった。


食堂では、ちょうどシンジが3本目のコーヒー牛乳を飲み干していた。


「おはよう正真。今日もコーヒーの匂い香る、愉快な朝だね」

「……ああ、うん。おはよう」


彼とはあの小屋で出会い、まだ1週間と少し。

この僅かな期間、二人であちこちを飛び回った。

移動手段に鉄道やバスは使えない。徒歩で移動するか、練習して身につけた飛行で見つからないように飛んでいくしかない。食料はシンジが調達するしかないため、飛んでいった先にあったコンビニエンスストアでシンジがこっそりと購入していた。

寝る場所も、ホテルなどには泊まれない。あの山小屋のような場所や、たまたま見つけた空き家に忍び込んで夜を過ごした。

気が休まる瞬間のない、大変な1週間だった。だが、それをこうして乗り切ることができたのは、間違いなくシンジのおかげだ。

彼がどんな人間なのか、まだ詳しく知っているわけではない。だけど、信頼していいということだけは、確かだと思えた。


「正真、朝食に穀物を食べるのはやめた方がいいぞ。目を覚ました瞬間から穀物に支配される奴隷となるのは、思想上よろしくない。朝は寒さの恵みと熱さの恵みが育んだ最強飲料、コーヒー牛乳で済ますべきだ」


相変わらずよくわからない持論をまくしたて、正真のお盆から白米を取り上げるシンジ。味噌汁と鯖の味噌煮、和えものと茶碗蒸しだけが残ったお盆が正真の前に残される。


「いやいや、ご飯なしは無理だって。これじゃ味濃すぎるでしょ。味覚がおかしくなる」

「とりあえず全部にメープルシロップをかけて甘くすれば大丈夫でしょ」

「そういうことじゃないよ?!いいからご飯は返してくれ!」


シンジからなんとかして白米を奪取し、また取られぬように一気に白米にがっつく。こうして茶碗を持ち上げて食べる白米は久しぶりだった。しみじみとその味を堪能しつつ、食堂で出された栄養バランスの取れた食事を平らげていった。


「ご馳走様でした。……さて」


朝食を終えてからは、昨日の話の続きだ。あの後、正真の要望に頭を抱えた明石は、そのままうなるうちに机に突っ伏してしまった。彼の同僚だという宮下という女刑事によると、ここ1週間はロクな睡眠時間も取らずに仕事を続けていたため、体力的に限界が来たのだと言う。だが、担当が明石である以上、保護対象である正真、そしてそれと同等の扱いであるシンジは明石が回復するまで待っている必要がある。現在は朝の9時。明石は気絶したように眠っているとのことだったため、明石が起きるまでは正真とシンジは与えられた部屋にてゆっくりとこれまでの疲れを癒すことにした。


1週間ぶりの、柔らかなベッド。誰かに見つかる心配もなく心休められる環境は、本当に久しぶりだった。自分の犯した罪について、そして自分が突然こんな運命に放り出されたことには、今でも常に考え続けている。だが、昨日ああして被害者に思い切り感情をぶつけられ、そして言いたいことを言い切ったことで、正真はある程度スッキリした気持ちになっていた。

正真は、ベッドに寝転がりながら、両親のことを思い出す。今頃、二人は何をしているだろうか。明石によれば、宮下の手配の元、被害者による糾弾などから守るために、警察の保護の元でホテル暮らしをしているという。二人も自分と同じような思いをしていると思うと、気が重い。少しでも自分が頑張り、事態をどうにかしなければならない。正真は改めて強い決心をした。





___________





「すまない、ぐっすり寝こけてしまった……」

「いえ、全然大丈夫です。俺も疲れてたので、ゆっくり休めました」


明らかに寝起きの様子の明石が眠気覚ましに、勢いよくブラックコーヒーをすする。


「刑事さん、コーヒーはブラック派?」

「ん、そうだが」

「そうかい。僕らは仲良くできなさそうだ」

「…………」

「シンジ、俺以外に趣味を押し付けないでくれ。恥ずかしいから」

「なんで正真が恥ずかいんだい?」

「いや、それは……」


唐突に非友好的な言葉を放ったシンジに面食らい、微妙になる雰囲気。

正真は呆れ、明石は呆然と、その様子を見守る宮下はうんざりとした表情でシンジを見ていた。


「ごほんっ、まずは昨日の話の振り返りだ。___結論として、君は超能力者として正式な認定を受けることとなる。だが、超能力者をどう扱うかの法律なんてまだできていない。そのため、君自身の意思、そして世論を汲んだ、超法規的な一時的措置として、になるがね」


超能力者という存在を受け入れてくれただけでも、正真にとっては十分過ぎるほどに周囲に感謝ですべきだと考えている。明石の話によれば、もし強硬な意見を持つ輩がいれば、力づくで正真を制圧して拘束する可能性だって十分にあったそうだ。それに比べれば、遥かにマシな対応と言えるだろう。


「この措置が取られても、この後に話す司法上の扱いが確定するまでは、警察庁にて身柄を預かり、保護することとなる。これは君の同意の上での決断だ。___協力してくれて、ありがとう」

「いえ、とんでもないです」


実は警察の内部ではより高度な戦闘能力を有し、有事の際に正真を制圧できる可能性を持った自衛隊に預けるべきだとする意見もあった。自衛隊を動かすというには余程の理由が無ければならないが、正真の引き起こした破壊を見れば、動かすに十分だと考える人間もいるのだろう。実際、政府高官での会話ではそのような意見も出ていたようだ。

しかし、制圧能力よりも、彼の扱いを巡っての世論こそを重要視すべきという意見が勝った。その点において最も柔軟に動くことができ、かつ世論を刺激しない預かり先は警察しかない。

裏でのこうした話は、今の正真にとっては毒かもしれない。そう思い、話を省略した明石だが___表情を見るに、シンジは既に大部分を察しており、正真も何かあったことくらいは感じているのかもしれない。特にシンジの洞察力は昨日思い知らされたばかりであるため、ほぼ確実と言えるだろう。


「そしてこの保護期間中、君は外に出て、この1週間の間続けていた人助けを再開することを望んだ。___正直に言うが、愚かな選択だ」

「…………」

「悪いが、私は絶対に賛成しない。君の力を恐れているというのもあるが、何より今は世論を刺激すべきでない。ネットがないから外の状況が分からないかもしれないが、君は自分がどんな現状にあるか理解しているかい?」

「はい、大体は」

「『突如現れた15歳の少年が超能力に目覚め、力を使って街を破壊してしまった。だが少年は自らの過ちに真摯に向き合い、懺悔ざんげのための人助けを行い続けた。被害者にも面向かって謝罪をし、いつか必ず自らが殺めてしまった人たちを復活させようとしている』。世間の人間が知っている正真の情報はこれくらいだ。違うかな?」

「……その通りだ。だが、この情報をどう捉えるかは大きく異なっている」


シンジの明晰な分析は、明石であっても見たことのないほどのものである。様子を見守っていた宮下は表情をほとんど動かさなかったが、内心では驚いていた。


「ふむ。まぁ概ね二つに分かれてるんだろ。『彼は恐ろしい存在だ。二度と同じことを起こさせないよう、しっかりと裁きを受けさせるべきだ』と、『彼は自らの行いをしっかりと悔いている。社会貢献もしていて、本当に人を蘇られることだってできるかもしれないのだから、彼を支援すべきだ』ってとこでしょ」

「そうだ。もっと直接的な言い方をするのであれば、君を悪者とするか善人とするかで分かたれている」


シンジの指摘は非常に鋭く、洞察も完璧だ。説明の手間が省かれたことを感謝しつつ、明石は重要な話を紡ぐ。


「世論は分かれていて複雑なことになっているが、ここは君がここまで行ってきた善行と、あの誠意ある謝罪を褒めるべきなのだろうね」

「いえ、あれはシンジが考えてくれたことです。何も分からなかった俺に、道を指し示してくれたのは、シンジなんです」

「……彼が、君をあのような行動に導いたのか?」

「はい。だから___俺が善人だっていうのは、間違いです。俺はただ、シンジが教えてくれたことを実践しただけです」

「…………」


これは衝撃の情報であった。チラリとシンジをみやると、シンジは興味なさそうにそっぽを向いている。


「僕が何を言ったにせよ、実際に決断をして行動をしたのは正真だ。あれは全て正真の行動であり、僕の行動ではない。僕に賞賛される権利はないよ」

「……そうか。分かった」


今更ながら、この青年が正真にとっていかに大きな存在なのか理解できた。人を殺め、おそらく気が狂いそうになっていた正真にあのような行動をさせた張本人こそが、シンジなのだろう。その洞察力や、なぜか正真の側にいたことについてずっと疑いの目を向けてきた明石だったが、ここに来てシンジが信頼できる人間だと考え始めた。


「何にせよ、あの行動のおかげで君はただの力ある悪者ではなく、善き心を持った人間として思われるようにもなった。この世論の拮抗が今後どのように変化していくかは、正直予想がつかない」

「もったいぶらずにさっさと話して欲しいもんだ。残りの___『未成年』としての正真についてと、『犯罪者』の正真についての話を」

「______」

「彼はもう、十分に強い。本当に強い心を持っているよ。もう、もったいぶるのはよしてほしい」

「……そうか」


これこそが、今日の話の本題である。


「まずは、『未成年』としての君についてだが___正直言って、メリットになることは何もないよ」

「まぁ、そうだろうね」

「良くも悪くも、君は行動し過ぎた。この段階で、君のことを『十分な判断力を有さない未成年』として守ることは、法律的にもできなくなる。それに、君の存在は年齢という概念を逸脱している。話は既に、君の年齢なんて関係ない段階にある」


街を一人で破壊し尽くし、空を飛び回る存在。破壊されたものを瞬時に回復させ、今や、死者を蘇生させる希望すら持っている存在。

そんな存在を人間社会に組み込まれていいのだろうか?人は空を飛べないからこそ、移動のために様々な技術とルールが作られてきた。壊れてしまったものを元に戻すには莫大なコストがかかるからこそ、必死にそれを守り、万が一壊れてしまっても保険をかけておくものだ。

人間社会の根幹を成す様々な前提を思い通りに覆してしまう存在。それはもはや、


「だから、一番重要な『犯罪者』としての扱いの話をしよう」


部屋全体に緊迫した空気が充満する。明石は、のことを考え、喉をごクリと鳴らして話に臨んだ。


「先に聞いておくが、ここから先の話も予測していたりはするかな?___境シンジくん」

「は、ここで俺に話を振るのは卑怯じゃないかい?まぁ、前提知識は既に教えてある。もし分からないところがあれば僕が補うから、彼の知識量を心配する必要はないよ」

「なら話が早くて助かる。今回の『事件』についてだが___司法関係者の間で話では、これを刑事事件とするか、民事事件とするかで揉めている。要は、君を犯罪者とするかどうかで、意見が割れているんだ」

「……話が割れる?どういうことだ?」


珍しく、シンジが驚きを口にした。正真も、明石の話に目を丸くしている。

明石もここは驚いていた。普通に考えた場合、斉藤正真は間違いなく犯罪者であり、今回の事件は刑事事件として司法の裁きが下ることとなる。

しかし、話をややこしくしたのは、正真が謝罪を行った際に発した言葉である。正真はあの場で、死者を蘇生させるという約束をしたのだ。

もし、死者を蘇生させることができるのなら、正真に裁きを下すのは時期尚早と言える。それは、死者を蘇生させるチャンスを奪うことになりかねないからだ。こんな馬鹿げた話も、彼が大々的にアピールしていた”超能力”によって、現実味を帯びた話として熱心に議論されている。


「……問題なのは、事件の被害者たちの意見だ。実は被害者の一部に、という意見がある」

「な……」


正真は絶句した。その話を聞いて感じたのは、あまりにも複雑な感情であった。

当然、自分の謝罪と決心が正しく届いたことは嬉しい。だが、それで罪に問わないことに関しては、道理に叶っていないと感じた。


「もちろん、それでも罪に問うべきという意見もあるが、被害者の大部分は君を罰することにおいて慎重な意見が増えている。実際に彼らの前で、破壊された家屋を直したことが上手く働いたんだろう」

「なるほどね。そりゃ、簡単に裁くわけにも行かない」

「そういうことだ。被害者の意見を聞かずに、君に裁きを与えることはできない。どのみち、現状では議論を進められる状況にないんだ」


もし被害者の意見も世論の動向も無視して正真を裁いた場合、世論の分断はより激しくなることが予測される。国家を預かる機関に、そんな安直な決断はできなかった。


「それで、だ。これらの議論を前に進めるにあたって、絶対に必要な情報がある。___斉藤正真くん、君は本当に死んでしまった人を蘇らせることができるのか?」

「…………」


これは核心的な問いだった。

ここでの正真の返答が、ここから先の全てを決めるだろう。正真がお願いしたことも、全てはこの質問次第である。明石の目つきが鋭くなっていることからも、ここが核心であることは間違いなかった。


「これは大きな決断になるだろうから、一応言っておく。私は、君に正当な裁きを受けさせるべきだと考えている」

「___!」


明石の告白は、正真とシンジが身構えるには十分な内容であった。


「君が善人であることは、よく分かっている。君に可能性があることも、重々承知している。だが、


側にいた宮下は、この時明石が心の底から声を絞り出していることを感じ取っていた。


「死者を蘇らせる。まさしくおとぎ話のような奇跡だ。それが実現するかもしれないのであれば、誰もがそれにすがろうとするだろう。そうでなくても、君はたくさんの人々に夢を与えた。『もし自分が彼のようになれば、こんなことだってできるんじゃないか』という夢をね」


明石は、過去の自分を思い出す。

周囲よりも、確かに力を持っていた存在。そんな存在がその後どんな生涯を過ごしたのか、明石は誰よりも知っている。


「それは夢でありながら、呪いでもある。たくさんの人に希望を与えるが、その希望の影には、必ず破滅が待っている」

「…………」

「君の力に妬む者は何をしでかすか分からない。君を恐れた人間が何をするかだって分からない」


正真だけでなく、シンジも、明石がいくらか感情を吐露していることに気づいていた。


「だから、君は誰かの目に止まるべきではない。人を助けるのはいいが、それは誰の目にも止まらぬところでやればいい。昨日の君の提案だが、少なくとも私は絶対に認めない」


有無を言わさぬ強い口調で、明石はそう言い放った。


「……随分と感情が籠っているな。認めるかどうかは、あんたが決められることなのか?」

「察しの通り、私にそこまで大きな権限はないよ。できることといえば、『斉藤正真を外に出すことはリスクが高い』と上に報告することくらいだ」

「……!」


少なくとも、この場を担当している明石は今後の正真の処遇を決める上で重要な参考人になる。その人物の発言ともなれば、それ相応の信頼を集めることとなる。


「明石さんが、どんなことを考えているか、何となく分かります。だから、俺も率直に、自分の意見を言います」

「正真、それは」

「シンジ、いいんだ」


明石の覚悟を汲み、正真も意を決する。


「先程の質問についてですが、現段階では無理です。死者の蘇生はできません」

「……そうか」

「ですが、段階的な実験は進めてます。証拠は、没収されたシンジのスマホに入っているかと」

「……何だと?」


明石の目の色が変わる。その目には硬い決断だけでなく___僅かな怒りも混じっているように、正真には見えた。


「宮下さん、シンジのスマホを貸してもらえませんか?」

「……こちらを」


宮下が預かっていた、シンジのスマホ。そこを開くと、いくつかの動画が出てきていた。動画の内容は、正真が生物の死体に赤い光を注ぎ込んでいるものであった。


「最初は、森の中にいた虫とか鳥の死骸を見つけて、蘇生を試みたんです。もちろん、上手くいきませんでした。ですが数日経ち、力の使い方に慣れてからは、弱った動物を元気にするくらいはできるようになったんです」

「……君の力に、そんな治癒効果があるとは聞いていないが」

「はい、。そうすれば、可能性を持たせられるから」

「……」


動画では、森の中で弱っていた捨て猫を癒す場面が描かれていた。どんな理屈かは分からないが、痩せ細り動けなくなっていた猫が、正真の赤い光を注ぎ込まれると、見事に回復し、動けるようになっていた。腹が満たされたわけではないのか、その後シンジが差し出した食べ物をものすごい勢いで食べている。


「動物を癒すことができるようになってます。いけるんじゃないかと思って、この、道端で死んでいたスズメがいたので力をかけてみました。復活されられることはできませんでしたが、傷ついた外見は直すことができたんです」

「それじゃあ___」

「そして、僕の力は僅かな期間で。最初の方は重いものを持ち上げることも一苦労でしたけど、今じゃ重いものを持ち上げて、空中で組み立てることだってできます」

「……このまま力が増していけば、その治癒する力も増し、いつかは死んだ人間を生き返らせる、というのか?」

「はい」


これこそが、正真の用意した最後の切り札である。


「だから、僕に力をつける時間をください。力をつけるには、外で色んな人を助けるのが、最も効率的です」


シンジはこの事態を見越し、この提案を飲んでくれることに賭け、ここまで正真についてきたのだ。正真正銘、ここが正真とシンジの瀬戸際であった。

明石はあのようなことを言った手前、この話だけで納得することに嫌悪感を抱いていた。それに___


(もしこの話が本当ならば、時間が経てば経つほど、彼は制御不能になっていくということにも捉えられる。今の彼は善人だが、今後悪人にならないとは限らない。彼を止めるなら、それは今しかない)


明石の脳内に、そんな思考が走る。どんな決断をするにせよ、彼に力をつける時間を与えるのは、警察としては自殺行為に思えたのである。

故に、明石は決断する。この少年は、やはり外に出すべきではない。現代の人類にとって、彼の登場は早すぎた。明石は、意を口にする。


「申し訳ないが、それは______」


「面白い。時間が経てば力が増す、と言ったか?」


明石が口にしたことは、突然部屋に入ってきた男によって遮られることとなった。






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