第7話 悪意



明石は、未だ堂々巡りから抜け出せない捜索状況に頭を抱えていた。


単独での捜索を開始して、既に二日目。情報収集を宮下に任せ、自分の足であちこちを組まなく見回ったが、一向に手がかりがない。

人の足でどこかへ行ったのであれば、必ずそこには足跡がある。それに事件があった現場は住宅密集地帯であることから、通常なら監視カメラなどに必ず痕跡があるはずなのだ。

だというのに、地域の監視カメラなどを隈なく調べ、交通機関の利用なども調べても、事件が終わった直後の斉藤正真がいた痕跡は残されていない。


(人の足で行ける場所は全て調べた。いよいよ本格的に、に対する捜索活動ではなくなってしまうな……)


そう、この捜査はあくまで斉藤正真が何ら特別性のない一般人であればの話だ。明石はこれまで、律儀に「超能力云々の話はあくまで噂である」という前提のもとで動いていたが、本格的にこの前提を見直す時が来ているように感じた。


(捜査本部での発生原因究明もどん詰まり。通常のやり方での究明は、科学的に立証できなくなったということだ)


科学的に立証できない。それが意味する重大性を、明石は天を仰ぎながら痛感する。

現代のありとあらゆる規則・決まり事の背景には、科学の存在が欠かせない。犯人の撮影映像や指紋が事件捜査に有効なのは、それらが科学的に事件を説明できる手段として使えるからである。災害時の緊急対応可能なのは、災害が科学的に説明可能な代物であり、それが人に対して害をなすものであることが立証できるからだ。


だが、今回の事件は違う。何もかもが科学的に説明できない。インターネット上にて取り上げられている話を抜きにしても、非科学的に強い力を持った「何か」がいなければ、この事象は説明できない。


明石はスマホを開き、SNSでの動向を確認する。「超能力者」という単語があちこちに現れ、時折「斉藤正真」という名前がそのまま出ている。どの投稿にも万を超える反応があり、おまけに英語での発信者も確認される。海外にもこの話が飛んでいるとなると、事態の収拾は難しくなるだろう。何より、このようにして取り上げられていること自体、というメッセージになってしまう。権威失墜を防ぐため、これだけはなんとかしなければならない。


(わがままを言っている場合ではないな。斉藤正真の”一般人”として捜索は打ち切り、大真面目に”超能力者”として扱わなければ)


明石は前代未聞の出来事に頭を痛めながら、宮下と合流するため斉藤夫妻が滞在しているホテルに向かうこととなった。





___________





宮下守理みやしたまもり


刑事局所属の若手女性刑事。そんな存在がどれだけ珍しいケースであるかは、言うまでもない。さらに長い髪をヘアクリップでまとめ、黒いスーツを完璧に着こなし、優雅に佇むその様子は、彼女がいかに「エリート」であるかを否応なく知らしめている。

常にエリート街道を走ってきた彼女にとって「勝利」とは当たり前のものであり、自分が優秀であることに誰もケチはつけなかった。何不自由なく学生時代を過ごし、当然のごとく国内最難関の大学に入学。入学後は飛び級を考えられるほどの成績を叩き出したが、周りの人と違うのはなんとなく嫌という理由できっちり四年勉学に励み、首席で卒業。勉学に励む傍ら、国家公安委員を務める父、裁判官を務める母の期待に応えるべく、刑事になるべく活動を続けていた。大学生の頃には警察の目が行き届かなかった暴行事件の犯人を突き止め、警察の手を借りずに自力で追い込み拘束した経験からも、卓越した思考力の持ち主であることが窺える。最大級の期待を受け、刑事局に入った後は、持ち前のセンスを活かし難事件を次々に担当し、スピード出世を果たす。


そんな宮下だが___今こうしてタッグを組んでいる相手、明石正道を見て自分がいかに矮小な存在なのか思い知らされたのだった。


「宮下、二人は」

「部屋にいます。ちゃんと食事も摂っていますよ」

「……その様子だとなんかあったな。何があった」

明石は宮下の表情を一目見ただけで、状況を把握したようだ。この男の異常なまでの勘の鋭さには、本当に理解が及ばない。スパイの訓練でも受けていたという方が、まだ説得力があるくらいである。


「数時間前、この階に五人ほどの事件被害者が来ました。ネットで拡散された情報を見て、斉藤正真君が犯人であると考えたようですね。その両親に責任の追求を行おうとしたようです」

「っ……!」

「もちろん追い返そうとしましたが、感情的になってて押し入ってこようとしてたので…………警備員と協力してなんとか引き取ってもらえました」

「…………そうか、ご苦労だった」


明石は表情をキツく引き締め、廊下の壁に体を預けた。

分かっていたことだ。当然なことだ。

自分たちを酷く傷つけた加害者を許せない。この考え自体は何も間違っていない。だがこれが行きすぎてしまえば、それは怨嗟の応酬を繰り返す退廃的な社会となってしまうため、加害者を守るルールもまた必要だ。そして正当な裁きを受けさせることが、調和の取れた社会の実現につながる。

だが、災害はこの枠組みに当てはまらない。いくら対策をしようとも、災害は止められない。だからこそ、災害に与えられた傷は、ただ癒すしかない。仕方のないものだと受け入れ、諦め、受けた傷を忘れていくしかない。

例の事件の被害者も、きっとそうして受け入れ、忘れていこうとしていたに違いない。今に執着せず、明日を見ていこうとしたに違いない。

でも、ほんのわずかでも、だということが分かれば、彼らはどうするだろうか。ほんのわずかでも、自分が受けた傷が意思なきものではなく、意思あってのものだと考えたら、どうするだろうか。


___その結果は、宮下の報告が全て証明してくれてしまった。


(このままでは、パニック状態になった人が二人を傷つける最悪のケースだって起きうる)


涙を流していた少年の両親を思い出し、明石は胸を痛めた。


「今夜にでも、別のホテルに移らせよう。ずっとここにいるのは危険だ。ここからは徒歩で行けない距離にあるホテルを調べておいてくれ。あと、出る時はタクシーじゃなく、裏口から俺の車で送って欲しい」

「分かりました。……って、車借りていいの?」

「何回も運転したことあるだろ。鍵やるから、頼む。あと、着いたら警備員を二人は配置してくれ」

「あなたは?」

「報告と引き続きの捜索だ。そろそろ上も、捜索が重要だと気づいてる。その前になんとか見つけないと……」


明石はそう言うなり、鍵を渡してそのままそそくさとどこかへ言ってしまった。一人残された宮下は、不満げな様子で独り言を呟く。



「……私も一応、エース刑事なんだけど……」





___________





明石正道は、地方にある裕福な家庭で生まれた。


実家は地方都市にある建設会社。地域に根ざした建設業を営んでおり、自宅は広々とした2階建ての屋敷だった。

父が社長を務めている他、親戚も多くがこの建設会社の社員であり、全員がそれなりの役職を持っていた。正月になるといつも多数の親戚が集まり、広い屋敷が狭く感じるほど人でいっぱいになった。親戚の多くは優しく接してくれて、子供だった明石はたくさん甘やかされて育った。いつも誰かに囲まれていた屋敷での生活は嫌いではなかった。


だが、明石が学校に行き始め、年齢的に善悪の判断ができるようになると、段々と周囲の状況は変化した。自分が与えられていたものが特別なものであり、自分以外の子供たちはそれを与えられていないことを知った。子供たちが交わすなんとなくの会話の中で、段々と明石は自分が恵まれた、特別な人間であることを思い知らされた。

皿いっぱいに盛り付けられた料理も、走れるほどに広い家も、足りなくなったものをすぐに買い足せることも、綺麗な新品を使えることも、全て特別なことであったのだ。


この時から、明石は正義感の強い少年になった。自分が余計に与えられたものは、それを持っていない者に与えるべきだと思った。与えられなかった者を憐れみ、自分が与える側に回ることこそが正しい行いだと考えた。勉強もでき、体も動かせたため、友達の宿題をたくさん手伝ったし、体を動かすボランティアにはいつも参加していた。クラスで起きた喧嘩を止めるため、殴られても間に割り込んだりもした。


幼心おさなごころなりに決心したこの正義感は、それからも続いた。周囲の人間が将来に目を向ける中、明石だけは己の正義だけに目を向け続けた。

家族にはそんな行動を心配されたが、その心配すらも明石は「特別に与えられているもの」だと思った。家族に感謝しつつ、自分を擦り減らしてでもなすべきことがあると考え続けた。


だが、周囲が明石に向けた目は、感謝ではなかった。いつも自分たちを助けてくれる英雄。そんな少年に与えられたものは、感謝でも賞賛でもなく___侮蔑と嫌悪だった。


明石はいじめられるようになった。綺麗にまとめた私物を荒らされること日常茶飯事であり、弁当を盗まれたり、服や靴を隠されたりもした。陰湿な嫌がらせでは飽き足らず、直接的な暴力を向けられることだってあった。「気持ち悪い」という理由でとりあえず殴られ、「うざい」という理由で蹴られた。教科書で殴られることもあれば、スポーツ用具で殴られることもあった。教師が大慌てで助けてくれたりもしたが、そこにあったのは生徒を思いやる心ではなく、地域の有力者の息子がいじめられているという事実への対処に慌てた、大人の心であった。


彼が与え続けた善意は、反転した悪意となって、彼の体と心を破壊し尽くした。10代の少年に対し、その悪意は十分すぎる変化を与えた。かといって、幼い頃より育まれた、誰かを助けてあげたいという思いまでが消えたわけではない。


明石は、助ける対象を臆病なほど用心深く観察するようになった。その人間が助けるに値するのか、その人間が本当に助けを必要としているのか、注意深く観察し続けた。例え目の前でその人間がいじめられていたとしても、その人間が助けを欲していなければ、助ける意味はない。例え目の前で社会の理不尽に怒りを感じる人間がいたとしても、その怒りを周囲に撒き散らして終わるだけの人間には救う意味がない。


こうして明石は、身体的な技能とすら言えるような、を手に入れた。例えどんな辛い被害に遭ったとしても、その人間が救う意味のない者だと分かれば、救済は諦めた。どんなに役職がすごかろうと、その人間が尊敬する意味のない者だと分かれば、関わるのはやめた。



正義を貫いた少年が手に入れたのは、悪を退治する力ではなく、皮肉にも悪意から逃げおおせるための目であった。


そんな明石だからこそ、初見で斉藤夫婦が悪人でないことは見抜いていた。


裏に悪意を隠している人間は、あんな涙は流さない。あんなに怯えない。あれは救われるべき人間である。そしてその二人に育てられた少年もまた同じだ。見聞きした話だけでも、彼がまともな人間であることくらいは読み取れた。力があるかないかは重要ではない。明石にとって重要なのは、であり、結果論は後回しにすべき者である。


車を飛ばしながら、明石は捜索を続けた。





___________





「刑事事件としての捜査を開始……?どういうことですか?」

「言った通りだ。今回の事件___呼びにくいから、船橋爆発事件と呼ぶ。この事件には警察としても最大級のリソースを割いた。アリ一匹逃がさないくらい隈なく周囲を調べたし、専門家や研究機関も総動員して原因分析にあたった。その結果が、”自然災害の可能性0” であり、”不慮の事故の可能性0”だ」


自然によるものでもなく、不慮の事故でもない。もしそうなれば、それ以外の原因など、一つしかない。


「……何者かによる、人為的な破壊行為。そう結論づけられたのですか……?!」


明石の声が大きくなっていく。

捜査開始から、既に五日経っている。既に世間からも事件の悲劇が忘れられかけている中決まったのは、明石にとってはあまりにも受け入れ難い事実であった。


「上だって馬鹿じゃない。ネットのフェイクニュースとして処理するにしては、証拠が多すぎる。どんな技術を使ってもどんな論理に基づいて調べても無理なら、こうするしかなかろうよ」

「警察組織が、こんなことを断言してしまうと言うのですか。……15、と」


ベテラン刑事の後藤はタバコを一服しながら、明石のを見てこういった。


「一言足りねぇな。15歳の、、だ」

「っ……!」


その言葉が刑事から出ることの意味は、想像を絶する。国家の治安を守るために働く法の番人。それが超能力の存在を認めた、という意味になる。



会議室にて始まった刑事たちの会議は、未曾有の事態に陥った混乱により、進みが非常に遅くなっていた。


「信じられん。何十年も生きてるが、超能力なんて見たこともない。そんな非科学的なものを認めろと?」

「そうではない。状況なのだよ。世間の声がどうなっているかを知らないのか」

「五日も経っているが、超能力者実在の話は全く衰えずに広がっています」

「事件の被害者の証言があるのがきっかけだな」

「おまけに警察の捜査が進まない様子があちこちで報道されちまってる。もう既に気付かれてんだよ。警察じゃ、この事件はどうにもできないってな」

「それが話に尾ひれをつけている原因かもな」

「専門家による調査はこれで打ち切りなのか?」

「打ち切りではありませんが、効果が薄いため、続ける意義がありませんね」


刑事の大半は頭を抱えて混乱している。無理もないことだ。相手がただの殺人犯であれば、対処は早かった。テロリストであれば、対応方法に目処はついた。

だが、超能力者を相手とした対処をこの場で必要とされることは、流石に想定外だったのだ。


「焦らしているみたいだが、もう本格的に話を進めるべきではないかね。___超能力者、斉藤正真についての話を」

「ちょっと、待ってください……!」


明石がガタンと音を立てて立ち上がった。その表情は焦りが見えつつも、確かに怒りの感情が見え隠れしている。


「それは___彼を、斉藤正真を、事件の犯人として捜査するということですか?!」


明石の激情のこもった問いに答える者は現れない。だが、会議室を覆った静かな沈黙と、前に座る刑事たちの表情が、明石に答えを返していた。


「……ふざけています。既に社会的なリンチにあっている人間を保護するどころか、犯人として追い詰めようなどと___」

「おい明石、冷静になれ。俺たちは斉藤正真をどうするかなんて話していない。第一、そんなのここじゃ決められん。だがよ、そいつを探し出すのはなんとしても必要だ。お前だって創作してるんだろ?」


後藤の声がかかり、明石を宥める。後藤は明石と人となりをよく知っている。明石がこんな時に、どう思うかについては、本人の次に知っている。


「ええ。現在、斉藤正真は行方不明の状態にあり、既に1週間近くが経過しようとしています。事件の被害者である線も調べましたが、彼のような怪我人、あるいは死傷者は確認されていません。事件で死体が残らずに消えてしまう可能性も考えましたが、爆発の様子からして、死体が跡形もなく消えることは考えづらいです。現に、爆発地点だとされる場所のすぐ近くにいた女性___斉藤正真の母親は擦り傷などの軽傷しかありませんでした」

「爆発地点に母親か。疑いが強まる情報しか出てこないな……」

「言い方を考えろ。現段階で分かっているのは、”事件を起こしたのが斉藤正真の可能性がある”ってだけだ。可能性がなくはないが、今はまだ斉藤正真は犯人じゃねぇ。軽々しく”疑い”なんて言葉を使うな」

「ですがね、問題なのは彼が超能力者かもしれないってことです。本当に斉藤正真だとして、?」


とある刑事が発したその疑問は、会議場にいた全ての刑事に、難しい判断を迫ることとなった。肝心なのはそこだ。超能力という、科学的に証明できないものを使う存在がいたとして、その存在を捜索___場合によっては拘束する名分はどうするのか。超能力を持っている、ということは理由にはなり得ない。彼らに許された行動に、。誰からの後押しもない中、彼らは自分たちの考えだけで、一人の少年をどう扱うかを迫られていた。


「仮に見つけたとして、ちゃんと同行させられるのか?またあの事件の時みたいに暴れられたら、捜査している人間は木っ端微塵だぞ」

「超能力者なんだろ。空でも飛んでたら捜索なんて無理だろう。そもそも、捜査で見つけることは可能なのか?」

「局長でも明確な判断は出せていない。このままだと無意味な時間が過ぎるぞ」

「そんなの待てませんよ。世論は今か今かと警察の動きを待っています。これ以上の遅れは、警察への不信感を生むでしょう」

「相手は15歳なんだろ。対応の仕方によっては、人権団体に抗議を入れられるぞ」

「そもそも超能力なんてどうやって確認すればいい?目の前で披露してくれるわけじゃないんだし」

「まずは世間に声明を発表するべきだ」

「逆効果にしかならんぞ」

「刑事局だけでなんとかできる話じゃない。地方警察にも協力を要請しなければ」

「被害にあった住民にもこの話は届いてる。このままじゃ暴動でも起きそうな勢いだぞ」


様々な意見が出されるが、一向に進展はない。


宮下が、声をあげるまでは。



「あっ」



突如宮下が立ち上がった。会議には参加せず、スマホに目を落として暇を潰していたことが幸いした。


「あの」

「なんだね、宮下くん」


唐突な宮下の発言に、会議室の注目が集まる。横にいた明石も、キョトンとした顔で宮下に目を向けていた。






「例の超能力者、斉藤正真が_____SNSに、動画を投稿してます」


その一言は、会議室を10秒近く沈黙させるのに、十分な情報量を持っていた。





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