第6話 正義の味方



チュンチュン。


あまり聞いたことのない鳥の鳴き声と、いつも通りの生暖かい日光を浴びて、正真は目を覚ました。目に飛び込んできたのは、木製の屋根。見覚えがあるかないか分からない曖昧な感覚に囚われながら、正真は身を起こした。


寝ぼけた目を擦ると、あたり一面が木でできた建物だった。被っていた布は、いつものとちょっと違う。すぐ横の机らしき台には弱い光を放つ懐中電灯が置かれており、そのまた横には____目を閉じた男の姿があった。


「__________!」


記憶が戻ってくる。何度目を閉じても消えない、破壊の光景。狂乱状態になりながら飛び回った空。逃げ込むように駆け込んだ、この小屋。そして、欠乏を満たしてくれた、心優しい男。


「…………」


無性に体中がムズムズする。ここ数日、まともに風呂に入っていないせいだろう。心なしか体から変な匂いがする気もする。

これはいけない。起きたばかりなのだから、せめてうがいくらいはしよう。近くに置いてあったペットボトルのミネラルウォーターを口に含み、小屋の外の茂みに吐き出した。口の中がスッキリとし、ぱくぱくと口を動かせるようになった。

続いて、寝起きの尿意がやってきた。残念なことに、この近くに近代的なトイレはない。コンビニのトイレのありがたさを噛み締めながら、意を決して近くの茂みで用を済ませた。

服も汚れが目立つ。運よく近くに畳まれた服一式が用意されていた。とりあえず汚れた上着を脱ぎ、着替える。サイズはピッタリとあっていて、久しぶりの綺麗な服が心地よい。ズボンも履き替え、体を動かしやすくなった。かけられていた布団を畳み、元ベンチの隅に置いておく。


ふと脇を見ると、男が目を閉じ、座ったまま寝ていた。前髪が長いので顔はよく見えないが、穏やかな表情をしている、ように見える。



「やれやれ、イカれてると思ったけど、になってるじゃないか。リラックスはできたかな?」

「わっ」



突然男が口を開けて喋り始めた。どう見ても寝ていたのだが、まさか起きていたとは。


「あはは、普通に声も出せるんだな。うがいしたり排泄したり、どこからどう見ても普通な人間だな。これが素ってとこかな?」


気づけば、確かに声が流暢に発せるようになっていた。昨日まではひどかった喉の痛みも、今はもう消えている。

そして___男の発した「普通」という言葉が、胸に突き刺さって離れなかった。


「……あなた、は」

「俺はさかいシンジ。今20歳。大学生やってる」

「……大、学生?なんで……」

「俺、こういうの趣味なんだ、昔からね。誘拐犯の逃走経路を予想して警察に教えたら見事に当たったし、町でひったくりをしたやつの家がどこか暴いてそいつの家にピンポンダッシュ仕掛けたり。演説してた政治家が何人もの女性を連れて料亭に入ろうとしてたのを見つけた時はちょっとした騒ぎになっちゃったけどね」

「…………」


軽薄な喋り方。掴みどころのない話の内容からは、男が変わった人間であることを思い知らされる。今の自分にとっては、たわいのないそんな話が、なぜか楽しく感じるものであった。


「そんでもって、君がめっちゃ報道されてたからさ。君のことを考えて、ここに来ることを予想した。そしたら見事当たった、ってわけ。丸一日歩いたんだぜ」

「……報道……予想……?」


彼が何を言っているのか、上手く理解できない。

だが、今は昨日とは違い、頭はそれなりに澄んでいた。今は、ここ数日にあった出来事を、ただの情報として捉えら得るようになった。トラックをふとしたことから止めたこと。家に入ってこようとした男たちに怒ったこと。考える限りの破壊を、自分が撒き散らしたこと。それら全てを鮮明に覚えている。でも、今はそれらが原因で吐き気を催すことはなくなった。それらが遠い昔の出来事であるように、今は考えることができていた。


「……状況、理解できたかな」

「……はい」


今なら___あの気色悪い出来事も、少しだけ冷静に聞ける気がする。

俺はポツリポツリと、シンジと名乗った男に、何があったのかを話した。ぼうっとして歩いていたこと。赤信号を渡ってしまったこと。トラックに追突されたこと。そしてトラックを手で受け止めたこと。SNSで取り沙汰され、有る事無い事と書き込まれたこと。住所が特定されたこと。家に名も知らない男たちが侵入してきたこと。その一人が母さんを突き飛ばしたこと。俺が怒ったこと。怒って、目の前が真っ白になったこと。気付いたら、あたり一面が火の海だったこと。半狂乱になって、いつの間にか空を飛び回っていたこと。___そして、気付いた時にはこの小屋に逃げ込んでいたこと。


話し終えるにつれ、ポロポロと涙が溢れてきた。


「今でも、が何なのか、よく分かりません。理由も分かりません。なのに、もうめちゃくちゃで、目の前で人が死んでて、それで……それで……」


話し声は、いつしか嗚咽に。溜め込んでいた涙が、たまらずに溢れ出てくる。


「あ…………う、あぁ……うあぁ、あぁぁぁぁ…………」


15歳にもなれば、こうやって人前で思い切り泣くなんてことは無くなってくる。こんな鳴き方は無様だと分かっているし、恥ずかしい。でも、この涙は当分止められそうになかった。

シンジはただ静かに、正真の言葉に耳を傾けていた。


「……もう、大丈夫です。話聞いてくれて、ありがとうございます」


すっかり泣き腫らし、目は赤くなっている。それでも、まるで憑き物が取れたかのように、正真はスッキリとした気分だった。


「いや、君がスッキリしたなら良かったよ」

「でも、俺が一方的にしゃべってばっかで。話だって面白くないし……」

「あー、それは大丈夫」


シンジはまるで演劇を見ていたかのように楽しげな表情を浮かべていた。


「君が今、世間でなんて言われてるかは知ってるかい?」

「……分かりません。ネット見てないんで」

「超能力者、だ。実際そんな感じなんだろ?」


超能力。

自分が纏っていた、あの赤い光が、超能力。

確かに腑に落ちるイメージだ。超能力であれば、トラックを止める出鱈目な力も、住宅地を壊滅させてしまうような破壊的な力も、全てこの一言で説明できるだろう。

でも___


「……そんな呼ばれ方されても、嬉しくありません」

「…………」

「これが何にせよ……俺はもう、なんですよね?」

「……否定はしない」


そうだ。これが一体何であろうと、行った出来事の結果は変わらない。斉藤正真が超能力者で、無差別に罪なき人間を巻き込んだ災害を起こしたことは、絶対に元に戻らない。


「ですよね。……はぁ」


分かっていたことだ。でもこうして、話の通じる人間に確認を取ることができて、初めて「分かっていたこと」が「本当にこと」になったんだなと実感した。

その感慨に感情はこもっていない。何の激情も、何の悲哀も抱くことなく、その出来事を俺は受け入れていた。



「否定はしない。だが、君が悪いとは思わない」

「___え?」



思わず、はっと顔をあげた。目の前の男が発した言葉に、確かに俺は興味を抱いていた。ずるいことだ。大量殺人犯がこんなことを考えていいのか。


「もちろん、君が人を殺した事実は消えない。だから罪が消えることはない」


罪が消えないのは当たり前だ。どこの国にも、殺人が許されるルールは存在しない。でも。彼が放つ言葉には、どこか___


「でも、君は悪者じゃない。罪はあるけど、それが君のことを悪者だと決めつける理由には、ならない」


どこか、救いがあった。


「…………」

「どの超能力ってやつがどんなものか、俺は知らない。どうやって使うかも知らない。何ができるのかも知らないし、どれくらいすごいのかも知らない。でも、そんなイカれた力を使っても、君はちゃんと自分の罪を受け入れた。そんなことができるやつは、。れっきとした、一人の人間だよ」


___嬉しかった。

彼の言葉の意味を、正しく全て理解できたわけじゃない。自分の犯したことを、忘れてしまったわけじゃない。現実逃避のように、ただ何かから逃げたわけでもない。

ただただ___俺のことを、母さんのような目じゃなくて___普通の目で見てくれる人がいたんだってことを実感できたことが、たまらなく嬉しかった。



「……ありがとう、ございます」

「事実だ。決して、慰めのために言ってるわけじゃない」


彼の飾らない言葉に、今はただただ救われた。それが慰めであっても、別にいい。今この瞬間俺がかけて欲しかった言葉は、本当にその一言だったんだ……。


「さて、そこで一つ提案だ」


シンジは前に身を乗り出し、メモ帳を開いてペンを取り出した。


「残念ながら、君は世間では悪者扱いだ。聞きたくはないだろうけど、SNSなんかはひどい有り様だ。これを何とかしないと、君が日の目を見れる日は来ない」

「……はい」


薄々、分かっていたことだ。二日前にSNSを覗いた時ですら、見たことのないくらいの騒ぎようだった。今はどうなっているのかなんて、想像もしたくない。


「警察とかも対処してるみたいだけど、一応見解として君が悪者だという話は噂でしかないとされている。でも、少しづつ証拠が出てきたら、いずれ超能力という人智の及ばない概念で説明するしかなくなる。なんせ、世間では既に超能力は『実在するもの』として扱われているからね」


超能力なんてものが理解されることは、通常なら難しい。だが、決定的な証拠と説明可能な論理さえあれば信じてしまうのが人間の性だ。しばらくはデタラメな出来事して扱われるが、段々と超能力の存在が明るみに出れば、どうなるか。


「警察の捜査とかが我慢の限界に達して、後になって渋々超能力の存在を認めてしまったら、君は超能力を使って殺人を犯した犯罪者として、国家に追われることになる。そうなる前に、君が悪者でないことを、大勢の人に知らしめないといけない」


きっと、今でもシンジのように、自主的に俺を探すような人間もいるのだろう。あの日やってきた男たちのように、色んなところに足を運び、懸命に探している可能性がある。警察だって必死だろう。シンジが異様に早かったとはいえ、見つかるのは時間の問題だった。


「___だからこそ、こっちから先に動く。潔く『自分は超能力者です』って認めてしまうんだ。これにより、まずは根も葉もない邪推を排除できる」


いつしかシンジは立ち上がり、まるで熱弁を振るう教師かの如く熱く語り出した。

その表情は楽しそうでいて、それでいて確かに真剣な眼差しであった。


「そして、人助けをたくさんするんだ。まずは壊してしまった住宅地、それからは色んな場所を飛び回って、とにかく人助けをする。災害救助でも、荷物持ちでも、何でもいいんだ。多くの人の目に留まるような、象徴的な人助けをしよう」


俺は、夢は見ない人間だと自分のことを思っていた。幼い頃から、向上心のない子供だった。将来の夢はサラリーマンだったし、何をやってもいつも並程度だった。そのせいか、いつしか何も楽しめなくなった。何にもワクワクしなくなったし、何にも心を動かされなくなってしまったように思う。

そんな俺でも___今、確かに、心が揺れ動いた。シンジという男の、太陽のごとき熱い眼差しが、俺の中の何かを呼び起こしていた。



「正義の味方になるんだ。たくさんいいことをして、罪を償えばいい。たくさんいいことをして、君の心象をよくしていけばいい。君には、



「___一緒に頑張ろう。斉藤正真さいとうしょうまくん」



差し出された手を、力強く握り返す。いつしか彼の目に宿っていた火は、俺にも飛び火していたようだ。


「___はい、よろしくお願いします。…………えーっと、なんて呼べば」

「あー、シンジでいいよ。呼びやすいから、俺は正真って呼ぶ」

「分かりました。シンジ……さん」

「さんなくても別にいいよ。先輩後輩とか気にしないからさ」





___こうして、斉藤正真と境シンジによる、『正義の味方』の旅が幕を開けることとなる___。

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