第5話 超能力者


その後、ネットでの書き込みには変化があった。



まず、呼び名が変わっていった。ネットに上がった、数々の証拠と証言。それらの情報が、人々のイメージを塗り替える。


『怪物っていうか、超能力者だよな』


どこかの誰かの、ふとしたその呟きが、意識を変えていく。その名前がイメージと絶妙にフィットしていたからだろう。いつしか”怪物少年”という言葉は失われ___その少年の名はこう改められた。



 "超能力者"、斉藤正真。



この名前の変遷がきっかけとなり、話題は非常にとっつきやすいものへと変化した。話題は海外にまで飛び、「Real Psychicer(本物の超能力者)」「Esper Boy(超能力者少年)」という名前で広く話題となった。信憑性を疑う意見も数多く現れたが、様々な証拠が明るみになるにつれ、人々の間で確信めいた考えが流行ることになる。



 本物の超能力者が現れたのだ、と。





___________





千葉県の山間部。山間部といっても高い山がそびえているわけではない。鬱蒼うっそうとした森林が広がるような、なだらかな山がそこにあった。

その小屋に、一人の少年が寝転がっている。

少年はひどくやつれた姿をしていた。服は見るからにボロボロになっており、髪は何日も洗っていないためボサボサの状態。寝転がってはいるが、下に布を敷いているわけでもなく、無骨な木製のベンチに静かに横たわっていた。


あれから二日。正真は、何も考えず、何も見ず、何も聞かずにこの小屋に閉じこもっていた。物音がする度、さほど強くない心臓が飛び跳ねそうになる。幸い今日は雨なので、こんな場所を訪れるような物好きはいないだろう。


何があったのかはよく覚えていない。だが、結果だけは理解できる。

どうやら俺は、何か得体の知れない”力”を持ったらしい。

そして、その力を使い、トラックを止め、家に入ろうとしてきた男たちを殺し、辺り一体を破壊し尽くしたのだ。


(…………)


それが何を起こしたのかは想像に難くない。あの時の母さんの目が、それを物語っている。

そうだ、壊した。壊してしまったんだ。何を壊したのかは上手く言えないけど、とても重要なものだってことは分かる。


俺が壊した。自分が壊した。自分で壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。あれもこれも壊した。それも壊した。壊した。壊した。あれを壊した。あいつらを壊した。壊してしまった。壊した。壊した。壊した。


壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。壊した。



自分を、壊した。



水を全く通さない喉は既に掠れており、声を出すことすらままならない。それでも、確かに、正真は声をあげていた。



 ”助けて”



その声は、風の音と雨も音がかき消してしまった。





___________





ふと、気配がした。



雨と風は止んでいない。土はぬかるみ、この小屋は人が歩いて来れる場所ではなくなっている。

にも関わらず、人の気配がする。気配なんてものを信じてはいないが、ということが分かる。

脈が早まる。ドクドクと、耳に直接届くくらい心音が高まる。まるで熊が近づいているのかとすら思うような恐怖が、身体中を貫く。

来ないで欲しい、と切に願った。近づくな、と怒りを感じた。

それでも、その気配は段々と大きくなり



気づけば、小屋の入り口には人影があった。



「あ、ああ、ああああっ……」


自分でも自覚できるくらい、情けない声がでた。

それでもいい。頼むから来ないでくれ。もう嫌だ。俺はもう、何も壊したくない。

人影はゆっくりと丁寧に入り口に近づき、手にした懐中電灯で小屋を照らした。人影の顔が露わになる。長い前髪が目を隠しており顔がよく見えないが、体格からして男だと分かる。何やら大きなリュックを背負っており、まるで登山家のような佇まいだ。

その様子を見て、正真は二日前に自宅に侵入してきた男たちを思い出した。男たちの、大したことをしてないにも関わらず底なしの気持ち悪さを思い出し、正真は後ずさった。

こんなのは悪夢だ。悪夢でしかない。あるいは地獄か。そうでなければ、立て続けにこんな酷いことが起きるはずがない。起きるはずが、ない、んだ。



「お腹空いたでしょ。これ、食べ物ね」



男は突然リュックを下ろし、ペットボトルのミネラルウォーターとコンビニで買ったおにぎりを目の前に置いた。

「____」

気づけば俺の腹からはさっきの声よりもさらに情けない音が出ていた。水も飲まずにひび割れそうになっていた喉が、スカスカになった腹が、目の前に置かれたものを求めている。

そこからは、無我夢中で食べ物に手を伸ばした。口からこぼしながら雑に水を口に運び、乱暴なちぎり方でおにぎりを袋から出して食べた。米粒がボロボロと落とすことすら気にせずに食べた。顔が涙と咀嚼でぐちゃぐちゃになるのも構わず、食べた。


男は懐中電灯をその場に置いて小屋を照らすと、何も言わずに正真の反対側のベンチに座った。横に置かれたリュックは大きく、中にたくさんの荷物があることが伺えた。それからしばらく、俺が落ち着くまで、男はその場で何も言わずに座っていた。





___________





ようやく落ち着いた俺は、ベンチに腰掛けながらうずくまっていた。木製で無骨な小屋は懐中電灯で照らされ、一時ながら確かな明るさをその場にもたらしていた。雨と風だけの世界で、ここだけに光があるかのように、その灯りは優しく俺の荒んだ顔を照らしてくれる。小屋の外では相変わらず雨優しさなんて微塵も感じられない雨と風の音が鳴っているが、今はその音にすら静寂を感じた。


男は、ただ黙ってベンチに腰掛けている。時折スマホを眺めているが、俺に対してカメラを向けるような素振りは一切ない。この男に悪意も害意もないと判断するまで、俺は実に30分近い時間を使った。


「……飯、もう要らない?」


こくんと頷く。声を出して会話するには、まだまだ勇気が必要だ。


「……俺、いない方がいい?」


首を振れなかった。一緒にいて欲しいかというと、それは何だか違う気がする。今の俺は、ただ孤独でいたかった。でも、この灯りを失うのも、それはそれで嫌だった。

男は何の反応も見せない俺を見て、何となく事情を察したのか、それ以上深く聞いてこなかった。

それからしばらくして、段々と雨が弱くなってきた頃。再び男が口を開いた。


「会話、できる?」


俺は首を横に振った。


「……寝なくて、いいの?」


男のスマホには、既に夜中の時間が指し示されている。いつもの俺なら、確実に寝ている時間だった。確かに眠いし、今すぐ横になりたい。でも、もし寝てしまったら、起きた時に何があるか分からない。ただひたすらに、それが怖い。もし起きた時、目の前にたくさんの人の顔があると思うと、そしてその顔からあの男たちのような目を向けられると考えると、震えるくらい怖かった。

俺は、周囲の全てから自分を遮断するかのようにただうずくまった。


「……僕見張っとくからさ」


男は、そんな俺に声をかけてきた。何もかもを拒絶したくてたまらない俺の耳に、男のその声だけはよく聞こえた。


「ちゃんと寝なよ。子供なんだし」

「…………」


男の声は終始優しかった。たった数回程度の声かけだというのに、その声が心から俺を案じてのものだと分かる。

そのせいか、段々と強力な眠気が襲ってきた。喉が潤い、腹を満たすことができた影響もあるだろうが、一番の理由は___気を許してもいいような誰かが、見守ってくれているという_____確かな安心感であったと思う。


いい加減、目を開けるのにも疲れてきた。そうだ、疲れたんだ。そうして俺は、深い微睡まどろみへと、誘われていった。





___________





スースーと寝息を立てる少年の向かい側で座った青年___境シンジは、スマホを開いて周囲の位置情報を調べていた。


「想定通り、ここだったか。となると、彼の考え方は___こうか」


リュックからメモ帳を取り出し、メモを始める。このご時世、わざわざメモをメモ帳に取る人がだんだん少なくなる中、彼は紙のメモ帳に拘っていた。

メモ帳には、側から見ても理解のできない文字列が並んでいた。時折アルファベッドが混じっていると思いきや数字が多数現れ、と思いきや規則性のない漢字の列が現れている。彼だけの、他者の理解を必要としないメモ帳であった。


メモ帳に書かれていたのは"思考グラフ"であった。彼が独自に作り上げた、人の考え方を予測するための思考ツールである。そこにはたくさんの情報が書き込まれている。


「15歳」「中学生」「___在住」 「__中学を卒業」「特技はなし」「目立つ技能なし」「両親は健在」「ひとりっ子」「成績は中の上」「普段は家で過ごす」 ______


まるで見聞きしてきたかのような情報が羅列されており、そこからまた様々な文字列が続く。


「コツコツ型」「人付き合いは少なめ」「クラスでの役割は__」「SNSの使い方は___」「よく行くのは___」「B型」「__が嫌い」「エンタメは__を好む」「時間を気にするタイプ」「サッカーで走らないタイプ」「非行経験はなし」「友人は_人」「気になるニュースは__系」「好きな曲は___」「両親との関係性に大きな差なし」「将来の夢は___」「部屋はそこそこ片付いている」「山派」「__が苦手」「_が__」「_____」「運動は____」「____」「__」「______」「___」「___」「______」「__________」「____」「_____________」「__」「______」


境シンジという人間の恐ろしきは、その異常なまでの思考の幅である。どんな出来事があろうと、あらゆる可能性から目を背けず、確実な思考を積み重ね続ける。論理的な思考というのは通常、人間の脳にそれなりの負荷をかける。だからこそ、ほとんどの人間は難しすぎる問題に直面した時、一度脳を休めようとする。

しかし、境シンジにはそれがない。彼にとって、考えることとは癒しであり、生活である。考えることこそが食事であり、考えることこそが快楽であった。

だからこそ、、斉藤正真が潜伏している場所を突き止めるという離れ業ができた。


彼は___シンジはメモを書き終えると、雨が止み静けさを取り戻した周囲を見渡し、懐中電灯の光を弱めた。捜索にかかった時間は丸一日。流石に体力の消耗は激しかった。

リュックから布を取り出し自分にかけると、シンジは微かな笑みを浮かべながら、独り言を紡いだ。



「ようやく出会えた。本物の、超能力者に……!」



微かに夜のとばりが青色を写す始める時間になり、ようやくシンジも目を閉じた。

その夜明けが何を意味するのか、二人はまだ知らない。

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