第2話 暴発


俺は交通事故の被害者として、とりあえず救急車で病院に連れて行かれた。付近にいた人の撮影、そして近くの監視カメラの映像からも、俺が轢かれた側であることは自明だったためだ。


だが、病院で様々な検査を受けても、以上一つ見つからなかった。俺があまりにけろっとしているので脳に何か大きな障害が残った可能性があるとして、わざわざMRIまで使って検査が行われたが、一切の異常が確認されなかった。


その後、両親が病院にやってきた。汗をかきながら慌てた様子の母さん、そして必死に冷静になろうとしていた父さんの様子を見て、少しだけ気分が落ち着いた。


それから警察官の人がやってきて、様々な質問を受けた。といっても俺は被害者だ。俺が何をしたかというより、変なところはないかとか、気分は落ち込んでいないかとか、俺を気遣ってのものであった。俺は全ての質問に「大丈夫です」と答えた。


警察の人たちは後日改めて加害者であるトラック運転手と話す場を設けると言って去っていった。俺は両親にタクシーに乗せられ、帰路についた。





___________





家に着いた後、母さんは俺に何かを食べさせようとしてくれたが、食欲がなかったので俺は自分の部屋でベッドに潜った。


_____こうしてベッドに潜っていると、相変わらず自分が嫌なくらい普通なやつなんだと気付かされる。そうだ、例え何があろうとも、俺が普通な人間であることは変わらない。トラックを止めた?全く馬鹿馬鹿しい。お前が特別な人間であるものか。


ベッドに潜ったはいいが、眠れるわけじゃない。ぼうっとしながらなんとなくスマホを開く。特別な連絡が来ているわけではない。いつも開いているSNSを開く。やはり何ら変な点はない。そうだ、これが日常だ。当たり障りのない出来事に満ちていて、何ら特別なことのない_____


「…………ん?」


ふと、とある投稿が目に入った。やたらとたくさんのハートマークが付いている。投稿には動画が貼られていた。嫌な予感がして動画を開くと、がそこにはあった。


「…………は?」


何かの間違いだと思い、もう一度動画を見る。見慣れた交差点。見慣れた道路。そして平凡な服装の平凡な体躯の少年がいて、そこに見覚えのあるトラックが突っ込んだ。その瞬間、わずかに赤い光が発されていた。


ドクン。

脈が跳ね上がる。

ベッドに潜っているというのに、呼吸が荒くなっていく。

眼球は小さな画面に映された出来事を、正確に認識している。だが、脳がその情報を受け取ることを拒絶していた。受け取る情報に対するアレルギー反応が、身体中を覆っていく。


たまらなくなり、ベッドから飛び跳ねた。その動画の投稿には、既に2万を超えるハートマークの数が付いている。投稿に対するリプライは1000を超えており、多種多様な意見が書かれている。似たような投稿を検索すると、ほぼ同等の動画が出てきた。別アングルで撮られた動画のようだった。その投稿にも1万を超えるハートマークが付いている。動画に映るは、同じような平凡な少年と、トラック。



「……くそっ。マジかよ……」


間違いない。


動画に映る、平凡な格好の少年。赤信号の交差点に侵入した少年。トラックにぶつかられた少年。トラックを手で受け止めた少年。赤い光を発した少年。



それは、だ。


「……何なんだよ。本当に……」


訳が分からない。訳の分からないことに直面した時の対応方法は決まっている。

知らないことにして、無視すればいい。どうしても解けなかった夏休みの宿題のように、根拠のない暴論を言われた時のように、ただひたすらにそれが過ぎてしまうのを待ってしまえばいい。それで何とかなってきた。何とかなるはずなんだ。



俺は夢の世界に逃げ込むかのように、スマホを床に投げ、目をキツく閉じてベッドに潜った。暗い眠気が、俺を救ってくれることを信じて





___________




朝になった。


いつも通りの、生暖かい朝。冬が終わり、春の兆しが芽生え始めたこの時期の朝日は、いつにも増して明るく感じる。


いつも通りベッドから出て、顔を洗う。寝癖を直した後、寝巻きから普段着に着替え、朝食を食べにキッチンに向かった。ちょうど父さんも目を覚ましたらしく、一緒に簡単な朝食を摂った。母さんは夜遅くまで起きていたみたいで、寝坊している。


「正真、ちゃんと寝れたか?」

「うん、大丈夫」

「そうか。今日は出かけず、家にいなさい。母さんは家にいるそうだから、今日はゆっくり休めよ」

「うん、分かった」


既に春休みに入ったため、学校に出る支度をする必要はない。父さんは朝食を終えてから仕事に出かけていき、俺は皿洗いを終えたあと、自室でぼうっとすることにした。


何気なくスマホを触ろうとしたが、昨日ことを思い出し、触るのをやめた。今の俺にとって、外の世界の情報は害でしかない。あんなことは何かの悪い夢だ。情報に溢れる現代社会では、あんな出来事なんて数時間程度の話題にしかならない。どうせまた別のことが過去の出来事を塗りつぶしてくれる。


やることもないので、とりあえず春休みの宿題に取り掛かることにした。いたずらに外の世界の情報に触れるより、今ここで勉学に励むことの方が何倍も価値のある行為だろう。これまで嫌々で仕方なくやっていたことが、今では心の癒しになっている。人の心とは、本当に状況によって如何様にも変化するものなのだろう。



そんな時間は、ふと鳴った携帯の着信音に掻き消された。

着信音は学友からの電話音であった。たまに遊ぶ時などに電話するくらいの仲なので、電話がかかってくること自体は珍しいことじゃない。何気なく出てみた。


「もしもし?」

「今大丈夫か?今URL送るから、ちょっと見てみろよ」


友人は若干焦った声で、俺にとあるSNSの投稿のURLを送った。何の話か分からず、そのリンクを開く。


そして、見覚えのある投稿と、その投稿についたハートマークの数が「22.5万」という数値を示していることを確認できた。投稿には、同じく見覚えのある動画が付いている。その動画には、少年がトラックを受け止めるシーンが映っていて_____



「_____っっっっっっ!!!!!!」



さぁっと血の気が引いていくのが自分でも分かる。

これは、俺だ。昨日の、俺だ。他の誰でもない、今、ここで呆けていた、俺なのだ。


「これ、完全に正真だよな?この動画、盗撮じゃねぇか?」


友人の声が電話から流れていることすら忘れそうだ。俺はガチガチと震える手で必死に心を押し殺し、その他の情報を当たっていた。


「どうみてもCGにしか見えないんだけどさ、この動画加工してないんだってよ。しかも同じような動画が何個もあったから、トラックを止めたのは本当なんじゃないかって言われてる」


うるさい。黙ってくれ。

ああ、ちくしょう。なんたってこんなことになってる。

そうだ、その通りだとも。俺は確かにトラックを止めた。この手で、しかと受け止めてしまったんだ。警察によると、衝突時点で時速80kmを突破していた暴走トラックを、だ。

たかがそれだけのことだ。どこにでもいる平凡なガキが、トラックを止めて助かった。…………!


同じような投稿にも、「12.5万」「14.4万」「10.2万」といった数値が出ている。その数値が、いかにたくさんの人が自分を見たかを物語っている。

ついSNSの投稿ばかりに目が向いていたが、チャットアプリの通知欄もすごいことになっていた。俺のことをよく知る知人から、しきりにメッセージが届いている。


「なぁ正真、ぶっちゃけ、これってマジなやつ?みんなふざけてるけど、もしガチなやつならあんま取り沙汰しないようにみんなに言っとくからさ、だから_____」


今は学友の親切な声すら苛立たしいものに感じてしまう。俺は逆ギレに近い形で電話を切り、スマホで様々なものを確認し始めた。



チャットアプリでは、確認と称した好奇の声と、一部心からの親切なメッセージが届いていた。


『大丈夫か?』   『これってどうやったの〜?』      『斉藤やば過ぎ』      

  『ヤラセじゃねーのか?』      『めっちゃバズってるじゃん』    

 『本物?』  『怪我してないか?』     『めっちゃ拡散されてるな……』     

           『これ、偽物だろ?』    『災難だねぇ』



たくさんのマークがついているSNSの投稿には、親切心のない心象が書き連ねてある。


  『すご』 『これ加工?』   『本物らしいで』 

『少年強過ぎ』    『最強で草』     『加工じゃなかったらやばすぎる』

     『ドッキリか?』       『赤信号入るなよ……』

    『盗撮は犯罪ですよー』 『この後本当に警察来たらしいで』

   『ガチ事件じゃん(URL)』        『え、これ本物なの?』

 『すげぇな、___』   『これって______』  『マジで_____』



掲示板にはエンタメ性を持った書かれ方がなされている。


     『どうなってる?』 『これ加工__』   『やば過ぎ』

  『たちの悪いヤラ____』   『トラック弱___』   『い___』

        『これ本物らし__』  『本__らや_く___』

 『_工わざ__しく___』   『_____ぞ』    『_っ____』

    『______』  『______』   『_____』



『____』『__』『_____』『_』『___』『__』『_____』

『____』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『_』『』『』』『『『『』『』』』『』』『『』』』』』『『』『『『『『『『』』『『『『』』』』』』』』』『』『』』『『『』』『『『『『

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___________





なんだがすごく気分が悪くなり、スマホを床に投げた。



「正真?なんかすごい音したけど、大丈夫?」


スマホが床に落ちた音が母さんを驚かせてしまったみたいだ。申し訳__


「なんでもない。部屋に入ってこないで」


冷たく、親切な声を突き放した。学友の親切も、母の親切も、今はただやかましい。

もう誰も俺に構うな。放っておいてくれ。いちいちうるさいんだ。一体全体何がそんなに楽しいというんだ。価値のないことばかり騒ぎやがって。どうでもいいことに首を突っ込むな。ただただ耳障りだ。もう2度と余計なことをするな。黙っていろ。今はただ、ただ_____


ふと、開いたままのスマホの画面が目に映った。画面はネットの掲示板を映している。何やら新しい投稿がなされたようだ。



『住所:千葉県〜〜市〜〜〜丁目〜〜〜〜〜』



「は?」


目を疑った。そこに書かれていたのは、確かの俺が住む、この平凡すぎる一軒家の住所だった。なんでそんなものが、


もう既に、俺の頭はパンクしていた。情報の波に呑まれて溺れてしまっているのだ。空気を求めてもがくかのように、俺の心は今すぐにでもこの波から抜け出したいと言っている。今すぐにこんなところから抜け出して、もっと空気のある場所に行きたい。もう、こんな思いは嫌だ、と。


呆けきった頭の回転が、時間の経過を早め、いつしか外は暗闇に包まれるようになっていた。でも、その夜はいつもと違って優しな夜ではない。都市の光に照らされた雲が、優しい月明かりを隠してしまっている。



ピンポーン。



インターホンが鳴った。

そんなものは放っておけ。どうせつまらない荷物が届いたんだ。母さんが受け取ってくれるだろう。


だが、なんだか嫌な予感がして立ち上がってみた。もし母さんが気づいていなければ、俺が受け取りをしないといけない。念の為俺も向かおうと思った、が、母さんがドアを開ける音がした。やはり俺が出る必要はないようだ。大人しくまたベッドに_____



「すみませーん。ここ斉藤正真くんですかー?」



やけに惚けた、粘っこい声が聞こえた。声は男のものだが、口調に反してそこまで幼い声ではない。俺の同級生や知人には、絶対にいない声。


「あのー、すみませーん」


「え、ちょっと?!勝手に入ってこないでください?!警察呼びますよ?!」


なぜか、母さんの緊迫した声が聞こえた。

勝手?警察?なんだ?何が起こってる?


「あーいや、僕ら正真くんの知り合いなんで。会いに来ただけです」

「だからってドアに勝手に開けないで!出ていってください!」


母さんの声は、緊迫の中に若干の怯えが混じっていた。

何が起こっているのか、少しだけでも予測できてしまう自分の頭が恨めしいと思う。


「そこをなんとかお願いできませんかね?正真くん、いるんじゃないんですか?」


母さんの緊迫なんてまるで関係ないかのように、男の声は気持ち悪いくらいに伸びていて、よく響く。よく耳を澄ますと、外からざわめきに近い声が聞こえた。


「何かの間違いです。出ていってください。脅しじゃなくて、本当に警察呼びますからね」


何が起きているのか、確認してみたい。だって未知の現象過ぎるじゃないか。

_____ダメだ。今降りてはいけない。

母さんが何か話している。関係のある話かもしれない。

_____やめろ、降りるな。

男は誰だ?何の用で来た?何人もいるように感じるのは、気のせいか?

_____止まれ、これ以上動くな。


何言ってる。母さんが心配だ。男の俺が行かなくてどうする。

俺はドアを開けて、階段を降った。何が起きているのか確認してみようと、少し顔を出した瞬間。


廊下で怯えながら携帯を構える母さんと対峙する、玄関に勝手に入り込んできた男たちが目に入った。男たちに大きな特徴はない。ただ、その粘っこい視線だけは、避けがたい嫌悪感を抱かせるようなものだった。


俺が顔を覗かせた瞬間、空気が変わった。男たちは目の前に、まるで狩るための動物が現れたかのごとく、素早くスマホを取り出し_____



パシャパシャと、写真を撮っていた。



「なっ……!」

「_____」


一体、こいつらは何なんだ?

「お、本物だ」「本当だったんだ」「ここ合ってるじゃん」「今のうちに」と、口々に無機質な言葉を紡ぎながら、数人の男がスマホのカメラを起動し、俺にカメラを向けている。ある者が一回だけ撮ってそのまま玄関から出ていくと、また別の男が入ってきてカメラを向けてくる。別の男はどうやら動画を撮っているようで、カメラをずっとこっちに向けたままである。別の男は何度も何度もパシャパシャと音を立てている。ある者はスマホだけでなくデジカメのようなものまで取り出し、ある者は外で話をして_____



「やめてください!出ていって!あなたたち!」



母さんが我慢できず、玄関に向かっていった。そして男たちを無理やり追い出そうと、スリッパを持って男たちを叩こうとしている。

母さんがバンっ、と男たちを叩くと、男たちはそれを防ごうと、母さんのスリッパをはたき落とそうとしていた。


「出ていけ!出ていけ!」

「おい、やめろ」

「ちょ……」

「おい、外出ようぜ」


母さんと男たちが揉めている。俺は他人事のようにその光景を眺めていた。

事態を理解したくないと、身体中が叫んでいる。目と耳という、優秀な感覚器官を、今だけは恨もう。まるで自分の体じゃなくなったかのように、俺はおぼつかない姿勢で立ち尽くした。


「何だよこれ」


もう、これ以外の言葉を紡げそうになかった。


「何なんだよ……何なんだよ……」


苛立ちでもなく、怒りでもない、でも確かに燃えたぎるような感情で胸が埋め尽くされるようだ。



パンっ。



「あっ……!」

ふと嫌な音がして、玄関を眺めた。

そこには、男たちに押し飛ばされて床に尻をついた母さんと、不機嫌そうな男の姿があった。


「バンバン叩くなよ!もう…」


男は不満げに母さんと距離を取ると、遊びを終えた子供のような表情で、玄関から出ていこうとした。



「おい」


音はせずとも、胸のあたりで確実に何かが燃え上がるのを感じる。


「何してんだ」


今喋っているのが自分だということを忘れた。


「おい、おい」


頭が熱い。血が上っている。


「何、やってんだ……!」


拳を固く握りしめている。横腹のあたりに何かが溜まっているかのようだ。

ドンドンと、廊下の床をを強く踏みながら、玄関へと向かう。俺は今、確かにこの男たちに掴み掛かろうとしていた。


「あ、こいつが斉藤正真だ。”怪力少年”って出てる、あの___」


玄関に達して手を伸ばせば男の胸に手が届くところで、体が止まった。

ダメだ。これ以上、先に出てはいけない。

止まるか。うるせぇ。こいつらを殴らないと気が済まない。

ダメだ。そんなことをしてはいけない。

黙れ。こんな奴を殴らず、誰を殴るというんだ。

ダメだ。手を出してはいけない。

うるさい。どうでもいい。いいから殴らせろ。


「お、マジもんじゃん」


「写真撮っとこ」


「本物ってマジ?」


「やったー」


「これ撮っていいかな?」


「結構ガキだな」


「家普通だね」


「なんかもっとすごいと思ってた」


「これだけ?」


「顔ゲッチュー」


「斉藤って簡単な方か」


「カメラこれにしよ」


「運いいなー」





ああ、もう本当に。





こんな奴ら、死ねばいいのに。





___________





気がつくと、そこは平坦な場所であった。いや、平坦なのは景色であった、今膝をおいている地べたが平坦なのではない。むしろ、地べたはボコボコとしている。学校の校庭の砂場にあるような、大小の石が肌に刺さるようで、ちょっと痛い。


「……あれ?」


だけど、ここは校庭の砂場などではない。今は春休み期間なので、学校に行っているわけではない。ましては今は夜だ。学校の校庭にいるわけがなく、ここは_____


「…………え?」


あたりを見渡すと、それは都市圏の住宅街とは思えぬほどに、荒廃した景色が広がっていた。凸凹でこぼこの、瓦礫だらけの地面。所々を照らす、火の光。そして、微かに聞こえる、人の声。声はよく聞き取れない。だが、その声は街中で普段耳にすることなどない、悲痛な声だった。


立ち上がり、もう一度見渡してみる。瓦礫の地面が、見渡す限り続いている。今夜は月が出ていないというのに、火が照らしてくれるおかげで明るい。別に視力が悪いわけでもないので、よく目を凝らせば周囲のことなんて大体見えるのに、なぜか景色が少し陰っているように見える。


ふと、後ろを振り返る。後ろにも、同じような光景が広がっている。


だが、ちょっとだけ違うのは。



そこに人がいて、



その人は、よく見知った顔をしていて、



涙を

流していて



俺を、怯えた目で見ていることだった。



「……母さん」


その人に声をかける。

その人は危ないところにいた。今にも崩れそうな瓦礫の近くにいた。

危ないから、助けてあげようと思った。その人は尻を地面につけていて、しかも全然立たなかったから、手助けしてあげようと思った。


だから、手を伸ばした。起き上がるのを手伝ってあげようと思った。


でも、伸ばした自分の手は、差し出すに相応しいものじゃなかった。


なぜなら、変な光が手を覆っていたからだ。



「え……?」


手を眺めるとまるで燃えているかのような光が纏われていた。光はゆらゆらと揺れ、時折噴出しているかのように一際大きな揺れを見せる。もう片方の手でも、それは同じだった。

足を眺めても、同じだった。爪先まで等しく燃えるかのような光に覆われている。それは周囲の火の光に照らされての光ではなく、自分で輝きを発していた。


この輝きには、見覚えがある。確か、あの時、俺がトラックを止めた時の_____



ふと何かを思い出し、反対側を見る。ついさっきまで、ここには男たちがいたはずだ。殺してやりたいとすら思ってしまうような、奴らが、ここには_____


後ろに、人影はいない。その代わりのように、一際大きな瓦礫の山ができていた。瓦礫の山には所々に大きな隙間があり、その隙間には_____



血に塗れた、たくさんの人間の体が、そこにあった。



「_______」


今日は本当に、脳がいうことを聞かない。なぜこうも人間の脳は不出来なのだろう?どうして、嫌だと思ったことすら、認識させてしまうんだ?



「……あ」


そうだ。はっきりとしている。


「ああ、あ……」


ここで何があったのか。なぜこんな光景が広がっているのか。


「あああ……」


なぜ母さんが俺をあんな目で見るのか。なぜ男たちだったものが、目の前に転がっていたのか。


「ああああああ…………」



こんな瓦礫だらけの光景を、火に満ちた光景を、血に塗れた光景を


それを作ったのは





全部全部、俺なんだ。





「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

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