ギガクラッシュ - Light to the sunrise -
八山スイモン
第1話 特別
生きる意味。
それは年齢を重ねるにつれ、誰もが考えるものであるという。
ある者は人助けこそが生きる意味であるとし、ある者は誰かに寄り添うことが生きる意味だと言う。
またある者は勝負に勝つことに生きる意味を見出し、ある者は至高の作品を作り上げることを生きる意味だと断言する。
己の生を何に使うかについては、現代では基本的に自由に決めることができる。そしてその自由をいかに謳歌するかは、当人の努力と能力次第であるとされる。だからこそ、大多数の人間は生まれた時から努力を怠らない。必死に情報が氾濫する社会のことを学び続け、自身の自由を謳歌することを義務付けられる。
もうすぐ中学を卒業する少年、
「重要なのはさ、自分ができることを精一杯やることじゃないか?できないことをやってても、それは人の役に立たないし」
「人の役に立ちたいと思うかは人ぞれぞれだろ。それに、できることをやるって言ったって、能力がない人はどうしようもないじゃないか」
「能力があっても、それを活かせる機会に巡り会えるかはまた別だぞ」
「能力のあるなしじゃないんだよ。肝心なのは当人が何をしたいか明確に決めているかどうかじゃないか?」
すぐ横でもうすぐ高校進学を控えた同級生が繰り広げる会話を聞きながら、正真は体にかかる重力が重くなるかのごとく、その体を机に押し当てて寝ようと頑張った。この意識の高い耳障りな会話から一刻も早く自分の意識を遮断したかった。
15歳という年齢が年頃の少年少女たちにもたらすものは大きい。幼心を忘れさせられる年齢であり、そして夢を現実にすることを周囲から求められる年齢である。相反するこれらの要求に苦しみもがき、その果てに何かを見つけることこそが、良き人生を送るために必要な素材なのだそうだ。
……全くもって馬鹿馬鹿しい。考えていられない。悩んでいたって、いつか必ず重くてつまらない決断はさせられるものだ。なぜそれを今考えなければならない。分かりもしないことを、何が面白くて誰かと共有しなければならないのか。
少ししてから鳴ったチャイム。中学生として最後の時期の終わりを告げるそのチャイムを合図に、正真は飛び出すように帰路に着いた。
___________
正真の家は千葉県の中でも東京に近い地域の住宅街にある。正真は自分のあまりにも平凡な一軒家が好きだ。悪目立ちする大豪邸に住む人の気が知れない。お金持ちなら、自分を誇示することの気持ち悪さなんて散々思い知っているはずなのに。
「……ただいま」
そっけない挨拶を廊下にかける。両親は共働きで帰りは夕食の時間になってからだ。夕方の時間は、いつも一人きりである。カバンを部屋の隅に置き、制服をだらしなくハンガーにかける。楽な服装に着替えて、とりあえずベッドに身を投げた。どっさりと配られた春休みの宿題をやる気にはなれない。あとは両親が返ってくるまでの時間、適当にゲームをしたりネットサーフィンをしたり、目的もなくSNSをいじったり、寝るなり好きにするだけだ。
そんな目的もゴールもない日々。そんな日々が好きなわけではないが、そんな日々がもたらしてくれる安寧だけは、確かに好きだった。
「ただいまー!正真が大好きな唐揚げ買ってきたよー。下降りてきてー」
母が元気一杯に返ってきた。帰宅と同時に唐揚げの油っぽい匂いが一階に満ちる。
「それでねー、帰り道に翔くんのお母さんにあってねー。あの子、高校いいとこ行くんでしょー?おまけに習い事もたくさん習っててねー、もうほんっと恵まれてるわよねー」
「……その話、もう3回目だよ。そろそろ飽きた」
「ったくウチの息子と来たら。あんたはなんかやりたいことないのー?小さい頃から習い事もしない上におねだりすらしないんだから」
こうして夕食を食べたのち、終わらせるべき宿題をし、そして残った時間を好きに使う。そこに特別さは存在しない。そんな安寧の日々を、ただ過ごしていた。
___________
春休み中のとある日。
ずっと家にいて退屈に感じたので、少し歩いて駅前のコーヒーチェーン店に入った。
正真は別にコーヒーが好きでもないし、カフェで何かをやる習慣もない。
だが、このカフェ店は特別である。ここでは、先輩の
こうして、カフェ店の席の陰から、ちょこちょことカウンターで働く彼女を除く輩もいるということなのだ。
正真は別にスポーツが得意ではない。ましては顔面も良くできてなどいない。そんな自分が振り向いてもらえる可能性など皆無に近しいのだが、せめて男の性として、こうして眺めるくらいは許して欲しいと思う。
そうして話しかけることも出来ぬまま2時間近く過ぎ、アイスカフェラテも氷が溶けてすっかりそこを着いていた。未練がましく店の出入り口で彼女を探そうと振り返ったが、既に店の奥に入ってしまったのか、姿は見えない。後ろ髪を引かれる思いで、カフェ店を後にした。
そこからは、ただ目的もなく色んなものを眺めた。本屋に行きベストセラーに背を向け、雑貨屋で「購入必須!」と大々的に謳われる商品を素通りし、食品売り場で「〜を食べる日」と書かれた看板を無視してスナック菓子を買った。高校生になったらバイトができ、お小遣いを自分で貯められるようになる。それまでは色んなことを我慢しなければならないだろう。
そう、いつもそうだ。小学生の時にやりたかったことなんて、中学生になれば簡単にできる。そして中学生になってもできないことは、高校に行けば大抵はできるようになる。時間の経過が、あらゆることを簡単にしてくれる。いつも堂々巡りで決まらない「将来」とやらも、時間が経って大人になれば、自然と解決してしまうに違いない。
_____本当に、そうなのか?まだやり残したことは、本当にないのか?諦めた考えをする度、そんな疑問が脳裏をよぎる。本当にないのか?一番になれなかったことはないのか?誰かに認めてほしくはないのか?誰かに褒めて欲しいんじゃないのか?
彼女に、思いを伝えたいんじゃないのか?
「……はぁ」
疑問は消えない。だが、これに「Yes」と答えたところで、返ってくる答えなんて決まっている。
「お前には無理だ。諦めろ」
そうだ。無理なんだ。こんな平凡で、平凡を愛しているような自分が、何かを達成するなんて無理だ。そのはずなんだ。
この時、ぼんやりと脳内で喧嘩を繰り広げながら歩いていたことが災いした。
遠くから大きな音が聞こえる。
プーッ!というやかましい音と、それとは別の、巨大な構造物が動く音。そしてそれが、段々と近づいてくる音。
音がうるさい。音だけは、斉藤正真という空虚な人間を素通りしてくれない。
「うるさっ……何……?」
まるで外の騒音に腹を立てるかのように、ぼんやりと横を向いた。
そこには、信号を猛スピードで通過しようとするトラックが一台。自分に向けて減速することなく向かってくる鉄の塊があった。
「_____あ」
___________
まさか自分にこんなことが起こるなんて思ってなかった。
驚き。それが一番最初に脳裏に浮かんだ感情だった。
交通事故って、本当にあるんだな。
意外。それが2番目の感情だった。
やらかしたな。考え事なんてしてるから、赤信号を渡ってしまった。
後悔。それが3番目の感情だった。
これ、死ぬのかな?トラックめちゃくちゃデカいし、助からないんじゃないか?
恐怖。それが4番目の感情だった。
どうしよう。母さんとか父さんは大変だろうな。なんせ一人息子が死んじゃうんだ……。
申し訳なさ。それが5番目の感情だった。
もう、無理だな。どうせなら痛くないようにして欲しいな……。
諦め。それが6番目の感情だった。
どうせなら、香織先輩に告っておくんだったな。
2度目の後悔。それが7番目の感情だった。
そうだな、あとは_____
あれ?
これだけしかないのか?
もっと他にあるはずだろう。もっと謝るべき人がいるだろう。もっと執着すべきことがあるだろう。もっと欲しいものがあるだろう。もっと見たいものがあっただろう。もっと、もっと、もっと_____
いや。
これしか、なかった。
(__________)
なんだよ、ちくしょう。
どうして最期の感情がこれなんだよ。
死ぬんだぞ?もう終わっちまうんだぞ?だと言うのに、だと言うのに_____
どうして、こんなに悔しいんだよ…………!
(ああ、もっと_____)
(特別な人間に、なりたかった_____)
___________
ふと、目が覚めた。
なんだろう。目が覚めたにしては寝覚めが悪い。
寝起きっていうのはもっとこう、母さんが叩き起こそうとしてくる声とか、外の鳥の鳴き声とかで、もっと生暖かいうるささがあるはずで、こんなざわざわとして機械じみたうるるささは存在しないはずで_____
そして、目の前に置かれた巨大な鉄の塊が目に入った。
続いて、たくさんの人の話し声が聞こえた。ざわざわとうるさい。
最後に、腰から伝わる硬い感触が嫌になった。
周囲を見渡す。自分はどうやら、アスファルトの道路の上に座っていたようだ。ズボンが汚れてしまう。俺はすくっと立ち上がった。
人混みから、一際大きなざわめきが聞こえてきた
「おい、嘘だろ……」「起き上がるぞ……」「夢か、これ……?」「あの子、今絶対轢かれてたよね……」「どうなってんの……」「やばっ……」「嘘、死んでない……?」「生きてる?生きてるの?」「マジかよ……」「何あれ…」
(…………え?)
状況が飲み込めない。なぜ自分はこんなところに座っていたんだ?なぜ目の前には、大破したトラックが横たわっている?なぜ周囲に、驚きと怯えを隠さない人の群れができている?
5秒くらい周囲を呆然と見渡して、段々と脳裏に記憶が戻る。
そうだ、自分はここでぼんやりしながら歩いて、赤信号を渡ってしまって、それでトラックに轢かれ___
でも、助かっている。おまけにぶつかりそうになったトラックは全面が大破している。ちょうど、トラックの運転手がよろめきながら運転席から出てきた。見るからにフラフラしているところを見るに、飲酒運転か居眠り運転でもしていたのだろうか。
大破している、ということは何かに当たったということだ。この場合、当たった対象は自分しか考えられないのだが____。
そこでようやく気づいた。なぜ周囲の人間が、自分に対して奇異と怯えの目で眺めるのか。なぜ、自分が無事なのか
。
「ははっ……」
いや、理解できるものか。だっておかしいじゃないか。
なんたって、身体能力が平均以下しかない、たかが15歳の少年がトラックを止められるというんだ。
意味が分からない。妄想にも程がある。
でも、確かな感触があった。自分が強い力で、手をトラックの全面に押し当てて、ビクともせずに受け止めたという感触があった。
いや、もういい。訳が分からないことを考えてもしょうがない。忘れてしまえばいい。こんなことからは、目を逸らすのが一番じゃないか。
色んなことを気にしているうちに、パトカーの音が聞こえてきた。確かに考えてみればこれは交通事故だ。そりゃ、警察が来るのは当たり前だろう。
ふと、辺りを見渡すと、そこにはスマホのカメラを起動させて、俺と大破したトラックに対し、不躾な目線を送るたくさんの人影が見えた。
「…………」
その光景が何を意味するか、この時の俺はまだ知らない。脳はフリーズして、もう何も考えられなくなっていた。
自分の体が自分のものじゃないような感覚を味わいながら、俺はされるがままに、その後の様々な出来事を乗り切った。
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