第2話 逢坂かずさという女

「君はかずさのことが好きなんだね」

「ええ。そうよ。大好き。絶対に失いたくないわ」


「じゃあかずさの代わりにするために、かずさの子を産みたいの?」

「違うわ」


 はっきりと彼女は言い切った。


「そんなんじゃない。そんな歪んだものじゃない。

 かずさの子はかずさの子であって、かずさ自身じゃないわ。

 そんな当たり前のこと、わかっているに決まってるじゃない」


「じゃあ、なんで妊娠したいと思うんだ?」


「かずさに愛を教えたいからよッ!!」


 彼女は大きな声で言った。叫びのような、泣きそうな震えた声で。


「あの子ね、小さい頃から親から虐待を受けていたの。ずっとずっと、いつも痣があったでしょう? 覚えてない?」


「絆創膏をよくしていた記憶はあるよ」


「そう。あれは私がいつも貼ってあげてた。彼女は絆創膏を貼るお金ももらってなかったから」


「……そんな」


「彼女の父はいつも彼女を殴っていたらしいわ。

 痣は他人に見られない、お腹や腰をよく狙っていた見た。

 だから児童相談所も何度も保護しようとしていた。先生も手配してくれた。

 でも、彼女がずっと虐待を否定して、父親を庇うのよ。

 最終的には強制的に保護できたのが小学生の時。

 そこからかずさは見違えるほど明るい子になったわ。足が速くて、陸上部に所属していた。ねぇ、知らないの? それとも忘れちゃったの?」


「……ごめん、わからない。でも、それを聞いたから、僕はもっと駄目だと思う。だって、絶対の愛なんてないんだ。君がかずさの父親のようになったら――」


「――


「なんで言い切れるんだよ。

 それがおかしいって言ってるんだ。なんで伝わらないんだよ。せめて躊躇とまどえよ。

 かずさの父親も、もしかしたら彼女が産まれた時には喜んだかもしれないじゃないか。

 でも結果的に彼女にどうしてか暴力をふるって、わからない。

 僕にはそんな大人の頭なんてわからないから、どうしてそんな思考になったのか、考えたくもないよ。

 でも、僕は自分の子どもにそんな気持ちを思ってほしくない。

 かずさがいなくなってから、どうするつもりなんだ?

 彼女の子を育てて、それで、それで? 有子は――」


「百合ヶ丘」


「……百合ヶ丘さんは、その子を――『かずさ』として見ない自信はあるの?」


 僕の言葉に、彼女の瞳が揺らいだ。


「世間ではいっぱい子が死んでいる。

 そんな子のことを『サバイバー』っていうんだ。知ってる?

 幼稚園の頃によく公園で遊んでくれた小学生のお兄ちゃんが居ただろう?

 あの人もサバイバーだったんだよ。

 母親に苦しめられていた。君は近くにそんな人がいるって知ってた?」


「名前も覚えていないわ……私はかずさしか見てなかったから」


。なんで、伝わらないんだろうな。

 きっと君はを見ていて、僕はをみているんだ。

 僕も片親だったって知ってる? 最近母さんが再婚したんだよ。

 新しいお父さんもいい人でさ、平日にはちゃんと働いて、休日には一緒に日曜大工とかしてさ、僕をこうやって高校に行かせてくれている。

 大学だって行ってもいいって言ってくれている。そんないい人なんだよ。

 実の父さんのことを知らないけど、こういう人を父親なんだって僕は知ったんだ。

 母さんは父さんと結ばれて、幸せそうでさ。

 去年、妹ができたんだ。16歳も離れた妹が。

 僕は虐待なんて何も受けてないけど、この家にいていい存在じゃないのか、たまにそんな疎外感をずっと抱えている。

 高校を出たら、独り立ちをして家を出るつもりだ」


 有子は沈黙する。


「それがそういう気持ちがわからないのなら、やっぱり君は恵まれてるんじゃないかな?わからないけれど。

 僕は母さんに幸せになってもらいたいと思っている。

 だから、別に疎外感は嫌じゃないんだ。怖いけど。

 やっぱり母さんも僕と同じ一人の人間だから、幸せになってほしいと思ってる。

 君はかずさの子を産んで育てて、そこからどうするんだい?


「幸せに暮らすわ。笑顔の絶やさない子に育てる。この世で一番唯愛すると誓う」


「そうだね。子どもを幸せにするのは親の義務だ。

 でも親だって人間だよ。子どもが産まれたからって、幸せになっちゃいけないってほど、世界は残酷じゃない、親だって幸せになる義務はある。

 そんなの当たり前のことだ。

 親たちは結ばれて、自分たちで選んで作ったんだから。責任を持つべきだ。

 それができない親もいっぱいいるけど、ときに片方の親が、教師が、児童相談所の人たちが、世間が助けてくれるから、歯車は回っている。

 でも、僕らが知らないだけで、助けを求められないサバイバーの子はいっぱいいる。

 愛を受けていない子はたくさんいる。そんな子になってしまうかもしれないよ?」


「……そんな子にしない」


 彼女はギリっと歯を噛んだ・


「絶対なんてないんだよ。

 うちの母さんも妹を産んだ時、ちょっとヒステリックになったときがあったんだ。多分母性本能なんだろうね。

 周りが信じられなくなって、ずっと泣く妹に『なんで泣き止まないの?』って、怒鳴ったことがあったんだ。

 母さんはかなり後悔していた。その心の傷が妹に残らないのなら、良いと思う。でもきっと記憶の奥底で覚えていると思うよ」


「貴方は、子を産むことに反対なのね?」

「きみがかずさの子をかずさとして見ないなら、僕は精子を提供するよ」


 彼女はすこしためらった。

 きっと、そう思ってしまうんじゃないか――そういう不安があったのだろう。

 僕はその不安を掘り起こしてしまった。

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