百合ヶ丘さんは、子を産みたい。
六花さくら
第1話 百合ヶ丘という女
「ねぇ、田中くん。貴方の精子をちょうだい」
「……はい?」
夕暮れの屋上。
黒く艷やか髪をたなびかせて、彼女は言った。
僕は田中タカシ。
目の前にいる彼女は百合ヶ丘 有子。
僕と彼女はいわゆる幼馴染という関係だった。過去形なのは、今はもう交流がまったくないからだ。
幼稚園の頃は一緒に過ごし、小学校高学年になると同時に少しずつ距離が開き、中学の頃には話もしなくなった。
中学の頃から、彼女は学校の女神様と呼ばれるようになり、僕はただの中学生A。
同じ高校に進学したけれど、彼女は優等生コースで、僕は一般コース。
全く釣り合わない関係――だったけれど、今日の朝、高校2年の春に、靴箱に手紙が入っていたのをみて、僕は浮き立つ気持ちを抑えられなかった。
――屋上で待っています。有子。
真っ白い髪に、教科書のような丁寧な文字で、そう書かれていた。
好きか嫌いか、そういうのを意識した関係ではない。
でも僕は何度か彼女を見て致したことがある。
それは好きとか嫌いとかじゃなくて、本能から来るものだった。
でも、告白されたらどうしようかなぁ~なんてついさっきまでうかれていた。
だから、彼女の独特な『告白』に僕は度肝を抜かれた。
彼女は一寸も照れずに言った。
むしろゴミでも見るかのような目で僕を見ている。
「……私、妊娠がしたいの」
「え……何を言ってるの?」
「妊娠したいの。産みたいの。本当は誰の精子でもいいんだけど、どうせだから幼馴染の貴方を選んだだけ」
「えっ、どんどん言ってることの意味がわからないよ」
「逢坂かずさのこと、覚えてる?」
――逢坂かずさ。
彼女も僕の幼馴染だった。
亜麻色の髪をみつあみにしていた地味な女の子だ。
有子と同じように幼稚園の頃に交流があったくらい。
いつも有子と遊んでいると、彼女がついてきた。
幼い頃、僕は有子がなんとなく好きで、かずさのことは野良犬のようなやつだと思っていた。
彼女は有子と違って、最近姿を見ない。
「かずさ、命が危ないの。覚悟をしてくださいって、お医者さんに言われたらしいわ。だから、私は妊娠したいの。かずさの子を」
「……えーっと、僕を選んだのは」
「たまたま思い出しただけだわ。どうせなら、かずさが一瞬でも好きだった貴方の遺伝子とくっつけようと思って」
「……えっと、えーっと、話が見えないんだけど、有子は」
「百合ヶ丘」
「……百合ヶ丘さんは、僕の子を産みたいの?
かずさの子を産みたいの?
でもかずさは女の子だから……。
女と女の遺伝子は、ほら、くっつかないって知ってるだろう?
中学の科学で習ったじゃないか。男の染色体はXYで、女の染色体はXXで――」
「つべこべダラダラ言わないで。そういうところ嫌いだわ」
「……はい」
冷たい声で言われて、しゅんとなる。
たしかにダラダラ言うのは僕の悪い癖だ。
でも本当に唐突すぎて、彼女の言い出した意味が本当にわからないのだ。
「かずさの卵子は冷凍保存しているわ。
失敗した時用に、何個も保存してる。
彼女がいつかのためにそうしたの。
それを選んだの。だから貴方は精子を出してくれればそれでいい」
「つまり、えっと、君は……そうだな、こう言いたいのかな。
彼女と俺の子を妊娠したいってこと?」
「気持ち悪いけど、そういうだわ」
めちゃくちゃ嫌悪の目で見られた。
「本当はかずさと私の子を産めたら一番よかったのに。女同士だからできない。
かずさとかずさの子でも良いわ。
もう少し医学が発展したらできるかもしれないけど、その頃にはもう遅いもの。
かずさは亡くなっているかもしれない」
「そもそも、僕らは高校生だよ? 妊娠とか、そんなことをしてもいいの?
君の人生が変わってしまうかもしれないんだよ?
そんな簡単に子どもを産むとか、産まないとか、そんなの選択するべきじゃないんだよ?
ほら、ニュースなんかでよく取り上げられているじゃないか。
早くに妊娠して、育て方がわからなくて虐待をされたとか、そういう子たちもいる中、君は僕とかずさの子を愛せるの?」
「間違わないで。私はかずさの子を産むの。かずさかずさかずさかずさかずさ+αのように貴方はおまけにすぎない」
「……そうですか、でも――」
「だらだら言い過ぎ。もう二度目の注意よ。貴方はただ首を振ればいいの。縦か横か。それは自由だわ。勝手になさい」
どこまでも彼女は高圧的であった。
「お金ならあるわ。私の家、大学病院を経営しているもの。
留学したいって言ったら親はどんどんお金をくれるわ。
私だって、どんどんお金を稼ぐ。
愛も惜しみなく注ぐ。
かずさの子に愛を注がないなんて、絶対に有り得ない。
私は体外受精でかずさの子を妊娠して、そしてかずさにかずさの子を見せて、抱いてもらうの」
「なんで、そんなにかずさに執着するんだ? かずさが君に妊娠してほしいって言ったの?」
「言ってないわ」
「じゃあどうしてそんなに焦っているんだ。君はおかしいことを言っている自覚がないの? すごく恐ろしいことを言っているんだよ? そもそも、その妊娠計画に付き合うのなら、僕も関係者だ。父になってしまう。まだ高校生だよ? そんな覚悟は僕にはない」
「つまり、ノーってこと?」
「そういう二択の話をしてるわけじゃないんだ。なんでわからないかなぁ」
「認知はいらない。精子だけくれればいい」
「そうじゃなくてさ、なんで伝わらないんだよ、僕は宇宙人と会話でもしているのかなぁ」
「あなたにとって、私は宇宙人かもしれないわね」
どうして彼女がそんな気持ちに至ったのか、僕には一ミリも理解できなかった。
「じゃあ、話をしよう。人と人、友人と友人として。そうしたら僕は精子を提供する」
「ほんとに?」
彼女の目が輝いた。
素直に喜べない僕がいる。
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