残り36日(11月23日)
「どうしてここに?」
「マリアージュ」の前で、小峰君が訊いた。私は首を横に振る。
「私にも分からない。ただ、気を付けておいた方がいいと伝えたかった」
「そんなに親密な関係でもないでしょう」
そうだ。彼女と会ったのは3回しかない。「また来る」というのも、社交辞令のはずだった。
それがどうして、再びこの店を訪れることになったのか?
土曜日、毛利刑事から来た連絡が切っ掛けだった。
「警備対象を、あなたの家族や友人にも広げる」。そう彼は告げたのだった。
毛利刑事は、木ノ内さんの友人が行方不明になったと話した。「揺さぶり」だろうと彼は語っていた。
具体的な要求は、まだないという。恐らくこれから接触があるだろうというのが、彼の見立てだ。
「グレゴリオ」は、私たち3人へのマークが厳しいと見ると、やり口を変えたらしい。親しい人間を人質に取る……正義感がさほど強くない私から見ても、外道としか言いようがない。
警察にも、割ける人員には限度があるという。応援を呼んだとしても、竹下君と木ノ内さんのご両親、そして私の家族の警備で手一杯だと、毛利刑事は辛そうに話した。
私には、親しい友人などいない。大仏や柳沢も、所詮損得で繋がった関係だ。そもそも、多分どちらか、あるいは両方が「グレゴリオ」の首魁なのだ。彼らを護る意味は、恐らくない。
ただ、妙に気になったのだ。丸井遥のことが。……私は彼女を、女性として意識しているのか?
明美との関係は破綻している。しかし、だからといって不倫に走れるほど、私の度胸は強くない。
だとしたら、なぜ「彼女を護らねば」という感情が湧いてきたのだろう?
「あら!!」
「マリアージュ」から、遥さんが出てきた。店の前にいる、私たちに気付いてしまったらしい。
「早速来てくださったんですね!寒くなりましたし、お店に入ればいいのに」
「あ……いや」
フフフ、と彼女が笑った。歳の割に、あどけなく見える。
「今日はこの前の子も一緒なんですね。高校生ぐらい、かしら」
「あ、まあそうっす。今は高2で」
「どういうご関係なんですか?」
私は言葉に窮した。中年男と男子高校生、しかも赤の他人だ。自然に誤魔化すのは、どうやっても難しい。
固まっている私を横目に、小峰君が苦笑した。
「いや、ゲームのオフ会で知り合ったんすよ。それで、たまに何人かで集まってラーメン食いに行ったりとかしてるんす。
今日は1人ドタキャンが出たんで、2人で一緒に行動してたってわけです」
「へえ、ゲーム、私もやるんですよ。Apexとか、ですか?」
「あっ、はい。そんなとこです」
Apex?息子がやっていたかもしれないが、私自身はゲームも何もやったことがない。
こんな嘘はすぐにバレる気がしたが、とりあえずは話を合わせるしかない、か。
「今度、私もご一緒できたらいいですね。ここで立ち話もなんですから、どうぞ中へ」
遥さんに促されて、店内に入る。若い女性客が数人、品定めをしていた。
喫茶コーナーにもそこそこ人がいる。渋谷の中心から離れた所の割には、まずまずの繁盛と言えるかもしれない。
「ご注文が決まりましたら、お呼びになって下さい」
遥さんが去ると、小峰君が怪訝そうな顔をした。
「……彼女、『リターナー』かもしれないって話、本当すか」
「分からない。私が勝手にそう思ってるだけかもしれない。あり得るのか?」
「なくはないでしょうね。『覚醒レベル』は高くはなさそうっすけど。……それに、そう考えると、腑に落ちることもある」
「……どういうことだ?」
小峰君が周囲を見渡した。遥さんの姿は見えない。
「彼女は、あなたのことをうっすらと覚えているんじゃないんすか。そして、『前の時間軸』では、あなたたちは親しい関係にあった」
「……!!だが、まだ3度しか会ってないぞ」
「この時間軸では。既に、歴史は少しずつ動いています。本来起きるべきことが起きなかったり、逆に起きないはずのことが起きたりする。
大枠は変わらなくても、微妙なずれは起きている。まあ、概ね俺たちが歴史を変えたりしたからなんすけど」
さらっと重大なことを小峰君が言った。
「……歴史を変えた?」
「まあ、それはおいおい。それに、今回の件とはあんま関係ないっすからね。
とにかく、恐らく前の時間軸の記憶や感情を、彼女はごくうっすら持っている。だから、あなたに対しての距離が近いんです。
そして、あなたも彼女に、特別な何かを感じてるんじゃないすか?」
「……何を、馬鹿な」
向こうから、遥さんの姿が見えた。これ以上は聞かれると良くない。
「こちら、カモミールティーとレモングラスティー、それにアールグレイのシフォンケーキです」
ハーブティーの複雑な香りが辺りを包んだ。やはり、どこか落ち着く感じがする。
「シフォンケーキは、手作りですか」
「ええ。独学ですけど」
ホイップクリームはやや茶色がかっている。これにもアールグレイが入っているのだろうか。
シフォンケーキにクリームを絡めて口にすると、濃厚な茶葉の香りが口一杯に拡がった。……これは、旨い。
「……美味しいです。お世辞じゃなく」
「そう言っていただけると嬉しいです」
遥さんが、照れたように笑う。一礼して去っていく後ろ姿を、私はじっと見ていた。
「……それっすよ」
「どういうことだ?」
「『歴史は変更を嫌う』。それは網笠さんからも説明があったはずです。人間関係も、それは同じなんす。
好き合った人間は惹かれ合い、憎しみ合う人間は互いを遠ざけようとする。それは、時間軸が変わろうと変わらない……と聞いてます。
あなたと丸井遥も同じっすよ。恐らく、前の時間軸では恋人……あるいは、不倫関係にあったんでしょうね」
ゴクリ、と私は唾を飲み込んだ。……そういうことか。
「にしても、どうしてそう考える」
「んなの2人を見てりゃ分かりますよ。一応、これでも精神年齢はアラフォーなんすから」
コクリ、と彼がカモミールティーを口にし、止まった。
「……とすると、水元さんがここに来たのは正解だったかもしれない」
「え」
「『グレゴリオ』、ですよ。大仏か柳沢は、前の時間軸においてあなたたちの関係を知っていた可能性がある。とすれば、狙うのは彼女です。家族より、ケアすべき対象かもしれない」
「まだ、どっちが『グレゴリオ』のトップか、分かってないのか」
「どっちも19年後にはそれなりの地位にいてですね。『リターナー』である可能性を排除できてないんすよ。
しかも、これまでのところ尻尾を出してない。……相当用心深いっすね。とにかく、丸井遥には警備を付けます」
……カラン
店のドアに付いた鐘が鳴る。ふと入口を見た私は、自分の目を疑った。
……なぜ、お前がそこにいる!?
「や、柳沢っ!!?」
その小太りの男……柳沢は目を見開いて、大仰に笑った。
「おお!!水元じゃないか、奇遇だなあ!!」
「あ、ああ……」
どういうつもりだ?本当に偶然なのか、これは?
柳沢の後ろには、やはりやや太り気味の中年女性がいる。奥さんか?
「にしても、お前がここを知っていたなんてなあ。その子は?」
「ああ。彼は……」
小峰君が軽く一礼する。
「友人の小峰源、です」
「お、おお……にしても、マジで驚いたよ。なあ、蒔絵」
「知り合いなの?」
「大学の同級生でねえ。三友地所のエリート様だ」
ふうん、と興味なさそうに中年の女性が言う。
「そんなことより、さっさと買い物済ませるわよ。珍しく同行しようって言ってたけど、これが理由?」
「いや、さっき説明しただろ?お前の行き付けの店の店主が、死んだ丸井の妹って聞いてな。挨拶でもしようかと」
「あっそ。早くしないとBunkamuraのコンサートに遅れるわよ」
蒔絵と呼ばれた女性は、ハーブティーの品定めを始めた。奥から遥さんが出てくる。
「あら蒔絵さん!お久し振りです。……あ」
彼女の動きが止まった。柳沢に向け、ぎこちない笑みを浮かべる。
「柳沢さん。偶然、ですね」
「丸井の通夜の時は、どうも。嫁が贔屓にしてるみたいで」
「……蒔絵さん、奥さんだったんですね」
「まあ、ね。下北に住んでるんで、たまにこっちに来るんだよ」
……どこまで演技だ?それとも、全て本当か。
柳沢には、あまり小細工をするイメージはない。麻雀でも引っ掛けや迷彩はせず、比較的素直な手作りをする。
ただ、柳沢が「グレゴリオ」のリーダーでない保証はない。警戒は、解けない。
蒔絵さんが、柳沢を睨んだ。
「あんた、行くわよ。遥さん、お会計お願いできるかしら。本当はゆっくりできたらいいんだけど、この後用事がね」
「おう、すまんすまん。じゃ、また今度なあ」
会計を終えると、彼らはそのまま出ていった。……これは、どう考えるべきなのか?
「俺らも、出ましょうか」
「あ、ああ」
遥さんが、少し不安げな表情になっている。彼女にも、何か思うところがあるらしい。
「水元さんも、お帰りになられるんですか」
「ええ、ちょっと」
「……そうですか。また、来ていただけますか」
「近いうちに」
遥さんが安心したように笑った。
「分かりました!今度は奥さんも一緒にいかがですか」
「はは、できたら、ですね」
明美は誘いには乗らないだろう。来るとしたら私一人か、あるいは「警察」の誰かとか。
私は苦笑しつつ、「マリアージュ」を後にした。
*
店を出ると、小峰君が険しい表情になった。
「……どう思います」
「柳沢の対応は自然だった。でも、どこか不自然さも感じる。なぜ今、遥さんを訪ねる?」
「同感っすね。俺らがいたタイミングで来たのは偶然でしょうけど」
「私は、どうすればいい」
「一度、彼女に一通りある程度話した方がいいんじゃないすかね。無論、『リターナー』について話すのには、限度がありますけど」
週末に時間が取れるか聞いてみるか。彼女の連絡先は知っている。
「分かった。そっちからも、誰か入った方がいいんじゃないか」
「現状は監視ぐらいにとどめておきます。あまり、俺らのことを明かすのは良くないですからね。夜だと表向き未成年の俺は動けないんで、監視に回るのは別の誰かでしょうけど。
場所はこっちで用意します。『リターナー』のことを知っている人間がやってる店っす」
「ありがとう、助かる」
*
この時、私たちを尾行している人間がいることに、愚かにも私は気付かなかった。
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