残り39日(11月20日)その2
窓から茜色の光が射し込む。時間はまだ4時ちょっと過ぎたぐらいだけど、随分と日は早く沈むようになった。
今、この個室にいるのはあたしと俊太郎だけだ。お母さんはさっき出ていった。昼はお母さんが、夕方からはあたしが彼の様子を見ることになっている。
手をそっと撫でる。鷹山さんは、目覚めるまではそう遠くない、と言っていた。今はそれを信じるしかない。
夕日が彼の顔を照らした、その時だ。
「んっ……」
「俊太郎っ!!」
彼の目が開く。やっと……やっと目を覚ましてくれた。
この時を、どんなに待っていたか。目から涙が溢れる。
「……由梨花」
あたしは俊太郎に抱き付こうとして、ふと我に返った。
『目覚めたなら、彼の状態を冷静に、冷徹に見極めなさい』
昨日の去り際、鷹山さんはそう言っていた。そうだ。目の前の俊太郎が、あたしの知る俊太郎なのかは、まだ分からない。
あたしは涙を拭い、一呼吸置いた。
「俊太郎、よね」
俊太郎は一瞬、大きく目を見開いた。
「……そう、だけど」
「……話は、聞いてる。何で倒れたかも」
俊太郎が、あたしの目をじっと見た。沈黙が、流れる。
「……『未来の僕』の話も、か」
あたしは小さく首を縦に振った。
今話しているのは、あたしのよく知る俊太郎のようだった。ただ、その精神が安定しているかは、まだ分からない。
「あたしは、未来の俊太郎がどういう人か知らない。でも……あたしは今のままがいい」
「……今のまま、か」
俊太郎が視線をそらした。
「あたしは、未来のことなんて分からない。できるなら、知らないままでいたい。
でも、俊太郎の言葉なら、受け入れるから」
「……どんなことでも、か」
強く頷く。覚悟は、できている。
「……由梨花が『死んだ』後、僕がどうなったか。……知っていたけど、ずっと黙ってた。僕自身、これを認めたくなかったからだ」
あたしは黙って彼を見る。訊きたいことは幾つもある。
でも、大事なのは、彼の意思だ。……焦っちゃいけない。
「……僕は、復讐に動いた。エバーグリーン自由ケ丘の倒壊の要因を作った、三友地所に。
……いや、こんな理不尽を許した……この世界そのものに。
三友地所は……いや、恐らくは建築許可を出した国土交通省、そして施工を行った大泉建設も……当時のプロジェクトの主要人物であった水元敬士に、全ての責任を押し付けた。
事故直後に、彼は事故の理由が全て自分にあるとの遺書を残して自殺していた。……まさに『死人に口無し』だ」
彼の顔が、怒りで歪んでいるのが分かった。……こんな怖い顔の俊太郎は、初めて見る。
多分、これが「未来の俊太郎」なんだ。やはりまだ、人格は固定されていないんだ。
ゴクリ、と唾を呑み込む。彼は話を続けた。
「……無論、大規模な民事訴訟が提起された。だが、そのほとんどが、十分なものにならなかった。会社側の責任は監督者責任だけにとどまり、組織的な隠蔽は立証できなかった。
だから、僕は……法で裁けないなら、自分で裁くと決めた」
「自分で?」
「そうだ。……オルディニウムを使った、超小型核。それを使って、三友地所が入居する三友グランドタワーを、爆破した」
……血が一斉に引くのが分かった。
どうして?と口に出すのを、すんでの所で飲み込んだ。それは言ってはいけない言葉だと、あたしは直感で感じた。
選んだのは、沈黙。ただ、彼が話し終えるのを待った。
「……何も、訊かないのか」
「続けて。あたしは、全部知りたい」
俊太郎が目を閉じた。
「結局、爆発は不充分だった。三友グランドタワーを倒壊せしめるには十分だったけど、思ったように『全てを壊す』には至らなかった。
だから、それを実現するために……何万人も殺した。無差別に」
俊太郎が、そんなことを?あたしが死んだからって、そこまで人は歪むのだろうか。
俊太郎の話す「未来の事実」は、あたしが知る彼とはどうしても結び付かない。多分、まだ何かあるんだ。そう直感した。
俊太郎が、自嘲気味に笑う。
「……竹下俊太郎というのは、こういう男さ。女一人死んだだけで、容易く全てを憎悪できる。
それは、今も未来も変わらない。今はただ、それが表に出てないだけだ」
「……違う」
俊太郎が、引いたのが分かった。あたしは彼の目を、じっと見る。
「……俊太郎が、そういう人じゃないことは知ってる。まだ、喋ってないこと、あるんでしょ?」
「……何を」
「俊太郎を変えた何か」
「……それも、毛利か藤原に聞いたのか」
毛利さんや「コナン」君をそう呼ぶということは……今喋っているのは、「未来の俊太郎」なんだろうか。
でも、今はそれは大した問題じゃない。今あたしがすべきことは、彼の話を聞くことだ。
「……ううん。何となく、そう思った。何かある、そうなんでしょ?」
俊太郎が、強く目を閉じた。「う……ぐ……」と何か唸っている。苦しんでいるんだ。
あたしは彼の手の甲に、そっと手を添えた。
「大丈夫」
数秒して、俊太郎の目が開く。
「……どうして、そう言える」
「未来は、変えられるんでしょ?エバーグリーン自由ケ丘だって、倒壊を防げるかもしれない。
その先は、俊太郎が知る未来とは、繋がってないはずだよ?」
「……違うんだよ」
「え」
俊太郎が唇を噛んだ。……すごく辛そうにも、悔しそうにも見える。
「僕が『変わってしまった』のは、そのせいだけじゃない。オルディニウムの影響だ」
……どういうこと?話が見えてこない。オルディニウムって確か……青山教授が研究している、人工元素のことじゃ。
放射性物質とは聞いていた。危ないものであるのは、想像がついていたけど……
「……あれは、人の精神にも作用するんだ。オルディニウムは、ただの放射性物質じゃない。人の身体だけじゃなく、心も『壊す』」
「そんな……でも『今の』俊太郎は、それに触ったりしてないんでしょ?」
ハハ、と俊太郎が乾いた笑いを浮かべた。
「僕が『リターナー』になっても、その影響は残り続けているんだ。いつ、僕が『壊れて』もおかしくない。
だから、未来を変えても……僕が僕でなくなる可能性は、消えないんだ。……それが、怖い」
彼の手が、震えている。あたしは、それを握った。
「……俊太郎。正直に言うね。……あたしも、怖い」
あたしの手も震えているのに気付いた。そう、怖い。でも、進まなきゃ。
「由梨花」
「でも、あたしが怖いのは俊太郎が変わってしまうことじゃない。……俊太郎を失うことが怖いの。
もし、俊太郎の心が壊れそうになったら……あたしが、何とかする、から」
目から涙が、再び流れてきた。声も、ちゃんと出せない。
「……何とかする、って」
「分からない……けど、答えはきっとある、の。身体の傷は、簡単には治らないし、腕を失ったら、それは戻らない。
……けど、心は、形のないものは、取り戻せる。だから」
あたしは、俊太郎の胸に顔をうずめた。
「だから……あたしを、信じて。きっと大丈夫、だから……!!」
頭に俊太郎の手の感触がする。その安心感に身を委ねながら、あたしは……いやあたしたちは、ずっと泣いていた。
……
…………
ブーッ、ブーッ
スマホが震える音がする。……何だろう。
「由梨花、出ていいよ」
穏やかな声で、俊太郎が言う。あたしは身体を離し、手元にあったティッシュで目元と鼻を拭く。
スマホを手に取ると、そこには毛利さんの電話番号が表示されていた。何かあったんだろうか。
「もしもし」
『毛利です。取り込み中だったかな』
「いえ、もう大丈夫です。俊太郎が、目を覚ましました」
『そうか!それはいいニュースだ。竹下君に、この会話を聞かせられる状況か?』
俊太郎が頷く。彼も落ち着いたみたいだ。
「ええ。何か動きが?」
『いいニュースと悪いニュースがある。まず、いいニュースだ。『グレゴリオ』の坂本に、逮捕状が出た。
容疑は麻薬取締法違反。『AD』以外にも幾つか薬物を捌いてたらしくてね。どうも住口会も絡んでいるという話だ』
「じゃあ、黒幕も……!?」
『そう願いたいけどね。候補の2人には張らせているが、なかなか尻尾が掴めない。まあ、坂本を捕まえたら分かることだ』
「悪いニュースって」
毛利さんが数秒黙った。
『……君の友人の佐藤優結さんが、姿を消した』
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