残り39日(11月20日)その1




僕は深い、深い闇の中にいた。




目を凝らしても、何も見えない。ただ何もない空間。

だけど、そこは妙に心地よかった。このままここに居続けてもいいように思えた。



……これが死、か。それならば、そう悪くはないな。

何か、とても大事なことを忘れている。でも、それはもうどうでもいいように思えた。



……



…………




「今、どんな気分だ?」




不意に、耳元で声がした。横を見ると、僅かに光が差し込んでいる。そこにいたのは……



「誰だっ!!?」



そこにいたのは、白衣を着た小男だった。目は落ち窪み、髪はボサボサで無精髭も生えている。年齢は、40ぐらいだろうか。ただ、その眼光だけは、異常に鋭い。



どこかでこいつを見た記憶がある。……それも、何度となく見ている。こいつは、一体……



男は歪んだ笑みを見せた。



「自我が消えかかっているようだな。大いに結構だ」



自我……?



そうか!!これは……そしてこいつはっ!!!



僕は一歩引いて、アップライトに構えた。



「……ふざけるなよっ!!」



男は笑みをさらに歪めた。



「ふざけているのはどちらだ?意識体である僕に、その拳は決して届かない」


「ああ、そうだろうね!……未来の僕」


こいつが、2040年の僕なのか?明らかに、マトモな人間じゃないと直感した。

自分が数千人も殺したテロリストになるなんて全く想像できなかったけど、こいつがそういう人間だと紹介されたら、多分あっさり納得しただろう。それほど、この男からは「邪」の臭いがする。


男は……「未来の僕」は、相変わらず嗤っている。


「そのまま眠らせておけば良かったかな?自我が消えつつあるのに甦らせるとは、僕も迂闊なようだ。……いや、止めを刺すならありなのか」


「ブツブツ何を言っている!?」


「いやあ、どうお別れを言おうか、とね。君の精神は消え、肉体は僕が使わせてもらう」


「させるかっ!!」


ブン、と右ストレートを放ったけど、そこには「未来の僕」は既にいなかった。


「こっちだ」


背後から声がした。……いつの間に?


「19年前の僕は、ここまで愚かだったか?精神体を殴ろうとしたところで、どれほどの意味がある」


呆れた様子で、「未来の僕」が言う。


「僕は僕だ!あんたのものじゃないっ!!」


「いや、僕のものだよ。青山教授には、僕が『リターナー』であることを気付かれた。その時点で、僕が彼に荷担する運命は定められた。

だからこそ、僕の支配が強まっている、というわけだ」


「……由梨花はどうするっ」


「もちろん救うさ。彼女だけね。その上で、僕は僕のなすべきことをさせてもらう」


「由梨花の両親や、エバーグリーン自由ケ丘の人たちは、どうなってもいいのかっ!?」


ニチャア、という音が聞こえるかのような笑みを「僕」が浮かべる。


「無論だよ。昔の僕は、ここまで偽善者だったかねえ」


「『歴史は変更を嫌う』、あんたも知ってるはずだ!三友グランドタワーの爆破は、あんたがやらなくても遺族の誰かが……」


クク、と「僕」が声をあげた。


「……何がおかしい」


「いやあ、実に滑稽だよ。何故ならば……」


「僕」は道化のように、両腕を上に挙げる。



「どちらにせよ、それは僕がやるからだ」



「……はあ!!?」



「そう、『歴史は変更を嫌う』。だから僕がやる。あんな腐った企業は、なくなればいい。隠蔽には、少なからず上層部も関与しているからな。

水元にせよ、所詮保身のために君に協力しているにすぎない。なくなっていい存在なのだよ」


「僕」は、こんなに身勝手な考え方をする人間なのか。由梨花を喪ったから、こんなに歪んでしまったのか?

僕は、自分で自分を否定したくなった。こんな奴に、精神を奪われてなるものかっ!!



ふと、手を見る。……徐々に、それは透明になっている。まさかっ!?



「残念だが、お別れの時間だね」



冗談じゃないっ。こんな奴に、由梨花を任せるわけには、断じていかない。

でも、どうすればいい?僕が彼を「消す」方法なんて、あるのか??



……ちょっと待て。引っ掛かる点がある。



「……何故、僕を煽る」


「僕」の表情が、無になった。


「君が愚かだからだ。それ以上の理由があるか?」


「……ある。そもそも、何故僕を『起こした』。僕の自我は、消えかけていた。あんたも言ってたが、身体を乗っ取りたいだけなら、そのまま黙っていればよかった」


僕は「僕」の目を見た。奴は黙ったままだ。僕は話を続ける。


「……あんたは、僕が消えかけている理由もわざわざ説明した。身体を乗っ取って、何をするつもりなのかも。親切すぎるんだよ。

つまり、あんたは……『未来の僕の良心』。違うか」


「ハッ??馬鹿なことを……」


「いや、今なら分かる。夢に見ていたあんたの記憶。そこにヒントがあった。

『未来の僕』も、自我が冒されてるんだろう?オルディニウムによって」


「僕」が、再び黙った。やはり、か。


「オルディニウムには人の精神を変容させる力がある。人の悪意や邪心を増幅させる、と言い換えてもいい。『未来の知識』がある今なら分かる。

ずっと引っ掛かってた。僕が何故未来でテロリストになったか。そんな大それたことを、僕はできない。どんなに誰かを憎んでいたとしても。

とすれば、そこにしか答えがなかった。あんたもまた、助けを求めてる。違うのか」


「……心底反吐が出る偽善者だな」


「何とでも言えばいいさ。だが、あんたは僕を煽るだけしかしてこない。

つまり、僕に主導権を握ってもらうことで、オルディニウムの支配から自由になろうとしている。そうなら、説明がつく」


「僕」はしばらく黙った。もう、肘の上ぐらいまで透明になっている。急がないと。


「……できるわけがない」


「何がだよ」


「お前は、由梨花に隠していた。『未来の僕』が、何をしたかを。そんな大罪人を受け入れるほど、あの娘の度量は広くない」


「そう思い込んでいるだけだ。やらなきゃ分からないだろ!?」


ニタア、と「僕」が嗤った。


「そうかよ。なら、やってみせろよ。もし失敗したならこの身体は『俺』が貰う」


ゾクリと寒気が走った。目の前の「僕」には、やはり悪意の部分も存在しているらしい。


「上等だ」


震えた声と共に、言葉が発せられる。そして、暗闇に光が溢れ始めた。


「チャンスは1回だけだ」


「……分かってるさ」


*



……




…………




………………そして、急に視界が開けた。




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