残り74日(10月16日)


「由梨花、何ぼーっとしているの」


優結があたしの手の甲をボールペンでつついた。


「あ、うん、ちょっとね」


「早稲田祭まであと3週間なんだから。イベントの準備、ちゃんとやらないと」


「……そ、そだね」


あたしは作り笑いを浮かべた。目の前には店のデザインがプリントアウトされたA3の紙がある。


うちのサークル「イギリス文化研究会」は、毎年イギリスのアフタヌーンティーをイメージした出店を出す。今回は男装執事カフェというコンセプトらしい。

メイドなど、サークル生がコスプレをしてお茶を出すのが恒例だけど、出す軽食とお茶は本格的なものだ。スコーンも当然手作りだ。


ただ、今日のあたしはどうも集中しきれないままでいた。


「例の彼氏君に由梨花の執事姿見せたら、驚くだろうねえ。というか、彼氏君に女装させたら似合いそうじゃない?」


「あ、うん。そうだね」


生返事のあたしに、優結が訝しげな表情になる。


「ん?喧嘩でもしたの?それとも、もう女装させてたりとか?」


普段のあたしなら、怒ったふりぐらいはしてみせただろう。でも、そんな気にはならなかった。


水曜から、俊太郎の反応がどこかおかしい。いや、前から変だったけど、今回はまたちょっと違う。

今日、学祭の打ち合わせの後に会わないかと誘った時の反応も妙だった。「ちょっと、用事があるから」と断ってきた。

そして「用事が何かは後で言う」「来週辺り、とても大事な話がある。時間空けといて」とメッセージが届いたのだ。


別れ話、では多分ないと思う。俊太郎はちょっとあたしに依存してるとこがある。そんな彼が、別れを切り出すなんてことがあるとは思えない。

とすると、これは何だろう。例の悪夢についてのことだろうか。

強迫症とかの心の病……じゃないと思う。あたしに精神病のことは分からないけど、心の病にしてはちゃんとコミュニケーションが取れてる気がする。


とすると、何だろうか。留学とかの話じゃないといいけど。

彼は自分が思うより、ずっと優秀だ。友達からも、人づてに俊太郎の評判を聞いたことがある。「青山二世」、それが彼の異名らしい。


「由梨花、またぼーっとしてる。本当、どうしたの」


「あ。……ごめん、ちょっと考え事」


「由梨花にしては珍しいね。就活も大体終わったんでしょ?彼氏君関連、だよね」


「……どうだろ。最近分からなくなっちゃって」


優結が眉をひそめる。


「それ、結構危険な兆候じゃない?一度、ちゃんと話し合った方がいいよ」


「うん、そうする。来週は会うし」


……大事な話、か。ちゃんと内容は明かしてくれるみたいだけど、なぜ今それを話さないのだろう?

分からないことが多くて、頭がぐちゃぐちゃになりそうになる。感情を平静にとどめようとしてるけど、それができているかはちょっと自信がない。


問い詰めたい気持ちはある。でも、今はとりあえず俊太郎を信じてみよう。

そう思い、あたしは優結が淹れてくれたアッサムを飲むのだった。


*


打ち合わせが終わって、あたしと優結は池袋の執事カフェに向かった。もちろん、遊びじゃない。プロがどうやっているのかの、現地調査を兼ねてのものだ。

カフェ「Englishman in IKEBUKURO」のコンセプトは、あたしたちが計画している出店のそれにとても良く似ている。というより、ほぼパクりかもしれない。

店員が「イケおじ」の執事である点は、随分違うけれど。


「お嬢様、ご注文は」


口髭の初老の男性が、恭しく頭を下げる。あたしたちはアフタヌーンティーセットとダージリンを注文した。遅い昼食兼夕食には、ちょうどいいだろう。


「畏まりました」


優結が店内を見渡す。落ち着いたデザインの店内は、20代から40代まで、幅広い年齢の女性で溢れていた。

一人、60代ぐらいの男性がマスターとおぼしき人と親しげに話しているけど。きっと、カフェの関係者なんだろう。


「やっぱりよさげな店だね」


「そうだね。上品な雰囲気だし、所作も本物の執事っぽいし」


落ち着いたら、俊太郎も連れてこようかなと思った。彼も、きっと気に入るだろうな。


あたしは何気なくスマホのポータルサイトをチェックした。そのニュースの一つに、あたしの表情が固まる。



「嘘……」



「えっ?」


あたしは無言でスマホの画面を見せた。優結もたちまち絶句する。



「女性の白骨死体、群馬で発見


群馬県警は16日、群馬県みなかみ町の山中で女性の白骨死体が発見されたと発表した。遺留品から、女性は2020年7月より行方不明となっていた、神原葵さん(当時20歳)とみられる……」



「これ、まさか」


青い顔の優結に、あたしは頷いた。


「うん……俊太郎と会った日に、合コンをセッティングした、あの葵、だと思う。

確かに夏休み明けに退学したって話は聞いてたし、誰も葵がどこにいるか知らなかったけど……」


「あいつらに、『お持ち帰り』されてたとばかり思ってた。まさか、あのまま……」


あたしたちは戦慄した。もしそうだとしたら、俊太郎は意図せずして、あたしたちの命の恩人になったのかもしれない。


ただ、それにしても、こんなことになってたなんて。葵は好きじゃなかったし、退学したって聞いても「ふうん」ぐらいにしか思ってなかったけど……

あたしは小さく首を振った。優結は気分転換になればという思いもあってあたしをここに誘ったのだろうけど、どうも気は晴れそうになかった。


*




この葵の死のニュースが、思わぬ形であたしと俊太郎に関わってくるのだけど、それはもう少し先のことだ。




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