第26話 夕方、いつもの店内

 一学期の期末考査が始まった。


 テストは一日に二、三科目で、一週間続く。


 午後は放課になり、早く帰ろうが、校内で勉強しようが自由だ。なかには、塾の自習室で試験勉強をする生徒もいる。


 この日は、午後も校内の自習室で勉強していたユキだったが、夕方、いつものハンバーガーショップの二階に移動している。


 学校からたいして遠くない距離なのだが、とにかく暑い。


 自転車を漕いできたこともあって、ブラウスはあっという間に汗まみれのベトベトだ。


 一時期、省エネとか寒がりの人のために冷房を緩めにしている店も多かったが、この店は結構強めに冷房を効かせてる。


 というのも近年、夏は判で押したかのような猛暑で、七月上旬のこの時期、最高気温は四〇度を超える日すらある。一日中三〇度以上の熱帯夜が連続する日すらあった。


 これでは、とても冷房なしでは生活できない。冷房を入れている場所でも、下手をすれば熱中症になる。現にそういうニュースは今年も既に頻繁に聞かれるようになり、マスコミをにぎわせている。


 店内で少し早めの夕食をとりながら、ユキは世界史の教科書を開けている。


「あ~、外はまだ暑そうだし、嫌になるなあ~。ここ連日、最高気温は四〇度超えだよ。も~、溶けちゃいそう……あ~、明日のテスト、前々から数Ⅱに集中して、世界史は暗記科目だから一夜漬けでいいと舐めてかかったのが、間違いの元だった~!」


 そこへハンバーガーセットの載ったプレートを持って、ソラが二階に上ってきた。


「あっ、ユキちゃん」


「あ、ソラ君。外、まだメッチャ暑いでしょ?」


「いや、別に……どうしたの? めっちゃ、うんざりした感じの顔してるよ」


 ソラの「別に」という言葉を聞いただけで、ユキはますますうんざりする。


 もしかしたら、ソラ君は「暑い」という感覚が無いんじゃないか、なんてことまで思ってしまう。


「ソラ君、暑さには妙に強いのね……どうせわたしゃ、普段からうんざりした顔してますよ。今日は母の帰りが遅くなるからって、晩ご飯ここで食べるついでに、テスト勉強してたのよ。ソラ君こそ、何なの?」


「まあ、同じようなところだよ……って、ユキちゃん、ここのジャイアントバーガーセット食べてるの? カロリー高いよ。美容と健康にイエローカードだ」


 テスト勉強を嫌々やってる上に、痛いところを突かれたユキは、たちまち不機嫌な表情になる。


「うるさいわねぇ、余計なお世話。私だって、時にはがっつり食べたくなる時があるの」


 どうも今日のユキは、普段よりも言葉にけんがある。ソラに対しも少々喧嘩けんか腰だ。


「時には?」


「うるさいわねぇ!……って、なんで、わざわざ同じテーブルに座ろうとするのよ?」


「えっ、いいじゃん、いつものことだよ」


「よくないわよ。しっし、隣のテーブルに座りなさいよ。私、今、数学の勉強中だし、ソーシャル・ディスタンスを保ちなさいよ。ほら、県内でまた○○株とか出たんだよ。もし感染したら、おおごとになるんだから。その顔をアルコールで拭いてやろうか?」


と、ユキは持参していたウエットテッシュを取り出す。


「なんだい、ユキちゃん、人をウイルス扱いしてない?」


「ソラ君は、人間の変異株よ」


 新型コロナが流行し始めてからもう十数年になる。


 この病気は、ワクチンの開発とウイルスの変異の追いかけっこで結局、まだ根絶されておらず、世界中で時々思い出したかのように、散発的な流行が繰り返されている。変異株につけられるギリシア文字はもうかなり昔に使い果たされ、今は星座名がつけられているはずだ。最新の変異株はいったい何座の名前だったか、天文少女のユキにもさっぱり覚えがなかったが。


 そして四月以降、急速に仲良くなった二人の他愛の無い痴話喧嘩ちわげんかふうのやりとりなのだが、そこにこの前にもいた野暮やぼったい外見をした店員がまたつかつかと近づいてきて、ほとんど感情の現れていない表情で言った。


「あの、お客様」


「あ、はい」


「はい」


と、返事をする二人。


「店内での大声での会話、それもウイルスだとか変異株だとか他のお客様がご不快になられるような話題はお控えください」


「す、すみません」


「ごめんなさい」


 二人は口々にというか、バラバラに謝った。


「ちぇっ、怒られた」


 ソラは隣のテーブルで、珍しく少し不機嫌そうに黙ってハンバーガーセット

を食べ始める。


 実際、新型コロナに対する人々の対応も極端に二分されている。


 一方では、普段よっぽどの人混みに出かける時や流行時以外はマスクをつけず、わりと平気に外食もするタイプ。


 もう一方は、普段からマスクを着用して、どんな時も外食しないタイプ。


 数の上では前者が多く、それゆえ、ユキとソラの二人も今こうしてハンバーガーショップにいるわけだが、難しいのは後者の人間も少なからず存在し、しかも生きるためには屋外へ出なければならない時があるのだ。そのことがトラブルの原因となりがちである。


 前者の人たちは後者を指して「あいつら気にしすぎ」と思うし、後者の人たちは前者を指して「あいつら気にしなさすぎ」となる。


 ソラはと言えば、


「今はもう十数年前と違って、ワクチンも薬もそれなりに整ってるからね。今の日本で感染する可能性は、確率的にはコレラやペストと同じくらいでしょ。だとすれば、むやみに怖がることもないよ」


と、わりと平然としている。


 もちろん、あえて不衛生なことをするわけではない。


 さて、ユキはハンバーガーをかじりながら、しばらく黙って数学Ⅱの問題集に取り組んでいたのだが、そのうち我慢できなくなって、隣のテーブルにいるソラに話しかけた。


「ねえ、ソラ君」


「何? さっき、怒られたばかりでしょ」


 今度は、ソラのもの言いが少し冷たい。


「さっきはゴメンね。私、自転車漕いできたから暑くてさ、気が立ってたのよ」


と、ユキが謝る。


 ソラが今度は吹き出した。


「ぷっ、ユキちゃんが下手したてに出るときは、何か頼み事でもあるんじゃないかなって思うんだけど」


「え、え、え~」


と、ユキは少し驚いた声を上げる。


 しまった、読まれている。


「まあね」


 ソラはソラで、


「そうだね」


と、あっさりと受ける。


「お願い、世界史の試験範囲についてもう少しまとめて教えて」


「いいよ」


「えっ、本当?」


「人にものを教えるということは、自分の頭の整理にもなっていいから」


「なんか優等生のセリフっぽくて嫌だな……ねぇ、こっち来てよ」


と、ユキは笑いながら自分のテーブルにソラを手招きするような仕草をした。


「ほら、エジプト文明とインダス文明の流れは前に説明したでしょ……それを復習した上で、この確認問題をやってごらんよ」


「何かすごいね。この問題はどこから?」


「要点整理の予想問題集のコピーだよ……それからこっちは中国史の要点で……」


と、ソラは言いかけたが、ユキは、


「ちょっと待って、まずはエジプトとインダスを片付けてから中国に取り組むから」


と言って、しばらく問題を解いている。


 ソラはソラで、ユキの向かいの席で数学Ⅱの問題集を解いている。


 ところがユキは、一五分くらいして我慢できなくなったのか、


「でもさ、インダス文明滅亡の原因として有名なのは、やっぱり古代核戦争説でしょ?」


と、ソラにまたいつものようにオカルトの話題を向けた。


 こんな時でも、ソラは打ち返してくる。


「ユキちゃん、『有名』って、どこが?」


「えっ? 『モー』とか読んでると、当然の前提として語られてたりするよ」


「でも現在、古代核戦争説が一番流布されているのは日本だ、っていう話もあるくらいなんだよ」


「え~っ、そうなのぉ?」


と、ユキは驚きの声を上げる。いつもの二人の会話の展開である。

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