第43話

 結果として、将成に連絡がつく様子はなかった。むなしく鳴り響くコール音に動悸が収まらない。とにかく僕は早く将成を探さなければいけないと焦っていた。

 でもどうだ? 焦ったところで問題が解決するとは限らない。

 ここは一旦深呼吸をして気持ちを落ち着かせようと、僕は上がった息を整えるように意識して深呼吸する。


 ……以前、将成が入院をしていた時、健さんに聞いた話をふと思い出す。


『もともと将成あいつは生きることに執着をするような子じゃなかった』

『重い心臓病を患い、人生に生きる希望がなかった』

『自殺だって考えていた時もある』

『自殺しようとしていたところを、君のお母さんである美里先生に助けられた』

『それ以来将成は死のうと思わなくなった』

『美里先生に、恩返しする為に生きていくと決めたんだよ』


 その話を聞いた時、将成が母さんに助けられたという時期は、あのアルバムにあった写真の――海に行った頃だろうと思った。アルバムに入っていたそれまでの彼の写真は全て表情が暗いものだったからだ。助けられた、つまり救われた時期がその辺りならばと、僕はふと彼の行きそうな場所を思い付いた。

 それはあのアルバムに入っていた写真の海だった。

 彼と母の思い出が深いと思われる場所。あの海は地元でも有名な海水浴場だった。現在、五月中旬ではまだ遊泳禁止だったはずだけれど、海に入ることを禁止されているだけであってその場に行くこと自体は禁止されていなかったはずだ。

 僕はその推理を信じて、急いで写真の場所である海水浴場へと向かった。


 時刻はすでに夕方の六時を過ぎていた。夏前といってもこの時期は衣替えの季節もあり夕方は少し肌寒い。海の近くということも相まって肌寒さが際立っている。

 海水浴場に着く。あの写真の場所がどこにあるのかまでは分からなかったので、僕はしらみ潰しに探した。早く探してあげなければ、彼の体調が悪化してしまうかもしれない。それを考えるだけで体が震えた。

 着いてから三十分ほど経った頃、将成に似た人物の背中を見掛けた。近付くとその姿は僕の記憶の中にある将成と一致した。彼は、薄着で海の砂浜に座り込んでいた。

 約二年ぶりに見た彼の姿は、最後に見た時よりもなんだか細かった。

 僕は彼に気付かれないようにゆっくりとその背後に近付いていく。

 将成は海を一直線に眺めていた。夕日が海原に沈みゆく光景を、ただ黙然と見つめていた。

 僕は何も言えなかった。静かに彼の横に座り、彼の見る夕日を同じように黙然と見つめる。潮風が僕たちの間をすり抜けていく。


「……どうしたの。……疲れちゃった……?」


 やっとのことで僕は将成に声を掛ける。声が震えてしまったような気がしたけれど、ちゃんと彼に届いただろうか。将成はひと呼吸置いて「分からない」と呟いた。

「……ただ、気付いたらここにいたんだ」

「そうなんだ」

「…………毎日、毎日、検査検査検査。あの白い空間から出ることもできない。疲れて、くたびれて、食べれなくても無理矢理に生かされる。……病院は……生き地獄だ……」

 その言葉の数々は彼の治療の全貌を表しているようで、僕の胸は握られたように痛んだ。

 辛く苦しい毎日。

 疲れて食欲がなくても無理矢理に生かされる。


 ――


 その言葉は、将成が生きることにことを暗示していた。


「……小さい頃に『大人まで生きられない』って現実突き付けられて。じゃあどうやってこれから『生きて』いけばいいんだよって自暴自棄になって。死のうと思ってたのに……。美里先生に救われてから、ちゃんと生きていこうと思ってたのに。……生きるって、なんなんだ……」


 そう言って俯く将成。僕は声を掛けることができなかった。できるはずもなかった。きっと彼の気持ちを一番理解ができるひとは、佐央里さんだけだと思ったからだ。だから僕は黙っていた。

 将成の背中をさすろうとした瞬間、彼が急に立ち上がった。「え……」と僕の口から思わず声が漏れる。そのまま将成は海へと近付いていく。

 さざ波が彼の足を絡め捕る。まるで逃がさないと言っているように見えた。


(――まさか、海に入る気か……⁉)


 嫌な予感がした。このまま死ぬつもりなのではないかという考えが頭の中をぎった。僕は砂に足を捕られながらも将成を追う。ふらふらと歩いているはずの将成に、僕は追い付かない。

 どうして――! 僕は歯を食いしばりやっとの思いで将成の腕を捕まえる。彼の体は腹部まで海に入っていた。ばしゃばしゃと波がぶつかる。

「放せ、海音! 放せよ!」

「嫌だ、放さない、放すものか!」

 抵抗する彼の力は弱く、僕は海から急いで彼の体を引き上げた。ふらついて砂の上に転ぶ。将成が僕の下に倒れた。

「なんで……っ、なんで! 俺はもう、楽になりたいだけなのに……‼」

「だからって……死のうとするな!」

「……海音……?」


「――生きろよ……。生きろよ! ! 僕には、将成きみがいないとダメなんだ……! ダメなんだよ! だから死にたいなんて言うな! 僕を……置いていくな‼」


 僕の声が将成に届いたのか、将成は僕の目を見つめた。

 子供の様に泣きじゃくる将成を、僕は優しく抱き締める。

 将成の泣き声は夕日が沈みきるその時まで止まることはなかった。

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