第36話
本番まで、あと一週間と差し迫った
その日のホームルームでは劇中にて使用する衣装合わせが行われた。
製作途中のものらしく、本番に向けての最終調整として、採寸をしたいとのこと。一緒に着替えてしまえばいいものを、先に天川くんが試着し、次に僕の番となる。
「はい、これ着て!」
演劇部衣装担当の飯塚さんが差し出した
これを僕が着るのか? 全校生徒の前で?
嫌だという感情よりも、まず先に動きにくそうだという印象が頭の中を駆け抜けた。次に劇への出演が嫌になる。
何をしているんだ僕は。近年稀に見る、本気で頭を抱える事案だった。
「――うん。奥村君細身だと思ってたから、だいたい良さそうだね。あ、メジャー忘れちゃった。ちょっと取りに行ってくるから待ってて」
飯塚さんがウキウキしながら教室を出た。ほかの生徒たちは大道具や小道具などを工作室を借りて作成していたので、今この教室には僕以外はいない。
衣装を着てみると改めて実感するものがある。
シンデレラとして生きなければ、見せなければならないという気持ちになる。
「……はあ……」
けれど、いつまでもその気を保つことはできない。
僕は誰もいないことをいいことに、少し座ることにした。もちろん、せっかくの衣装を汚してはいけないので床には座れないけれど、普段は行儀が悪くてしない机の上に腰をかける。
(本当に、女の子みたいだ)
去年もメイド服を来ているからか、女装への態勢がついてしまっていた。それでも本物のお姫様のような衣装を着ている自分が不思議だった。
胸元からつま先にかけて丁寧に刺繍されているドレス。きっと美魚が着たら可愛いんだろうなと思いつつ、今の自分の見え方が気になった。飯塚さんが帰ってこないと動けないので鏡などで見ることはできないけれど、それでも今の自分が普段とは断然に違うことは理解していた。
「――え?」
ふと、声がした。
「えと、まだ採寸が終わってなくて、待ってるところで……!」
ああ、しっかりしろ、僕。あからさまに動揺しているのがわかってしまうじゃないか。そんなに真剣な目をして僕を見ないでくれと、思わず僕は天川くんから目を逸らす。天川くんはそんな僕をよそにどんどんと僕に近づいた。
ダンッ、と僕は窓際まで追い詰められ、そして逃げ場を失った。俗に言う、壁ドンをされたのだ。彼の顔が近い。恥ずかしさが顔まで広がり、きっと今の僕の顔はりんごのように赤くなっていることだろう。
カーテンの中で壁ドンをされたことがせめてもの救いか。飯塚さんが戻ってきた気配はないので安心する。
しかし近い。もうすぐで口が触れてしまうくらいに。
僕は思わずぎゅっと目を瞑って顔をなるべく彼から逸らした。しかし、いつまで経っても、彼からのキスは来ない。どうしたのだろう(と思う僕もどうかしているのだけれど)、目をゆっくりと開けると天川くんはすごく目を細めていた。
まるでそれは、目の悪いひとが目の前にある何かを確認する時のような、そんな仕草だった。
「……天川くん……?」
「……ん? 奥村か?」
そこで僕の中で合点がいった。ああ、今彼は目が見えていないのだと。僕はこの時少しガッカリしてしまった。無駄に恥ずかしい思いをしたのに、見えていなかったオチとは。僕はムカついて天川くんの肩を勢いよく押した。
「……ッ、バカ‼」
期待した自分もバカだけど、それでも期待させた天川くんに腹が立った。
「ごめんごめん。衣装合わせ終わってからコンタクトなくしちゃって。教室にメガネ取りに来たら奥村が……すごい衣装だな。綺麗だ」
天川くんは爽やかに微笑んだ。その表情だけで僕は彼を許してしまうのだ。なんて単純。僕は自分にガッカリした。
「どうした?」
「なんでもない……。ただの、自己嫌悪だから」
「あんまり自分を責めるなよ?」
「わかってるよ……」
僕が不貞腐れていると、天川くんが僕の頭をくしゃりと撫でた。
「まあ、本番までのあと一週間、がんばろうな、海音」
急な名前呼びに、僕は思わず目を見開いた。
僕も、天川くんのことを『将成』と呼んでみたい。
けれどそれを実行するには、まだ早く、僕の心臓は今にも張り裂けそうだった。
そうして、僕たちは本番を迎える。
不安と恥ずかしさを抱えながら、無事に成功することだけを祈って。
僕たちは舞台の上に立ったのだった。
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