第37話
開演ブザーが体育館中に鳴り響く。
これは、一回目の上演五分前のブザー。つまり準備のための音であった。
スタッフが開演前の注意事項を読んでいる時、僕の手はどんどんと冷えていった。
人前に出ることが怖い。
今更逃げられないとわかっていても、それでも怖いものは怖い。
それに……と舞台袖の隙間から席を覗く。そこには美魚たちや健さん、それに佐央里さんまでいた。文化祭に家族を誘ったのはいいものの、言わなければよかったと後悔した。
無意識に上がっていた息を整えようと深呼吸をしていると、横から背中を優しく叩かれた。叩いたのは天川くんだった。
「大丈夫だ。失敗しても俺たちがついてる」
「でも、」
「後ろは見るな。前だけ見てろ。何のために今まで練習してきたのかを思い出せ。大丈夫だ。なんとかなるさ」
天川くんが笑う。とても、自信に満ち溢れた笑顔だった。そんな笑顔を見てしまったら、本当になんとかなってしまいそうで、少しだけ緊張が和らぎ心が軽くなった。
二回目のブザーが鳴る。数秒して幕が上がった。
『新訳・シンデレラ』の始まりである。
『……どうしましょう。私みたいな町の娘が、一国の王子様のお誕生日をお祝いしに行ってもいいのかしら……?』
物語は順調に進んでいく。
僕は緊張なんて忘れて、今はただ物語を進めるのに必死だった。
前半、何事もなくスムーズに物語は進んでいった。これなら最後まで大丈夫だ、と思っていた。
――僕は、馬鹿だったのかもしれない。
目の前の演技に集中しすぎてしまい、王子様の天川くんの異変に気付けなかった。
僕と天川くんは終始出ずっぱりだが、あるシーンのみ出ない箇所がありそこで休憩ができる。
水を飲もうとペットボトルのキャップを開けようとした時、ドン、と誰かとぶつかった。幸い、開ける前だったので水は零れなかった。
誰だろうと振り向くと天川くんが赤い顔をして「……悪い……」と言った。僕はこの時、気持ちが高揚していて足がもつれただけなのではないかと思っていた。けれどそれは違うということが次の場面の彼を見た時に分かった。
後半戦、僕演じるシンデレラが城から出て行くシーンになり、僕はガラスの靴を脱ぎ捨てる。
『ごめんなさい王子様……私はやはり貴方のお眼鏡には敵いません。失礼します!』
僕は演技を終え舞台袖へと駆け出そうとした――そして腕を掴まれて告白されるシーンとなるはずだった。
「ま、……っ、まて……シンデレラ……」
天川くんの声が、掠れていた。
いや、掠れているというよりも、力が抜けているような弱々しい声だった。瞬間、掴まれた腕から彼の体がずるりと舞台床に落ちていった。周りはざわつき始めた。奥を確認するも誰もこの事態を把握していない。
つまりこれは、天川くんの演技プランではなく、彼自身の発作だった。
(天川くん……!)
今、僕にできることは何がある?
とにかくこのシーンを終わらせて、彼を休ませなければ。その時、僕は以前の台本の内容を思い出す。
――王子にはある秘密がありました。その秘密とは、彼はある呪いに掛けられているというものでした。呪いが進行すれば彼は死んでしまいます。呪いを解くには、十八歳の誕生日の日、未来のお嫁さんとなる女性とのキスが必要でした。――
そうだ。この発作は呪い。それを解くにはキスが必要だ。
苦しそうな彼の呼吸を治めるためには、キスをしなければならない。
こうなったら、やるしかない。
僕は台本のセリフを、前のものにアドリブで差し替える。
『……王子様⁉ これは、まさか呪いが?』
僕のセリフを聞いた天川くんは続ける。
『……そう、みたいだ。残念だな。僕は呪いを解くために君が欲しかったわけじゃない。ただ君とともに……ゲホッ』
息が詰まったのか彼が咳き込む。僕は小声で「天川くん……!」と声を掛け彼の背中をさする。天川くんは大丈夫と口では言っているものの、体は無理だと言っていた。
『……っ、そうならそうと早く言ってくだされば。……私は貴方を助けたいの!』
僕は天川くんの目を見てそう言い放った。そして、彼にキスをした。瞬間、舞台上は暗転し、僕たちは急いで舞台袖へと向かった。
「あとはこっちに任せて」飯塚さんが言う。前の台本ではもう一度出ることになっていたけれど、ナレーションで終わらせることになった。違和感なく終えれたことに胸を撫で下ろす。
こうして僕たちのシンデレラは終幕を迎えた。鳴り止まない拍手が、僕たちの舞台を彩った。
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