第31話
人生で一番濃い夏休みが終わった。
夏休み明けの実力テストも、お母さんと約束した三者面談も無事に終わった。
僕の行きたいと思っていた大学の模試判定もA判定だったので、このまま順調にいけば合格は間違いないと先生から褒められた。
また一歩、母さんに近付けたのだと思うと、とても嬉しくなった。
天川くんも実力テストが上手くいったらしく「奥村のお陰だな!」とそれはそれは満面の笑みで僕に報告してくれた。
僕はさらに嬉しくなった。
授業が終わり放課後になる。廊下では他クラスの子たちが文化祭の話で盛り上がっていた。
そうなのだ。これから文化祭が始まる時期に入るが、うちのクラスでも本格的な話し合いは明日からのホームルームで色々と決めていく。
今日じゃないだけマシかと思いながら、少しだけ僕の心は億劫になる。
今日は天川くんは定期健診のためクラスに顔を出さなかった。テストも終わったことだし家に帰ってしまおうと席を立つと、廊下にひと影を見つけた。
(あ。佐央里さんだ)
そう言えば、あの肝試しの日以来彼女に会っていないことに気が付いた。天川くんもいないし、母さんのことを聞くいい機会だ。僕は急いで彼女を追い掛けた。
「さ、佐央里さん!」
下の階に向かう階段の途中で佐央里さんを呼び止めることに成功した。
佐央里さんは相変わらず不機嫌そうな顔をして僕を見た。いい加減、彼女のあの表情には慣れてしまった。
「……なぁに、奥村クン。私に何か用?」
「あ、うん。ちょっと話せないかなって」
「告白? 言っておくけど私、あんたのことこれっぽっちも興味ないんだけど」
「いや違うよ……」
うわぁ……。凄く距離を置かれているのを感じた。でも僕はめげない。彼女と仲良くなりたかった。これは本心だ。
「……母さんのこと、教えてほしいんだ」
僕がその言葉を発した瞬間、佐央里さんの顔色が青くなった。
それはもう心配になるくらい。血の気が引いて青白くなっていた。
「さ、佐央里さん? 大丈夫?」
僕は彼女の肩を触れようとした。その瞬間「触らないで‼」と触れようとした手を勢いよく弾かれてしまった。ジンジンと手が熱くなる。こんなにもはっきりとした拒絶は初めてだったので、僕は驚きを隠せなかった。
「……あっ……」
佐央里さんは弾いた手を見て泣きそうな顔をした。
(どうしてそんな顔、するんだろう……)
僕は純粋に疑問だった。
「わ、私に触らないで。急に。びっくり、するじゃない……!」
「ご、ごめん。でも、顔色が悪いから、心配で」
「心配なんて結構よ! なんであんたなんかに心配されなきゃいけないの。私はそこまで弱くない!」
「ごめん」
この時、僕は何を思ったのか、少しだけ彼女に腹が立った。僕から何かを必死に隠すようにしていたのだと思う。彼女は、見えない何かと戦っているようだった。
その『何か』がなんなのかまでは、今の僕には分からない。
だから、その『何か』が知りたいと思った。
「佐央里さ、」
その時、他クラスの男子生徒が階段に向かって勢いよく突っ込んできた。目の前には佐央里さんがいるのに、だ。この時、僕は咄嗟に(何を思ったのか)彼女の腕を引っ張った。きっと彼女とその生徒がぶつかると思ったからだ。
佐央里さんは少しだけバランスを崩したけれど、無事にその男子生徒とは接触せずに済んだ。
けれど、逆に僕がその男子生徒と肩がぶつかってしまい、佐央里さんから手を放し、階段を落ちてしまった。
受け身ってどうやって取るんだっけ? と考えている間に、僕は中間地点まで落ちてしまった。体中が痛みを訴えている。
佐央里さんが駆け寄ってくる。彼女の目には涙が溜まっていた。やっぱり優しい子なんじゃん、と僕は薄れゆく意識の中で思った。
周りの声が段々と遠くなる。
佐央里さんの叫び声を聞きながら、僕は、意識を完全に手放した。
……カー、カー、カー。
どこかから、カラスの鳴き声が聞こえる。薄っすらと目を開ければ、カーテン越しに夕暮れが見えた。きっと時刻は午後五時。カラスの鳴き声と共に『七つの子』が流れていたのが聞こえた。
「――いっ⁉」
急な激痛に驚きのあまり、僕は勢いよくその場を起き上がった。辺りを見ればそこはいつもの保健室だった。痛みを感じた場所に手を当てると、ガーゼのようなものが貼ってあった。
手には青あざがあり、意識を飛ばす前に階段から落ちたことを思い出す。
これだけで済んだのは幸運だったとしか言えない。僕はほっとした。ほっとしたことで思い出したかのように体の節々が悲鳴を上げた。
「奥村‼」
ガシャン! と、仕切ってあったカーテンを勢いよく開けられる。あまりの勢いの良さに僕はびっくりした。開けたのは天川くんだった。彼の背後には佐央里さんもいた。彼女は目元を赤く腫らしていた。今まで泣いていたのだろうか。元気がなさそうだった。
「天川くん? どうしたの、今日は来ない日じゃ……」
「この馬鹿が、奥村に迷惑掛けたって聞いたから。近付くなって言ってあっただろ」
「ご、ごめんなさい……」
「あ、天川くん、それは僕が悪いんだよ」
「奥村は黙ってろ!」
こんなにも怒りを表に出している天川くんを見るのは初めてだった。
でも僕もここで引いてはいられない。
彼女は悪くないんだから。
「天川くん!」
僕は今まで出したことのない声を出した。慣れないことをして少し咳き込む。その衝撃で背中が痛みを訴えたが、そんなことを気にしてはいられない。
「佐央里さんの所為じゃない。これは僕の不注意だから」
「でも、」
「佐央里さんは何も気にしなくていい。というか、あの場所で止めた僕も悪いし、あの男子も悪いし。だから、悪いのは僕だよ、天川くん」
僕は天川くんの目をじっと見る。天川くんは少しだけ悩んでいるように見えた。
「……奥村がいいなら、もう何も言わねえよ……」
天川くんは怒りを治めた。
僕は内心ほっとした。これでもう彼女が怒られることはない、と思う。
いてて、と声を出してしまった。
その小さな
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