第30話

 目が覚める。

 そんな合図が聞こえた気がした。


 雨の音が本格的なものに変わっていた。

 ゆっくりと目を開ける。景色は暗く、まるで闇の中だった。

 ただ、眠る前とは違い、不思議とその闇は怖くはなかった。


 ――♩~♫~♩~


 怖くなかったのは、彼の鼻歌が自然と聞こえてきたからだ。


(これは……ノクターン……)


 僕が彼と初めて会った時に聞いた曲、ノクターン。

 思えば彼の歌声は初めて聞く。あの時はピアノで弾いていたから。

 ぽんぽんと体に振動が伝わっている。天川くんの手が僕の腹部辺りを優しく叩いていた。ノクターンが子守唄のようで、もう一度眠ってしまいそうになる。まるで赤子を寝かしつけているようだった。


「…………上手、だね……」

「♩~……ん? ああ、おはよう奥村。と言っても、もう夜だけど」

 ゆっくりと体を起こして窓のガラスを通して外を見る。眠りに落ちる前までの記憶では、暗かったけれど、それでもまだ明るかった気がした。時計を確認すればあれから三時間以上は経過していた。外はもうだった。

「迷惑かけてごめん」

 せっかくの楽しい時間を、自分の所為で失ってしまったのだ。

 僕は分かりやす項垂うなだれる。天川くんの顔が見れない。

 少しして「馬鹿だな~」と、頭をくしゃくしゃにされる。

「迷惑だなんて思ってない。……むしろ俺の方が謝らないとだし……」

「え?」

「え?」

 彼に謝らなければならないことなどあっただろうか? 眠ってしまう前の記憶を辿ってみるけれど、思い当たる節はなかった。

「忘れた、んだと思う……?」

「そ、そっか。それなら、それで」

 天川くんの表情がころころと変わる。最後は複雑そうな表情をしてこの会話は終わったのだった。


「……あの映画」と僕はテーブルの上に置いてあった例のDVDのパッケージを指差す。天川くんは首を傾げて僕を見た。

「もう一回、ちゃんと見てみよう。もしかしたら面白いかもしれないし」

「……奥村は優しいな。じゃあ、見てみるか?」

「うん」

 そうして僕たちはもう一回、B級映画を見始める。


 中盤辺りを過ぎても、やはり盛り上がるには欠ける。

 僕も天川くんも真剣に映画を見ていたが、面白さを見つけることは今のところできていなかった。

 ふと、先ほどまで見ていた夢の内容を思い出した。

 終盤戦、天川くんの集中力は限界に達していた。

 映画の音声が静かになったタイミングで、僕は天川くんに伝える。


「母さんを、否定しないでいてくれてありがとう、天川くん」

「え?」


 映画が終わった。

 エンドロールが流れている。主題歌は誰の歌だろう? 映画の内容と合っている気がする。とてもいい曲だった。


「……やっぱりこの映画、つまらなかったね」


 僕は、きっと笑っていた。

 母さんのことを思い出しながら、笑っていた。

 天川くんの表情が心配そうだったのは、僕の頬に涙が流れていたからだろう。


 夏休みが明ければ、僕たちはまた戻ってしまうのかな?


 君との『恋人』期間は、続いてはくれないのかな。


 そうして、高校最後の夏休みが――終わる。

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