第16・5話
その日、海音の様子が可笑しいと将成は感じていた。
そわそわと後ろの席から海音の様子を、まるで保護者の目線で窺っていた。
彼が後ろを振り向く気配があれば、将成は気付かれないようにしなければと何故かこの時思っており、狸寝入りをし続けた。おかげで首を痛めてしまった。
何かを言いたげな雰囲気を醸し出していたから、そのタイミングを計っていたのだが、海音の言いたいことは結局いつまで経っても聞けず仕舞いだった。
別にいいと思った。彼が言いたい時に言えばいいのだし、もしかしたら将成が勝手に思っているだけで杞憂なのかもしれない。なら、いいのだけれど。
色んな考えが将成の頭を悩ませた。しかし強要することはしたくない。海音が言いたいタイミングで聞いてあげることが唯一自分に出来ることだと将成は自負していた。
授業が終わり帰宅時間となる。
家に帰ってもすることがないし、暇を潰すにも兄の健が「最近お前は体調崩しがちなんだから早く帰ってこい」と煩いので外出も控えなければならない。さて、どうするか。
「――将成ぃ」
教室から一歩出た時、不意に、耳障りな声が将成の頭を
「……佐央里……」
「おつかれ~。もう帰るのぉ?」
「やることもないからな」
「じゃあさ、私のお願い、聞いてくれない?」
『じゃあ』の意味が分からない。将成は分かり
「怖い顔しないでよぅ」
「してねぇよ」
将成は早くこの場所を離れたくて、机の横に掛けてあったスクールバッグの中に教科書を勢いよく突っ込み、佐央里を退けようと扉に手を出した。しかし彼女は動こうとしなかった。ただじっと将成を見つめて彼の答えを待っていた。
「
「お願い、聞いてよ」
「聞いたら退くのか」
「退くよ」
将成は埒が明かないと判断し、佐央里の『お願い』を聞くことにした。まだ教室には海音のスクールバッグがあった。彼が戻るまで
佐央里の後ろを付いて行く。付いて行った先は音楽室だった。
「ねえ、ピアノを弾いてよ。私、将成の弾くピアノが好きなの」
急にそんなことを言われて将成は少しだけ困惑する。長い間一緒にいて、今まで一度もそんなことは言われたことがなかったのだ。
「……別にいいけど……最近弾いてないし、下手になったぞ?」
「いいのよ。将成が弾くのが、大事だもの」
何がいいのか。将成は益々分からなくなった。しかしここまで来て弾かないという選択肢は今の将成は持ち合わせていなかった。
何を弾くか、考えながら適当に音を叩いていく。段々と音階は曲の羅列を奏でていく。即興曲になったそれは案外ハマった、ちゃんとした曲になっていく。それが楽しくなってきた時、背後から小さくカラリと音がした。それはきっと扉が少し開いた音。そのタイミングを狙っていたのか佐央里が将成の目の前に顔を出す。
「ねえ。どうしてあんな冴えない子がお気に入りなの」
冴えない子と聞いて、将成は海音のことだと悟る。
「お気に入りってなんだよ。ひとをそういう風に言うな。小さく見えるぞ」
「答えて将成」
「ひとの話聞けよ」
「答えて」
「……うざい」
「この写真、クラスのみんなにバラ撒いてもいいの?」
「……汚いぞ」
「知りたいの。どうしてあの子に執着するのか。……美里先生に似てるから?」
佐央里の美里先生という単語に、将成の頬に冷や汗が流れる。
「! 違う」
「やっぱりそうだったんだ! 確かにそうよね、あの子、美里先生に似てるものね! だからキスしたんでしょ⁉ だから依存――、」
依存しているんでしょう?――その言葉を言い切らせまいと、将成は佐央里の口を自分の口で塞いだ。
本当はしたくなかった。海音を裏切ったと、思ってしまうから。けれど、誰かが恐らくこの状況を見ていると思った将成はこの会話をいち早く止めたいと思った。もしもそのひとに聞かれてしまっていたら、もしもそのひとが海音だったなら。聞かれたくなかったからだ。
ちらりと佐央里を見る。佐央里はむかつくことにうっとりとした表情をしていた。
してやったり。そう言わんばかりに。
「あーあ」
口封じが終わり、佐央里がクスクスと笑う。
「奥村クンに見つかっちゃったね」
それが目的であったと、佐央里の目が言う。
将成の心はこの時、既に、壊れかけていた。
こんなにも胸が苦しくなるのは、心臓病の所為だと思い込んでいた。
(ああ、これは多分――)
恋なんだ、と。
その答えに辿り着いた時、将成の目の前は真っ暗になった。
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