第14話

 僕は今、今世紀最大の危機と言ってもいい状況下に陥っていた。


「今日はどこか出掛けたりしないのか?」

「えっ?」

 突然、普段は聞かれない質問をされて、僕は思わず飲んでいたパックのお茶を吹き零しそうになった。

 僕は今日入院中の父さんのお見舞いの為に病室に来ていた。今日は土曜日だからそんなことを聞いたのだろうかと首を傾げる。生憎あいにくと、休みの日に出掛けるほど僕に友人などいないし、行きたい場所も無い。あるとするなら勉強が落ち着いてできる図書館くらいだろうか。

「……出掛けないよ。別に、行きたい場所も欲しいものも無いし」

「そうなのか? 年頃の子なのに、なあ」

「余計なお世話だよ!」

 けらけらと父さんが笑う。僕はそんな父さんを見て嬉しくなる。あ、別にいじられたことに対して嬉しいと思ったわけじゃないよ、僕はマゾとかそういうのじゃないからね。元気そうな父さんを見て、嬉しくなったんだ。

「……ねえ父さん」

「んー?」

「夏休み明け、さ……。……」

「なんだ? 言ってみなさい」

「……ううん! なんでもない。大したことじゃないから!」

 僕が言いよどんだことに不信感を覚えた父さんは眉間にしわを寄せた。でもごめん父さん。今、父さんに余計な心配を掛けたくないんだ。

「それよりも早く足治してよ。最近美魚、父さんがいなくて寂しそうにしてるから」

「分かった分かった」

「……じゃあ僕もう行くよ」

「おう、ありがとうな。由子さんにもよろしく伝えておいてくれ」

「うん」

 僕は持ってきていた勉強セットの入ったバッグを椅子から取る。もともとお見舞い後はこの病院の近くにある図書館へ行く予定だったのだ。

 父さんと別れて病院の入り口まで移動する。途中、きゃははは、と可愛らしい声が廊下を木霊こだました。それは小児科病棟に入院している子供たちだった。

「……いつか、きっと……」

 僕の呟きは子供たちには聞こえることはない。これは僕の気持ちの整理の為に吐き出したもの。「よしっ」と、僕は気持ちを切り替えることができ、すっきりとした気分で図書館におもむくことが出来たのだった。


 図書館で一通り勉強して家に帰宅する。

「ただいま」と小さく言うと二階からトテトテという足音が聞こえてきて「お帰り!」と美魚が出迎えてくれた。あまりの勢いに僕の腹部に突っ込んでくる。少しだけ痛かったけれど、無事に受け止めきれたので内心安堵する。

「こんなわんぱくっ子だったっけ……」

「お帰りかいくん!」

「うんただいま。お母さんは?」

「ママはね、おでかけ! それよりもかいくん!」

 お出掛け? どこに? と聞く前に、僕は美魚に手を引かれて二階へと移動する。美魚の部屋に入ると勉強机の上には宿題の山があった。

「いっしょにやってほしいの……。だめ?」

 美魚の上から目線に僕の良心が「うっ」と悲鳴を上げる。今まであまり可愛がってあげられなかった分、この「お願い」の仕方は可愛すぎる。

「い、いよ。やろうか」

「やったー!」

 美魚が体を最大限に使って喜びを表現した。それがとても可愛らしかった。


 美魚が不安げに手にしたのは国語の問題集。小学一年生になったばかりの美魚にとっては難しい宿題だ。僕は優しく質問しながら問題を自分の力で解かせようとする。美魚は「ん~」とうなりながら頑張って問題を解いていく。

「……かいくんはさ、大人になったら何になるの?」

「え?」

「だって、こんなにお勉強ができてすごいから、なんのためにお勉強してるのかなって」

 突然の予想外の質問に僕は驚いた。まだ幼い妹の質問に、言葉を選びながら答えようと、妙に緊張して震える手を押さえながら話す。

「…………僕はね、まだママには言ってないんだけど、夢があるんだ」

「夢?」

「そう。……僕の……前のママがね、ずっとしていた仕事がしたいんだ」

「前のママのお仕事?」

「うん。病院の子供たちに、お勉強を教える仕事」

 ――そう。これが僕の夢。母さんがしていた、院内学級の先生に僕はなりたい。

「へえ~! かいくんなら絶対なれるよ! だってこんなに教えるの上手なんだもん!」

 美魚がキラキラとした笑顔を僕に見せる。不意に天川くんの言葉が僕の頭の中をぎった。


 ――決めるのは奥村だから。


 ――大丈夫。あのご両親なら、奥村のこと否定しないから。


 なんと心強い言葉だろう。僕はいつの間にか笑顔になっていた。美魚に釣られてか、彼の言葉に励まされてか。この際、どちらでもよかった。僕はお母さんが帰ってくるまで美魚の面倒を見続けた。

 そしてその間、僕は覚悟を決めた。三者面談の話を、お母さんにすることを。勇気を持ってお母さんに伝えよう。


 僕の叶えたい――夢の為に。

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