第11話

 ――じゃあ、今日も行ってくるね! 海音!

 そう言って、いつも笑顔で職場に向かう母さん。笑顔の先にはいったい何があるんだろうといつも思っていた。

 その答えが今、目の前にある。


 天川くんが顔を赤くしていることよりも、僕は彼と初めて出会った時のことを不意に思い出す。

「……僕が、初恋のひとに似ているから、あの時キスしたの……?」

「えっ⁉ いやっ、それは……!」

 すぐに否定してくれないところを見ると、やはりそうなのかなと思ってしまう。確かにあの時の僕はメイド服(いわゆる女装)をしていたし、母さんが初恋のひとというのなら、親子で顔が似ているのは必然であり、そう思われても当然なのかもしれない。だけど、今の僕は少しだけ可笑しくて。


 初恋のひとが母さんだと知って、嫉妬していた。


「さ、最初は! そう、だったかもしれない……。でも、でもはおかしいか……? 俺、俺は、奥村のこと、ちゃんと大事に想ってるのは本当だから!」

 天川くんは僕の両手を握ってそんなことを口走った。これじゃあまるでプロポーズみたいじゃないか。今度は逆に僕の顔が赤くなっていくのが分かった。僕が黙ったのを確認すると「そういえば!」と天川くんが話題を変えた。

「進路希望、どうなった?」

「……まだ、話せてない。今日父さんに相談しようと思ってた」

「そっか。しようとしたら、入院ってなっちゃったんだね」

「うん」

「……大丈夫だよ。あのご両親なら、奥村のこと否定しないと思うから」

 ちゃんと君のことを見ていると思うから、と心強い言葉を天川くんは僕に掛けてくれる。この言葉を聞くだけで、僕は少しだけ自信を持つことが出来るんだ。

「ありがとう、天川くん」

 僕は時間を確認する。時刻は夕方六時を回ったところだった。僕は面会時間のことも考慮して、父さんの病室にもう一度顔を出すことにした。

「父さんの病室に戻るよ。……進路の話、してくる」

「うん、そうしなよ。病棟の場所分かるか?」

「まあ、分からなかったら看護師さんとかに聞くから大丈夫。天川くんはちゃんと休んで」

「へいへい。……なんか兄ちゃんと同じこと言うな……」

「入院してるんだから、休むのが仕事だろ」

「はーい」

 僕は天川くんの病状を知らない。

 けれど、夕日で隠れてはいるけれど見える顔色が悪いのと、この間の胸の傷から、入院している理由はなんとなく察することができる。でも言及はしない。自分から言うまでは、聞かない。これは天川くんのプライベートで、知られたくないことだと思うから。

 天川くんが大人しくベッドに横になる。その顔は不貞腐ふてくされていた。「……あ、そうだ」僕はあることを思い出す。天川くんは「ん?」と視線をこちらに向けた。僕は勇気を出して、自分の携帯を取り出し天川くんの目の前に持っていく。

「……どうした?」

「……ア、アドレス」

「ん?」

「だから! メッセージアドレス! 入院、つまらなさそうだし、は、話相手になってあげても、いいよ……」

 最後まで声は届いただろうか?

 恥ずかしくて天川くんの顔が見れなかった。少しして、天川くんの微笑む声が聞こえた。

「ふ、ふはっ。そんなに緊張して言うことじゃないのに。ありがとう奥村。じゃあ、俺とメル友になってくれる?」

「だ、だから、そう言ってる……!」

 天川くんは、今までの何よりも、輝く笑顔をしていた。


 彼の病室を後にして僕は父さんの病室へと向かう。入室するとそこにお母さんと美魚の姿は無かった。すでに帰ったようだ。

「……父さん」

「ああ、海音。ごめんな、急に怪我なんか。由子さんにもこっぴどく叱られたよ」

 あはは、と父さんが笑う。これはきっと、僕のことを気遣っての顔だ。僕は父さんのベッドの足元に座り、父さんの目を見る。父さんは「どうした?」と僕のことを見た。僕は高鳴る心臓を無視して、声が震えないように覚悟を決めた。

「……ねえ、父さん。僕、大学に行く」

「……! そうか!」

「うん……。……なんで嬉しそうなの」

「いや、海音が自分からやりたいことを言ってくれたのが、嬉しくてな」

「……そうだっけ」

「海音、お前は自分のやりたいことをやりなさい。お金のことは、気にしなくていい。由子さんも、俺も、ちゃんと考えているから安心しなさい」

 僕は、父さんの言葉に驚いた。

 お金のことではない。天川くんと同じようなことを言っていたことに。

「うん、わかった」

 もう迷わない。僕は、僕のしたいことをしよう。この時、心の中のもやもやがひとつ、消えた気がした。


 その日の夜、僕は天川くんにお礼をしようとメッセージを開く。少し恥ずかしくなったけれど伝えたいから、勇気を振り絞って文字を打つ。

〈天川くんこんばんわ。今日あのあと父に進路のことを相談しました。天川くんの言った通り、大丈夫でした。本当にありがとう〉

 送信ボタンを押して少し待つ。するとメッセージが既読になり、〈よかったな!〉という文字と手を上げて喜んでいる絵のスタンプが送られてきた。

 良かった、と思った。ちゃんと返信が届いて良かった。僕は安心し切ったのか急激な眠気に襲われてそのまま朝まで熟睡してしまった。


 翌日、テストを受講してから担任に進路希望調査表を提出した。担任には「良いことでもあったか?」と言われてしまった。そんなに顔が緩んでいたのだろうか。僕は少しだけ微妙な気持ちになった。


 あれから、テスト最終日まで天川くんは教室に姿を見せなかった。

 次に彼に会ったのは、テスト最終日、受講が終わった後だった。

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