第10話
懐かしい夢を見た。
それはまだ母さんが生きていたころの、夢というより、記憶。
僕にとってこの記憶は最も大事にしているもので、母さんの笑顔が唯一見られる時間だった。
だけど、そんな幸せは一瞬で泡となって消える。
その瞬間、僕の足場は大きな影となって、僕を闇へと誘うのだ。
「――っ! ……はっ、はぁ……はあ……」
僕は夢から覚めた。けれど、覚めた先は自分の部屋ではなく知らない白い部屋で、天井が妙に高かった。
「あ、起きた」
それは以前にも聞いたフレーズ。声のした方へ視線を横に向けると、天川くんが僕が先ほどまで座って――座らされて――いたはずの椅子に座って本を読んでいた。僕は彼の寝るべき場所であるベッドに何故か寝ていた。僕が起きたことを確認した天川くんは呆れた表情をしていた。
「な、んで」
「奥村さ、本気で内科とか受診したら? マジで焦るから」
「ごめん……じゃなくて。どうして僕がこっちで寝てるの。ていうか今何時……」
「奥村が寝てから二十分も経ってないよ。……」
天川くんが急に黙ってしまった。沈黙が痛い。天川くんは何かに怒っているような表情をしていて、僕は自然と委縮してしまう。
「……なあ、ひとつ確認していいか?」
「なに……」
「虐待、とか。そういうのされてたりしないよな?」
「……は?」
僕の思考は停止した。ああ、そういうことか。天川くんは僕が倒れた原因が両親にあるのではないかと推測したらしい。僕は「そんなことない」と強めに否定した。
「……今日のは多分……父さんが原因、かも」
「お父さん?」
うん、と僕が俯くと、彼の怒っていた表情が心配な表情に変わる。そして僕の側へ来てベッドに腰を掛けた。天川くんは僕の話を聞く姿勢になった。
「……事故に遭ったって、お母さんから聞いて。急に怖くなって……母さんと、同じになったら、どうしようって…………。怪我が酷くて、もしそのまま死んでしまったらって……それで、元気な父さん、見たら、急に力が抜けたんだと思う……」
たどたどしい口調ではあったけれど、天川くんにちゃんと思ったことを伝えられた。天川くんは最後まで諦めずに僕の話を聞いてくれた。やっぱり、彼は優しい。その優しさに、溺れそうになる。
「え、ちょっと待って、」と天川くんが僕の目の前に右掌を出す。僕は思わず「えっ」と息を詰まらせた。
「お母さん? 母さん? ん?」
あ、と僕は彼に母親のことを説明していないことを思い出した。
「今日病室にいたお母さん、えと、由子さんは父さんの再婚相手。母さんは僕の本当の母親。呼び方が違うのは、由子さんのことを母さんって呼び慣れていないからで……」
「ごめん!」
「……え?」
天川くんが急に自分の両耳を自分の両手で塞ぎ始めた。かなり強く塞いでいたので少し痛そうだと感じた。同時に目をぎゅっと瞑っていたので、それが少しだけ面白かった。
「いやっ、聞いちゃいけない話だと思って。配慮が足りなかった!」
「……大丈夫だよ。別に、六年も前の話だし」
「それでも! それでも……大切な、思い出じゃんか……」
天川くんは何故か譲らなかった。僕はそんな彼のことを見て、ふと、この間見た写真のことを思い出す。
「そういえば、この間家に行った時に見えちゃったんだけど、携帯の写真……子供がふたり写ってるやつ」
「ん? ……ああ、これのこと?」
そういって天川くんがこの間見た写真を携帯に出してくれる。ああ、やっぱり。見間違いではなかった。
「うん。この真ん中に写ってる人、僕の母さんだ」
「――え」
天川くんが口元を右手で覆う。いったいどうしたのだろうか。もしかして気分でも悪くなってしまったのだろうか。だとすれば――すぐに今いるベッドの上からどいて彼を寝かせなければ。僕が動こうとした時、天川くんが覆っていない左手で僕の左手首を掴んだ。その手は温かかった。ゆっくりと彼の顔を見ると、ほんのりと赤く染まっていた。
「……天川くん?」
「……いや……まさか、とは思ってたけど……」
「?」
いつもはっきりと物を言う天川くんが、珍しく言葉に詰まっている。
「……俺の初恋のひと、なんだよ……。奥村、美里先生……」
僕は何故あの時、写っていた母さんと、天川くんの胸にあった傷に意識を持っていかれてしまったのか。あの時、写真の中に写る男の子が天川くんの幼少期なのではないかと、察することができなかったのか。
少しだけ悔しくなったのは、言わないでおこう。
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