第7話

 僕には夢がある。

 母さんの仕事と同じ仕事がしたいという夢。

 母さんに少しでも近付きたくて、一生懸命になって、夢を見続けている。

 僕はどうしても――母さんに、会いたいんだ。


 西日が僕の意識を現実に連れ戻す。ゆっくりと目を開くと、そこは見知らぬ天井で全体的に白かった。横目で辺りを見渡せば、ここはなんだと気付く。消毒液のにおいが鼻腔をくすぐるので、少しだけせそうになった。


「あ、起きた」


 一番、今聞きたくない声が僕の耳に入る。声のした方向に目を向けると天川くんが西日の夕焼けに照らされていた。視界がまだぼやけていて良くは見えなかったけれど、彼はなにやら難しそうな本を読んでいた。読み進められたページから、随分と時間が経ったのだと窺えた。

「奥村、気分はどう?」

 天川くんが僕の額に手を添える。ひんやりとした彼の大きな掌が気持ちよかった。

「ん! もう熱いのは引いたな。あー、良かった! 授業中に急に倒れ込むんだからさ~」

「……え……」

「あー……覚えてない、よな」

 僕は思わず彼の言葉に頷いた。

 彼曰く――僕は体育の授業の途中休憩で倒れたらしい。原因は恐らく軽い熱中症と貧血。ああ、言われてみればそんな感じはしたな、とその時の薄い記憶をぼんやりと思い出す。

「ちょーど目の前に俺がいて良かったな!」なんて天川くんが言うから僕も釣られて「うん」と言ってしまった。その瞬間、天川くんが少しだけ困ったような顔をしたのを僕は見逃さなかった。

「……なに?」

「なんで体育見学にしなかったの」

 天川くんの、少しだけ怒気のこもった声に僕は委縮した。こんな彼を見たことがなかったからだ。僕はどう答えればいいのか、分からなかった。

「……じゃあ、言い方変えようか。どうして具合悪いのに、無理に授業に出たの」

「……えと……。授業の、単位が……欲しくて」

 僕たちが通う高校は全国でも珍しい(と思われる)『学年・単位両制採用型』の高校で、各科目にそれぞれ必須単位項目があるのだが、僕は三年間の在籍中に、ひとつも単位を落としたくなかった。完璧に取得して、卒業したかった。だけど、それは今日すことができなくなった。ほぼ一日分の単位を落としたから。

 その事実に気付いた僕は、無性に泣きたくなった。

「えっ、奥村?」

「…………ぅ……うっ……」

 泣いたら負けだ。そう頭では理解してるのに体は正直で、止めようとする度に涙が溢れてしまう。天川くんに申し訳ないと思うのに、涙が止まってくれない。

「奥村泣くなって! ああ、もう、ごめん! 言い方怖かったよな?」

「うぅ~っ」

「ごめんごめん。もう怒ってないから、泣き止んで!」

 よしよし、と天川くんが僕の目元を優しく拭ってくれる。

「腫れちゃうから……。ああ、ほら、赤くなっちゃってるし……」

「……っ」

 天川くんの優しさが痛い。止まり掛けていたのに、彼の優しさに触れる度に、僕は余計に泣いてしまう。


「…………ごめん。……我慢、できない」


 一瞬、天川くんが何かを言ったような気がした。

 その言葉を処理する前に、僕の脳はキャパオーバーになる。

 保健室の窓が開いていて風が一気に吹き抜ける。カーテンがひらめいて夕焼けが僕たちに差し込んだ。


 その瞬間、僕はまた、天川くんに口を奪われる。


「……泣き、止んだ?」

「……なんで……」

「驚いたら、泣き止むと思って。もう大丈夫そうだな」

 そうして僕の頭を撫でる。僕は段々恥ずかしくなってきて、掛けられていたシーツを使い顔を勢いよく隠す。今の僕の顔は熱を持って赤く染まっているに違いない! 頼むから今の僕を見ないでくれ、天川くん! と隠れながら心の中で叫び倒した。

「ここまで回復したんなら、大丈夫だね。よかったよかった」

「よくない!」

「そんなこと言うなよ~」

「な、なんで僕なんだ! 僕は、だ!」

「……」

 しん……と、急に天川くんが黙ってしまった。一体どうしたのだろうかと途端に不安になり、僕は思わず隠れていたシーツを取って天川くんを確認した。天川くんは申し訳なさそうに笑っていた。僕の胸がきゅぅっと締め付けられる。

(なんだよ……僕が悪いのか……?)

「うん」

「えっ」

 僕の心の声が聞こえたのか、天川くんは肯定した。僕は驚いて、思わず声を出してしまった。

「……初恋のひとに似ていたから。そのひとが、泣いている時にそっくりで。いつもどうしてあげたらよかったのか分からなかった。……ごめん。勝手に思い出して、面影重ねてた」

 僕はこの時、怒りよりも不思議な気持ちの方が勝って、きっと間抜けな顔をしていたことだろう。彼はイケメンだから今までに何度も恋愛をしてきたものだと思っていた。けれど、それは思い違いだったのかもしれない。

「……大丈夫。別に、失うもの無いし」

「そっか。ありがとう、奥村」

「……いい」

 天川くんは笑った。安心した瞬間、急激に眠気が僕を襲う。くらりと視界が歪んで、ぼすんとベッドの上にある枕に倒れ込む。「奥村?」と天川くんの声が鮮明に聞こえる。

 心地のいい声だな、と思いながら僕は再び眠りについた。


 今度こそいい夢が見られるといいな。そう思いながら。

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