第4話

 梅雨は僕の気分を憂鬱にさせるにはうってつけの季節だ。

 季節は六月。ジメジメと湿気漂う教室では、変わらずの話題で持ちきりだった。


 天川くんは月に何度か休むことがある。どういった事情なのかは分からないけれど、よく休む。

 クラスの女子は、「あのルックスだから」芸能活動をしているのではないかと噂し、男子は「あのルックスだから」授業をサボっていいるのではないかと陰口を叩いている。僕としては後者の説を推していきたいが、恐らく違うだろう。前者の説でもない。

 何故、天川くんを避けているはずの僕が、まるで彼を擁護するかのような発言をするのか。理由はハッキリとしている。

 それは彼の普段の授業態度だ。

 天川くんはまだ教科書を全て揃えていないらしく、よく前の席の僕の隣に来ては「教科書見せてよ」と覗いてくる。僕が女子だったなら、物凄くドキドキするシチュエーションだろうが、生憎あいにくと僕は男である。特にドキドキなどせず、ただ彼に迫られて仕方なく教科書を見せるのだ。

 見た目に反して、天川くんはかなりの真面目くんだ。授業は真剣に受けているし、分からないところは先生に質問しに行くくらい、彼は真面目だ。

 だから、クラスメイトたちの噂や説は、僕からすれば休んでいる理由にはならないと断言できるんだ。


 この日も雨が降っていた。この時はまだ小雨だった。彼は教室にはいなかった。

 そもそも僕としては遠足の日以来、天川くんのことを避け続けているので来てほしくないというのが本音だった。むしろ、朝教室に入った時に彼のことを見掛けなくて安堵したくらいだ。クラスの皆は残念がっているけれど、僕の心の安寧は今日も確保された。

 授業が終わって下校時刻になる。僕は帰宅部だからすぐにでも帰ることが可能だが、まだ家には帰りたくなかった。門限があるわけでもないので、図書室にでも行こうと決め、歩を進める。

 この日、図書室を利用している生徒はあまりいなかった。僕はホッとして窓際の席に座る。まだ読み終えていない本をスクールバッグから取り出して、栞の挟んである場面から読み始める。この本は以前からシリーズを追っている作者の新作で、途中までしかまだ読み終えていないが展開が白熱していて既に面白い。本を読む時間は僕にとって現実から逃避できる唯一の方法だった。

 ザァアア……と外の音が少しだけ大きくなる。雨が本格的に降ってきた。いい感じのBGMに聞こえて、僕は思わず笑みを零す。

 雨の音は好きだ。周りの音を遮断してくれるカーテンのようで落ち着く。けれど普通に雨は嫌いだ。ジメジメして気持ちが悪いから、音以外は嫌いなんだ。なんて理不尽なんだろうと自分でも思う。そんな自分の心に僕は苦笑する。

 時間としては約二時間ほど経っただろうか? 図書室の時計は夕方の五時を指していた。そろそろ帰らないと……。だけど僕の足は簡単には進んではくれなかった。

 校舎の玄関まで来て、僕の足は完全に止まってしまった。

(どうしよう……。帰りたくないなあ……)

 僕はその場に蹲るようにしゃがんでしまった。端から見れば、急に蹲ったので具合でも悪くなってしまったのではないかと思われるだろう。だけど僕の体調は別段悪くない。ただ本当に、帰りたくないのだ。


「……奥村⁉」


 その声に僕はハッとした。

 勢いよく腕の中にうずめていた顔を上げる。

「あまかわ……くん……?」

「どうした奥村? 具合悪いのか? 大丈夫か?」

 声の主の天川くんが僕の額に手を置く。熱でも測っているのだろうか? 彼の手は妙に冷たくて気持ちが良かった。

 雨の中を走って来たのか、彼の肩が濡れていた。あまり濡れていないところを見ると、雨脚あまあしが強くなったのはつい先ほどからだったので急に降られたんだと推測が出来た。とはいえ、暑くなってきたといっても夕方は気温が下がる。流石に元気の塊であろう彼でも、風邪を引いてしまうのではないかと心配になる。

「熱は無いな……。どうした?」

 天川くんは僕の隣に一緒になって座り、そして優しく背中を撫でてくれた。僕に何が起きているのか理由も聞かずにただ静かに座っている。僕はそんな天川くんの優しさに、胸が苦しくなった。

「……雨が止むまで一緒にいようか?」

「…………」

 僕は返事すらできなかった。君の優しさに焦がれてしまった。流したくもない涙が頬をゆっくりと伝っていく。

 なんで今学校に来たんだ、と聞きたかった。もう全て終わったんだから来る必要なんてなかったんじゃないのか? そう言いたかった。天川くんはそんな僕の雰囲気を察したのかポツポツと話し始めた。

「え、と……。先生に用事があって来たんだけど、帰り際に奥村見つけて。急に座り込むからさ。……マジで焦ったぁ……」

 心臓に悪いからやめてくんね? と天川くんが言う。

 天川くんの顔は笑っていたけれど、本当に心配してくれていた。僕は物凄く申し訳なくなり、涙が止まらなくなった。

「おいおい、どうしたんだよ。泣くなよ~」

 天川くんは困った顔をして僕をなだめる。そして、僕が今泣いている理由を彼が僕に聞くことはなかった。

「………………帰りたく、ない……」

「え?」

「……家に、帰りたくない……っ」

 何を思ったのか、僕はついに天川くんに向かって本音を呟いてしまった。こんなことを口走っても何も解決などしないのに。そう思っていたのに僕は彼に本音を呟いた。天川くんには届いただろうか。

 届いていても、いなくても、もう……どっちでもよかった。

 ザァアア……と雨の音が僕たちをこの場に留まらせる。静寂を破ったのは天川くんだった。


「……じゃあ、さ。俺んち、来る?」


 それは、まるで悪魔の囁きのように僕の心を揺すった。

 天川くんは真剣な目で僕を見つめていた。


 僕は、そんな天川くんの囁きを、受け入れた。

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